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第4回世界弓道大会 その2

世界大会から2週間ほどが経過していますが、その場で体感したことは、体に刻み込まれているかのように記憶しています。

時が止まっているかのような、次元を超越した場。
歩く音すら聞こえない所作。

ここまで美しいものが存在するのであろうかと疑問さえ抱く。



世界弓道大会、その1のブログはこちら⬇️


前回の記事では、特別演武「薩摩日置流腰矢指矢」のご紹介だけでした。その演武の様子をお伝えします。


◯ 特別演武「薩摩日置流腰矢指矢」

演武者の皆さんは、ゆっくりした動きで、足並みを揃えて入場。これから、本当の戦に出かけられるのか?と思ってしまうような緊張感を感じます。

甲冑を着ておられますが、一人一人違っています。それぞれの甲冑がどんな意味があるのかは分からず。ただ、先頭から熟練者が順番に並ぶようです。

入場の様子


始めは、しゃがんだまま、遠方用の矢を放ちます。画像の右端の一番の熟練者はほとんどの矢が的に命中していました。

そして、矢が代わり、中距離用を持ち、ジリジリと前進していきます。その時に、両端の人が横から攻めてくる敵を想定し、威嚇のための構えをします。

始まりました

最後は、的の目の前まで進み、弓の先についている短刀で相手にとどめを刺すのです。

最後も足並みを揃え、ゆっくりと退場されていきました。

退場の様子


◯ 愛知県は弓道大国

演武が終わり、競技開始までの休憩時間に、友人の弓道の先生と色々なお話を伺うことができました。

そこで、聞いて驚いたことが、愛知県が日本で一番弓道人口が多いとのことです。その歴史を紐解くと、歴史は古く江戸時代から続いているようです。

愛知県は徳川家康が生まれ育った地。特に三河地方は徳川家康のお墨付きが強く、その頃は一般庶民が弓を持つことはなかったらしいのですが、徳川家康のお膝元ということで、庶民が弓を持ち、それで遊んだり、改良をしながら人の技術と弓の技術が向上していったようです。

時は経ち、昭和の終戦後でも弓で遊ぶ!?志す人は絶えず、地元に根付いていた。しかし、弓を飛ばせる場所がないので、村の住民で知恵を出し合い、地元の中学校に弓道場を作ってもらうことになる。そこで、学生に弓を教える代わりに、自分たちも稽古後に自由に弓を稽古できるように話をつけたとのことです。

そんな歴史があり、愛知県のすべての市には弓道場があります。総合体育館やスポーツセンターにあります。しかし、私の住む小牧市だけ弓道場がないとのことで、弓道の過疎地と呼ばれているみたいです。

しかし、なぜだ、小牧市よ…。


今でも愛知県は弓道人口が多く、大会では全国大会の出場には大変な道のりだそうです。


その友人のお師匠様は、昔から全国大会へ出場される常連だそうです。



◯ 【技術編】矢を放つ時の目線

友人のお師匠様に、ひとつ質問をしました。
「矢を放つ時は、どこを見ているのですか?」

答えは、ぼんやり見ているとのことです。
明確に見るのではなく、弓を握った手を少し逸らし、ぼーっと見るのだそうです。

もちろん、これがすべての人に当てはまることはないとのことです。
ある人は、的の向こうを見る感じだったり、弓、矢と的を合わせて見たりと色々だそうです。



さいごに

今回もアツく文を綴るうちに、程よい文字の量になりましたので、続きはまた今度ということにします。
次は、いよいよ、世界の弓道家が競い合う大会へと進みます。

お楽しみに!


追記
弓道過疎地の我が街「小牧市」
こんなブランドムービーがあったとは…



さすが市長だぜぃ!!

あっぱれ!


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