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加害者による、いじめを終わらせる方法



 

はじめに


 サムネ詐欺みたいになっててすみません。これがいじめと呼べるのか、そうだとしたら僕は加害者か被害者か簡単に判断できないのですが、僕に加害性があったことは確実なのでこういうタイトルにしました。
 ざっくり説明するとずいぶん昔、小学生の頃に複数人が僕一人に対して悪口を言ったり嫌がらせをしたり、果ては一度ですが暴力を振るったりするということがありました。しかし単にいじめと片付けられないのは、こちらも言われたことと同じくらいのひどい言葉をたくさん言っていたからなのです。そこに関しては本当に卑劣な行為で謝り続けるしかありません。
 僕が加害者であるにしろ被害者であるにしろ、いじめ、(とここでは書かせてください)それがうむ苦しみのことは多少なりとも考えてきたつもりです。だからせめて、今いじめの渦中にいる人の今とこれからの苦しさをできるだけ減らせるように。もしくはこれからいじめに直面するかもしれない人がその人自身を今もこれからも守れるようにしたいと思いました。
 ほんとは自分の加害性についてなんて、誰だって考えたくないに決まってます。だから、いじめられっ子だった人に対していじめっ子だった人って少なすぎるでしょう。僕だって現実では、自分の加害性についてはほとんど触れません。だからネットでしかこんなこと言わないのは卑怯な気もするけど匿名じゃなきゃ言えないこともあると思うので、ここではあえて僕の加害性の原因について分析しながら。また僕の家庭環境にも軽く触れながら、いじめが発生したときそれを終わらせる方法について考えたいと思います。 

体験談

 それがあったのは小学生の頃です。3,4年生頃から小学校卒業まで続きました。その頃僕はものすごく言葉がきつい子供でした。しかも正しいことならだいたい何を言ってもいいと思ってたし、ぼくの言い方をだれかが強いと感じるならそう思う人が頭の中で変換するべきだと本気で思ってたんです。それでいてなにか言語や学習に関する発達が早かったのか、非常に口が達者な子供だったので相手を言い負かすことができてしまっていました、あのとき僕のせいで傷ついていた子ごめんなさい。
 そうしていれば当然きらわれますね。そんなある日、一人の子に突然「〇〇くん大嫌い」と言われます。びっくりしました。自分では嫌われることをした覚えがなかったから。あの時ぼくは口調の強さが誰かを傷つけるということに気づけていませんでした。 
 それからしばらく経って僕はその子に悪口を言われるようになります。それはだんだんエスカレートして人数も増えます。僕をいじめてもいいという雰囲気がクラス全体、なんなら学校全体に広まってました。(上級生にすれ違いざまに悪口を言われて怖かったことがある)一度は殴られたこともあるしその他の低俗ないやがらせもありました。もちろん悪口もあって後々になって一番堪えるのはこれです。言葉の力ってすごい。具体的には言わないけどそれは主に見た目のことでした。たぶんぼくが今、他の記事に書いてるような自分の見た目への大きなコンプレックスを持っているのは、これも一つ大きな原因なのではと思ってます。 
 ただはじめに言ったように僕はぼくでそれに匹敵するような悪口を複数人の相手に対して、本当に本当にたくさん言いました。それは見た目のことだったりそうでなかったりしました。本当に申し訳ないし謝って許されることじゃないとも分かってます。ただ僕は一人で向こうは複数人だったのはすごく卑怯なことだし、暴力行為に関してはその他の嫌がらせや悪口とは別で考えるべきことだとおもってます。(格闘技をやってたらしく息が止まるくらい痛かった)

どうすればよかったのか

 ここから考えたいのは、あの時いじめを発生させないために、もしくはその被害を最小限にするために僕はどうするべきだったのかということです。僕はあれから6年以上経った今でも、とくに精神的なコンディションが悪いときにはあの頃言われた言葉やされたことを思い出してそれはそれは生まれてきたくなかったような気持ちになります。でもここで忘れちゃいけないのは僕だって相手をそんな気持ちにさせうるひどい言葉をたくさん言ってきたという事実なんです。あの時言われた言葉で傷つき苦しくなればなるほど、自分のしてきたことの重大さも身に沁みます。

