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四十五の手習い

九月に入ってからというもの。
毎週日曜日に、夫が出掛けていく。


部活の試合の引率、ではない。
いつもの黒いジャージ、でもない。


日曜は部活もないし、朝ゆっくり寝られるから幸せだーと言っていた夫が、7時半になると起きてきて、身支度をし、8時半には家を出る。
帰りは1時過ぎるかな、子どもたちと先にお昼食べといていいよ、と行って駅へと向かう。
パパは今日も出かけるん?久しぶりに市民プール行こうよ、やっと涼しくなってきたから関西サイクルスポーツセンターにも連れてってよ、とねだる子どもたちに、「ごめん、日曜はしばらく無理かな‥」と、笑顔でやんわり断る。

大事そうに、リュックにスマホと、

そして楽譜を詰め込んで。


そう、夫は九月に入ってから、毎週日曜の午前中電車に乗ってわざわざ大阪市まで出向いて、
合唱の練習に参加している。

夫は、音楽が好きである。小学生の時ピアノを習っていたからある程度譜読みも出来るし、家でも時々、趣味程度にピアノに弾いて楽しんでいる。もしかしたら私より弾いている時間が長いのでは?と思うこともある。
主に弾いているのはJ-POPやドラクエのテーマなどで、特にクラシックが好きとか詳しいという訳ではなく、まして声楽を学んでいた訳でも、過去に合唱の経験があった訳でもない。

でも、そんな夫が常々言っていたこと。

一度でいいから、ベートーヴェンの第九に参加したい。


ベートーヴェンの交響曲第九番、合唱付き。
ミミファソソファミレ‥とはじまる「よろこびの歌」は、一度くらい笛や何かで練習したことがあるだろう。年末になると日本全国あちこちで演奏される、あれである。
「ベートーヴェンはすごい。あんな音楽を作れるというのがすごい。あれは本当に感動する。あれを、一度でいいから、自分も大勢の人と歌ってみたい。
でも、ドイツ語の発音も分からんし、練習も大変そうや。とても付け焼き刃で歌えるものではないだろうから、定年後の楽しみにとっておくわ‥」


と言っていたのに、ある日、仕事から帰ってきてこう言った。

当たったわ
あかんと思ってたのに、ダメ元で送ってみたら、当たった」


え、何が?
ディズニーランド?
劇団四季のチケット??
大阪公演のリトル・マーメイド、何回送ってもあかんのよね。あれ、ほんとに当たる人あるんかな。ライオンキングは奇跡的に当たったけど。

だいく。当たったねん」

「大工?」

「佐渡さんのやつ。一万人の第九。これから、毎週練習行ってくるわ。」

「えぇーー!?!」



第九の合唱に応募してたの?
しかも一万人のやつ!指揮者が佐渡裕さんのやつ?!

コロナの煽りを受け、無観客公演だった2020年、生での合唱団の参加が叶わなかった2021年。そしてやっと2,000人の合唱団が舞台に立った昨年。
そして今年、2023年は、一万人の合唱団が参加する公演としては、実に4年ぶりだという。
その合唱団に、当選したらしい。

えぇーー!!
第九の初舞台が大阪城ホール‥
私、和歌山県民文化会館大ホールだった(20年前の話)。


合唱団への参加が決まってからというもの。夫は楽譜を購入し、YouTubeで発声や発音の講座を見たり、自宅のピアノで音取りをしたりと、予習・復習に余念がない。
いくら楽譜が読めても、舞台で歌うという経験は初めて、ましてそんな大きな舞台なので、一定回数以上の練習日程に参加できなければ、本番のステージに立つことは出来ないらしい。「頼むからパパには風邪うつさんといてな、市民プールも科学館も、関西サイクルスポーツセンターも、本番が終わってからなら絶対連れてってあげるから、12月の本番公演が終わるまでは、日曜の練習の日は穴は開けられへん。」
と、固い決意を持って参加している。


「指導してくれる先生、そんな体は大きくないのに、歌ったら声量がやっぱりすごいわ」
「ドイツ語、大学で第二外国語やったのに何も覚えてへんなー。もっと舌巻こう」
「楽譜見れば見るほど、ベートーヴェンのすごさって言うか、おお、ここでこうくるかっていう感じが伝わってくるんよなぁ」
次第に、夫は国と時間とを越えて、ベートーヴェンと通じ合い始めた。


「新しいことを学ぶ」って、
「夢と目標をもって行動する」って、いいと思う。
すごくいい。
何より、楽しそうだ。


練習開始から一カ月が経ち、子どもたちの今の反応はと言うと、
「えー、パパは明日も朝から居てないのー。
そしたら、帰ってきたら一緒にゲームやってなー⭐︎」

えっ、それだけ?
すごいなぁとか、頑張ってね!とか何かないの。
子どもって、夢を見つけてそこに向かう過程の貴重さとか、注ぐエネルギーの尊さに対して、とっても無自覚である。

私は、と言うと、
夫がそれだけの情熱をもって臨んでいる初めての合唱だと言うのに、家族といえど本番のチケットが手に入らないのでは‥と、心配している。
観客席は、人数がとっても限られているらしい。チケット販売は、10月以降、平日10時より夕方まで、電話のみ受け付け。
無理やん‥(※)

例え本番が生でみられなくても。
夫よ。毎週いそいそと練習に通って頑張っているあなたを、応援しています。


っと、ここまで書いて、
夫は、46歳だったな‥と思い出しました。
四十五の方が語呂がいいから、ま、いっか。


(※)チケット販売について、情報入手しました。どうやら今年は電話予約以外の購入もできるみたいです。
1人8,000円ですけど‥。私とボーイズでしめて24,000円也。そりゃあそうですよね。ドキドキドキドキ‥

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