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幸せになってもいいですか?

ギリギリで生きてる、死ぬかもしれないみたいな様をアピールしたり、それを魅力っていうか売りに出来てる人ってさ、なんか、めっちゃいいよね

ぼくならコンプレックスになってしまったり、ひとに言えなかったりすることで自分の存在価値を生み出してる感じが羨ましいっていうか、、

抽象的すぎてわかりにくいと思うんだけど、あんまり具体的な名前出すと誰かを傷つけてしまってるかもーとか心配になるから!

思うことがあって
生まれ変わったら今度はこうなりたい、って割と聞く言葉だけど、この言葉が自然に出てくるひとってすごく素敵で羨ましい。そんな人間になりたいと思う。

ボクの考えも及ばないようなぜんぜん違う理由でこの言葉を発する人もモチロンいるだろうし、こう話す人すべてが、みたいに主語をでかくするつもりはないんだけど

そういう言葉がさらっと出てくる人って、天命を全うしてやっと死んでもまた、この世界で生き抜いてみてもいいと思ってるってことでしょ。

今の自分となにかが違えば今度はこの世界を愛することができるかもしれない、と思うからこそ出てくる言葉な気がする。

僕にとっての世界っていうのは誰がなんと言おうと、ぼくを傷つけ苦しめる、もし誰かがわざとやってるならそいつを殺してしまいたいほどツライものでしかない。

なんでこんなふうにしか思えないんだろう  

客観的にみたら、好きなだけご飯を食べて命の心配をせずにベッドで眠れるぼくはものすごく幸福なはずだ。 

戦争や貧困で困ってる人がこれを読んだら、俺ならお前の状況でちゃんと幸せになれる、その席変われよ!と言うかもしれない。

そう言われたとき僕はどうすればいいのか

けれどぼくだって好きでこういうふうに生まれたわけじゃない。望んで、毎日ご飯を食べられるような恵まれた家庭に生まれたわけじゃない。

別に分かってないわけじゃないよ。世界が自分にとって意地悪なものでしかないのだってけっきょく自分の問題だし。

自分で自分のことが嫌いで何やっても楽しくないとか思ってるから、つまり世界が悪いんだ!って言ってるだけですよぼくは。

好きになった画面の中の人が実はもう亡くなってたり

新聞の紙面で何人もの人が理不尽に殺されたり、もしくは喜ぶべきニュースでも勝手に傷ついたりして。

今日だって電車で席譲ろうとしたらなんかけっきょく怒られたし、おそるおそる差し出した自分の気持ちを自業自得だと言い切られたり(それもぜんぜん一理はある)、自分が傷つけてしまったひとのことを考えたり。

そういうことを考えて心のなかですべてを嫌いになるしかないとき、そんな時どうすればいい?

まあでもいいや。

いつでも死ねばいいんだ

最低だよねこんなことばっかおもってるとか。笑でもこう思うことで悲しい気持ちを少しずつ逃がしながら生きてるつもり。

気持ちの調子が良くてちょっと自分のこと好きかもしれない、ご飯がすっごく美味しい!、この本めちゃくちゃ面白い。そういうときほどぼくの気持ちが暗くなるのは一瞬。

毎日何人もの人が殺されて、理不尽に人間が死んで。僕がついさっきまで死にたがってた今日は、昨日死んだ誰かが生きたかった今日なんだとか。 

いやしらねえよ、べつにおれがその人を殺したわけじゃないし。

なんでそんな知らない誰かのために僕が、生きることを強制されなきゃいけないの

まじで誰がどんなふうに殺されたとか、戦争とか災害とか何人死んで誰の心がどれだけきずついたとかも。

ほんとにどうっっでもいい


なんでそんな遠くの悲しい出来事をいちいち接種して、こっちまで暗い死にたいような気分にならなきゃいけないわけ?、それで僕が死んだらどうするつもりなの笑

「怒」だの「傷」だの「死」だの暗い文字ばっかでごめんよ

書くならほんとは、もっとおちゃめにカラッとした感じの文(塔山忠臣のアホボケカスはおれか!?の初期みたいな)を書きたいんだけど、どうもジメジメしてしまう。今日の天気みたい。ジメジメというよりもじめじめ。じめじめ。あーみじめみじめ。

気持ちに波があるのは仕方ないかもだけど、僕だって楽しいときは楽しいだけでいたい。そんなときまで、目の前じゃないどこかで傷ついてる誰かに、思いを馳せる余裕が僕にはないんだよごめんなさいごめんなさい

幸福じゃない誰かがいるからって、それはぼくが幸せになっちゃいけない理由には決してならない

べつにぼくはぼくなりに自分を幸せにしようとしたっていいに決まってんだろ!!

もうさ、ご飯食べてるときに栄養失調で亡くなる子供の人数かぞえるのやめない?

誰が死んだとかどんな人だとか、どうやって殺されたとかニュースで流すのやめない!!?泣

そのとき誰かがどこかで死ぬほど苦しんでたとしても、それでもぼくは美味しいご飯を食べたいしセックスがしたいし幸せになりたい。

ぼくは自分を幸せにするために一生懸命生きて自分をいっぱい大切にして大好きになってから死んでいきたい。

もしさ、何年か経ってからこれを見て、

あのときのおれやっばwwwさすがに病みすぎてる、黒歴史!笑とか言って、誰かにこの文章を見せられてるようになってたらそれはほんとにいいことだと思う。なれるならそうなりたいよまじで

あーほんとにこんな気持ち思い出せないぐらいになってたらいいな、

でももしそんな明るいひとになってたとしても、一人になってからもう一度これをよみかえして、少しだけあの頃を思い出して恐ろしくなったり、あんな気分の中でここまで生きてきてくれてありがと、とか思ってくれたならいまのぼくの気持ちを成仏させるにはもうそれで十分なのだ。

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