発生前

 まずいじめが起こった原因であると考えられる僕の口調について。なぜ僕はあれほどまでにきつく話していたのか、ということを考えてみます。その答えはもうほとんどわかっていて、たぶん僕の父親の口調が強かったからです。(今は父の言動はいい方向にかなり変わったのですが)ぼくが小学生の頃、父はとても口調が強かったです。普通に話すときもそうだし、母と喧嘩する時は特にそうです。それに僕や弟を(めちゃくちゃしょうもない事で)怒鳴り散らすということも頻繁にありました。父はその口調の強さを「口調が強いと思うなら、そう思う人が頭の中で変換すればいい。俺は正しいことを言っているからいいんだ」といつも説明していました。僕は冷静なときの父が言うことをとても信用していたので、その信条をそっくりそのまま受け継ぐことになりました。けれど当然ながら同じ環境で育っても僕のようにならない人だっています。例えばそれはぼくの弟。だから自分の過ち、強い口調で人を傷つけてきたことを環境のせいにして逆に被害者ぶったりするつもりは全く無いです。ただ昔のぼくの口調の強さを形成した原因の一つが、父であったことは容易に推測できます。
 少し話が逸れますが僕は学校で勉強してた時間ってぼくにとってはかなり無駄だったなと思ってます。全日制の高校やめてわかったけど勉強の効率は一人のほうが絶対にいい。(別に賢いかどうかとかじゃなく)僕は発達が割と速かったのか小学生の頃学校でしていた勉強は退屈なものも多かったのです。人間関係のトラブルもあったし学校に通わないでいたほうがよかったのかな、と思うこともよくあります。
 けれどそんな中でも学校教育、というか。ただ同じ地域に住んでて同じ年齢であるというだけでかき集められた不特定多数がまぜこぜになっている学校という場において。とんでもなく大きい学びがあったのもまた事実で、それは話し方についてです。やっぱり強い口調は人を傷つけるし、人間関係を形成するうえで障害になるんです。だからわざわざ強い口調で話すメリットってほんとにありません。
 それと、正しいことを正義漢ぶって強い口調で主張するのは、自分で自分を気持ちよくするためだけの行為だということもわかりました。例えばポイ捨てした人に「環境保護運動に人生を捧げる人がいる横で、たかがゴミを持ち帰ることすらできないあなたは次世代のことを考えられない自己中人間なので死んだほうがいいですよ」と言ったらだめなんです。言ってしまったらそれは単なるオナニーなんです。だってこれを言われたら恥ずかしいしイラッとするし、そのポイ捨てしたゴミを素直に拾おうとは思えないですよね。ポイ捨てがマナー違反だということを伝えてやめさせたいなら「ゴミ落ちましたよ!僕もよく落としちゃうんですけど地球大事だから気をつけたいですよねー」とかが最適解かと思われます。ポイ捨てだと気づかないふりをすること、また自分も同じようにしてしまうことがあると弱い部分を見せることによって(べつに嘘でもいい)相手の引っ込みがつくようにします。かつポイ捨てをしてはいけない理由を気をつけてね、とかじゃなく気をつけたいよねーという共感の形で盛り込んであるのでこれはかなりいい解答です。
 だいぶ話をそらしました。今となってはこれを自分の言動に反映させて、言語化できるようにまでなりました。(なってるはず)もしこれに気づけていないで、今でも色んな人を傷つけていたままだったらと思うと本当に恐ろしいです。そして本当にこれに気づかず、それどころか正しいことを強い口調で主張するのが良いことだと思っていたあの頃を思うと本当に目を覚まさせたくなります。
 だからそもそもいじめを発生させないためにこちら側ができたこととすれば、①僕が父の言うことを鵜呑みにしない②父が強い口調で話さない、強い口調を肯定しない③母が父と離婚、または別居して僕と父の距離を置く、ということが挙げられます。
 ③は極端な例に聞こえるかもしれませんが、特に幼い頃の僕や弟にとっては両親の喧嘩がとても大きなストレスでした。それに今だってずっと両親の喧嘩は続いているのでこれはもしかしたら母にとっても良い決断になっていたのかもしれません。
 たとえ親の言うことでもそれを鵜呑みにするべきではなかったし、父も自分の弱いところを無理に肯定するべきではありませんでした。特に幼い子供に対しては。
 ③に関して僕が具体的に反省すべき点があるとすれば、母に離婚したほうがいいかな?ときかれたとき冷静になって今後を考えられなかったことです。社会に漂う、離婚てなんかだめじゃない?という空気感を幼いながらに感じ取ってしまい、それに飲み込まれたまま離婚してほしくないと言ったこと、それが僕の人生最初の後悔です。まあそれは本当に幼い4歳とかそこらのときの話なので仕方ない気はします。

