マグロと僕の物語 #3 〜因縁というか、縁-後半〜
まさに見知らぬ天井。
僕は脇から腰骨の辺りまでちくわのようなギプスをし、壱岐市民病院で1週間ほど、その後大阪に(寝たまま)移動して約70日間寝たきりで過ごした。
ベッドでは誘ってくれた船長に申し訳ない気持ちが何度もあふれた。もはや私に釣りをする資格はない、そうも思っていた。
退院した僕は,その足で船長に挨拶に行った。
釣りを続けないにしても、これはケジメだと思った。
船長は,怪我もさることながら、相手の対応をすごく気にしていた。相手は「保険を適用するからタクシーも飛行機も使ってくれ」と言っていたにもかかわらず、だんだんと旗色を変えのらりくらりと責任をかわしていた。
それを聞いた船長は、相手に対する怒りに震え、僕の目の前で電話をかけた。
「俺の大事な友達を怪我させておいて、お前にシーマンシップはないのか!」と怒りをを露わにした。
痛くもあったが、嬉しかった。
その年以降、船長はクロマグロのシーズンである冬の間は、自分の船を鳥取から九州まで回航させるようになった。
それが彼のシーマンシップだった。 それも僕には沁みた。
そして、僕は、
「また乗せてほしい」と船長に伝えたのだった。
冬が来た。
僕は船長の船に九州で乗った。
私は寒空の下、いつクロマグロがはねても良いように、ずっと海面を見張っていた。遥か遠くに飛ぶ海鳥が、少しずつ下降をはじめた。何かを探している。 伝えるよりも早く、船長は海鳥をつかず離れず追い始めた。そして時は来た。
海が、、、真っ白に割れた!
真冬の海面を爆発させて捕食するクロマグロの群れに、私はその捕食するスルメイカを模したルアーを投げ込んだ。群れにはほかの魚も混じっていた。水面下にゆらゆらと沈んたルアーにそいつは食らいついた。糸はのっそりと動き出し、私は「あぁ〜ブリだ」と感じた。
次の瞬間、
突然そいつは猛烈なスピードで走り始めた!すさまじい勢いで糸が出ていく。
頭が真っ白になった。
「だいすけ!大きいぞ! 」
船長は、大きな魚をかけた時にだけ点ける回転灯を回し、周りの船にサインを出した。
僕はあまりの衝撃に必死だった。魚は全く止まらない。手が痛い、腰が痛い。
魚釣りでこんな辛い思いをしたのは初めてだった。
マグロは僕を弄ぶように船ごと僕を引きずりまわした。
この間、魚がかってからわず か10分ほど。
僕は涙ながらに、僕の因縁と繋がっている竿を手に、こんな言葉を吐いた。
「ちょっと、船長。。。ごめん、変わって。」
「、、、だめだ、一生後悔するぞ。」
船長は少し時間をおいて、無表情に私に言い放った。
負けた、負けた。
その後、どれくらいたったのかは覚えていない。
何とか竿にしがみついていたのだが、それほど長くない時間で、幸か不幸か、針が外れた。
そしてマグロはとてつもなく遠い海に行ってしまった。
「だいすけ、まだまだだなぁ。」
針が外れた後、満面の笑みで、船長は言った。
「まだまだっすね」
私も、歯を食いしばりながらも、、、声を出して、笑った。
海は、青く大きかった。波しぶきが冷たかった。日が暮れるまで、マグロを探し船は揺れていた。
ただ、マグロは
もう、 はねなかった。
負けた。これは、約束だ。
あれから何年もたったが、あれ以来、九州に赴く船長の船で回転灯がまわった事はない。
そうして私はバンコクへ異動となり、マグロ釣りへもなかなか行けなくなった。船長も今は船を回すことはなくなった。
九州にクロマグロは回ってこなくなった。
だからといって僕の約束が終わった訳ではなかった。
これは、因縁では無い、人生が紡いだ縁。
だんだんとそう考えるようになっていった。
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