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本番前のこと

その日、酔っ払ってお風呂に入っていたせいか、シャンプーを2回してしまった。ちゃんと確認してボトルを手に取ったはずなのに、シャンプーという字を見て、頭の中でコンディショナーと変換して頭につけた。
えらく泡立つなぁと思った瞬間、自分のミスに気がついた。笑えてきた。もー、私あほやわ。つけてしまったものは仕方ないので、もう一度丁寧に洗ってから流した。


そして急に30年前の会話を思い出した。


中学一年生の秋、文化祭当日のこと。
私は演劇部だった。一学年で8〜9クラスある大規模校、体育館での公演は二回に分けて行う。一度に数百人が鑑賞するのだから、緊張も興奮もそれなりのもの。
出番やセリフの多い役は三年生。当時の私たちから見たら、二個上の先輩はとても落ち着いて見えた。
私の隣で衣装をつけたりドーランを塗ったりしていた一つ上の先輩は、自分たち同様、かなり緊張しているように見えた。

「昨日寝れた?」
みたいな会話をしていた時だったと思う。
いつも、サラサラのストレートヘアを高い位置でポニーテールにしていた先輩は、
「私、昨日気合い入り過ぎて、3回もシャンプーしたわ。髪の毛キッシキシになった。やり過ぎた」
と言って苦い顔をした。
なんで3回もやってしまったかなー、2回でよかったのに、シャンプー。私アホやわ。と繰り返す先輩の、まーっすぐで綺麗な髪の毛を見ながら、

そうか、たくさんお客さんに見られる公演の前というのは、気合いを入れて2回も3回も髪を洗おう、と人は思うものなんだ。
いや、先輩は普段から、人一倍丁寧に髪の毛をお手入れしているんだろうから、そんな人は本番前も特別で、いつもより念入りにシャンプーしようと思うのだろう。

と、13歳の私は、ふしぎな気持ちでそれを聞いた。
公演前、面接の前、デートの前、何かの本番の前の、いつもと違う心もち。



開演直前。暗くなった体育館に、中島みゆきの「C.Q.」が流れる。
普段は先輩や自分たちで読み合わせや稽古をしていたけれど、本番が近づくと、当時の演劇部顧問の先生が来て演出をつける。音楽も顧問が選んだ。中島みゆきは知っていたが、この曲はその時初めて聞いた。なんて幻想的で、そして美しい音楽だろうと思った。

その時、脚本にはかなり重要なシーンでコインロッカーベイビーの描写があった。「誰かいますか」「聞こえていますか」と繰り返される歌が、物語と重なっていつまでもいつまでも耳に残った。


顧問のA先生はご自分でも劇団を持っていた有名な人だったが、翌年からは顧問を降りてしまい、その後私たちは部活存続のために、主に話のできる学年の教師を捕まえては顧問を頼んでまわることになった。
それはまた、別のお話。



真っ暗な舞台に静かにスタンバイする。ライトが当たる。
自分が、自分であって自分でなくなり、
体育館が、体育館であって体育館ではなくなる瞬間。

私の、初舞台。

私はシャンプーを2回すると、必ず、その時の先輩の横顔と、揺れるストレートヘアを思い出す。もう先輩の名前も覚えていないのだけれど。


今週末、私が長いことお世話になった劇団の公演を観に行く。
客席に座っていても、開幕のベルが鳴り、会場の明かりが少しずつ暗くなるのと比例してBGMのボリュームが上がっていくと、〝あちら側〟に居た時の緊張を思い出して心臓がばくばくいい始める。
役者、裏方、そして観客。全て揃って初めて成立する、お芝居。今時、こんなにコスパもタイパも悪いものはないとつくづく思うが、そこに生まれる〝空間〟〝時間〟は他に代え難い魅力。今からとても、楽しみだ。





中島みゆきの夜会、いつか生で観たいと思いながら、結局一度も観たことがないまま。

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