発生後

 次に考えられるのはいじめが起こってからのことです。タイトルのいじめを終わらせる方法について一般化できるのはここからだとおもいます。僕は悪口を言われた時、愚かにも同じように悪口を言い返すという選択をしました。(僕にとっては)急に悪口を言われて、とても怖かった。だからそうやってより一層ひどい言葉を吐いて自分のほうが強い。だから僕は相手の言葉に傷ついてなんかいないのだ、と。そう錯覚したかったのです。でもそうすることによって悪口合戦はヒートアップしてお互いにより強い言葉で相手を傷つけ、なんとかして自分は相手に傷つけられてなんかいないんだと思い込もうとしていました。愚の骨頂。
 僕はそうやって、自分が傷ついているということを認識しないようにしました。今の自分の状態を傷ついている、いじめられている、と認めたら本当に立ち直れないと思ったから。ちなみに自分がいじめられていないんだから、相手をいじめてもいないと思ってました。そこに確かにあったいじめ(のようなもの)は存在しないことにして、そうすることによって僕(と彼ら)はそれを抹消しようとしていました。
 今考えるとこれが本当に良くなかったのです。僕はこの時点で自分が悪口、というか「言葉」によって傷ついているということを認めてしっかり向き合うべきでした。なぜならそれは自分がしてきたことだから。言葉の持つ暴力性、言葉は人を傷つけるのだということを僕はそれまで知らなかった、それはまあ仕方がないかもしれない。けれど悪口を言われ傷ついた時点で、気づくことはできたはずです。なのに僕は気づこうともしませんでした。それどころか勢いに任せてもっともっと強い言葉を吐き、それによってより多くの人をより一層傷つけました。そうして新たな被害者、それと加害者(おそらく)を生み出してそのいじめ(のようなもの?)の範囲を拡大させてしまった。それは結局なにが原因かと言えばぼく自身の怠慢でしょう。
 ぼくはいじめを認識せず、自分が傷ついていることも傷つけていることも認めない、と。そうすることで自分を保っていました。でもあのときいじめを認めなかったから、一応解決したことにはなっているものの納得の行く話し合いはできず、きちんと謝ることもできなかった。だからあの時言われた言葉をここまで引きずってしまっているのかもしれないとも思います。
 それに自分の加害性を認めないという僕の自己中な自衛の仕方が、より多くの人をより一層傷つけることに繋がってしまいました。それにあの悪口合戦をヒートアップさせたことは結局、いま自分自身を苦しめることにも繋がっています。
 僕はあの頃の自分にこう言いたい。「そうやってより強い悪口を言うのは自衛のつもりなんだね。でも違う、それは言葉の持つ力に気づこうとしないあなたの怠慢から来る、ただの憎むべき加害行為なんだよ。もしかしたらそうやって悪口を吐き合っても今は大丈夫かもしれない。今は大丈夫かもしれないけどこれから先、言われた言葉だけでなく自分が言った言葉を思い出し、傷つき苦しみ、ビルの屋上を見上げてしまう時が必ず来る。それは夜寝る前、怒られた時、勉強している時、友だちと話している時。そういう気持ちとずっと付き合っていく覚悟がないなら。そういう気持ちを相手に背負わせることの重大さを知らないなら。まずは、言われた悪口に自分は傷ついているのだという事実を認めなさい。」

具体的な方法

 もし今いじめの渦中にいる人がいるなら。それは被害者でも加害者でも、もしくは傍観者でも。いるのだとしたらどうか、直ちにその事態を終息させるように努力して欲しい。たとえその時当事者がそれをいじめだと思っていなくても、そのときの言葉や経験はいつまでも残り続ける。それは単に卒業したら終わるというようなものじゃないと僕は知ってる。引っ込みがつかないとかあると思うけど終わらせるのに遅いとかないよ。たとえそれが1日目でも5年目でも、これから先のあなたとあなた以外が少しでも苦しまないために、ちょっとでもはやくそれをストップさせることを最優先にしてください。傷つく側のためは当然ですが、傷つける側もあとになって傷つけたことに傷つくことになります。本当に少しでも早く第三者を挟んだ冷静な話し合いを行いましょう。
 あなたが被害者なら、まずあなたには自分が被害者であることを認めてほしいです。じゃないと状況が改善の方向に向かっていけないから。別にそれは弱いことじゃない。もし僕のように自分だって相手に色々言ってるしな、と思うならその部分についてはもちろん反省し償うべきです。でもあなたが傷ついてるのも事実ならそれは被害を受けていると言えます。 最終的にベストなのは第三者に間に入ってもらって冷静な話し合いをすることです。きちんと話して相手から謝罪してもらわないと気持ちの区切りをつけるのがより大変になる気がします。僕はいじめ(?、)の全体に関しての話し合いをちゃんとやらなくて、僕の場合は僕が謝るべきこともあったのでほんとに後悔してます。
 傍観者が最低限やるべきなのはいじめに参加しないことです。絶対に。そっちに行ったらあなたは少なからず傷つき、そして誰かを傷つけてしまいます。そのいじめの規模を大きくするのはやめましょう。だからあなたがするべきはどちらかの加勢をすることではありません。だから先生に相談するのがベストな気はします。その人たちに必要なのは自衛のための悪口合戦(もしくは一方的な)ではなく、第三者を挟んだ冷静な話し合いでそれにはたいてい先生が必要です。別に同じクラスや学年じゃなくたって、それに気づいたならその愚かな行為をどうかそこまでで止めてあげてください。
 とは言いつつ、これは加害者被害者傍観者みんなに言えることですが、いちばん大事なのはあなたが(これ以上)傷つかないことなんです。それ以外のことは、余裕がないときはなんにも考える必要ありません。傍観者だって、それであなたが傷ついてしまうならいじめを解決させようとするのはマストじゃない。それに参加しないという最低限のこと以外には、ラインでいじめれてる子にメッセージだけ送るとかいじめを告発するにしても匿名でとか。別にあなたがいじめの標的になる必要はない。
 そしてもしあなたに加害性があるなら今すぐやめてください。あなたの行動は今だけじゃなくてずーーっと相手の心に残り続け、その人の人生にずっとずっと連いて回ります。過去のことはどう頑張っても変えられないので、その行為を今すぐにストップするということから始めてください。そしてやっぱり第三者を交えた話し合いで相手の気持ちに耳を傾け、心から謝罪し、自分の未熟で卑劣な部分を認めて償わなければならないです。

 けれど。忘れないでほしいのは、それでもあなたが一番優先すべきなのはあなた自身だということです。だって他に誰があなたのことを一番に考えてくれるんですか??いじめとか加害者被害者とか関係なくあなたを一番に考えられるのは常にあなただけです。(親は兄弟のことも平等に最優先にするから計算に入れないでよ)そのために誰かを傷つけることだけはあってはならないけど、それ以外ならべつにだめなことなんてほとんどないです。いじめをするという過ちをおかして誰かを大いに傷つけても、それでもあなたは生きていかなくちゃならない。被害者は一生あなたを恨むし、あなたは一生謝り反省し続けなければならない。過去のいじめが原因でたくさんの人に軽蔑されるかもしれない。そしてなにより、いじめをした自分には幸せになる権利がないと思って、自分の放った言葉、やったことを思い出して自分の加害性の被害者になるかもしれない。けれどそういうときにでも自分の心の声に耳を傾けて自分の幸せがある方向を向くことができる、そんな風に自分のことを大切にできる人を僕は強いと思います。そういう葛藤を乗り越えて一生謝罪し続けながらそれでも幸せになるということを決めた時、その人は強くなるんだと思います。


みんな、自分が傷つかないように正しい方法で自分を守ってほしい。誰も傷つかないでほしいし、みんなに幸せになってほしい。偉そうだけど本当にそう思うのです。

最後に。僕が、自分の未熟さとそれに伴う卑劣な悪口によって傷つけてしまった人たちへもう一度謝罪させてもらいます。

本当に本当に、ごめんなさい。

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