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Albanian History協力記事【手の込んだ偽物なのか?】オスマン帝国の宝物に関する新たな文献が発見?

オスマン帝国の宝物自体はその帝国の栄華を表すものとして広く知られるところであるし、日本でも展示会が開かれたこともある。

デマか何か? 

アルバニアの歴史を調べているAlbanian Historyは、匿名の情報源からという前置きをした上で、マケドニア方言で「Sveti Grad(スヴェティ・グラード)」(Св.Градь) の場所を主張する写本のスキャンを呈示した。

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写本には洞窟の場所を隠蔽し、隠すために17年間働く70人の労働者」と記載されていたとのことだ。

どうやらマケドニアの占領後、オスマン帝国に宝物を隠し、その宝物を隠すための労働行為が発生していたのではないかというのだ。

財宝を隠すために働く。そして、彼らはその特定の労働行為により財宝発見を欺こうとしていたのかもしれない。

そもそもスヴェティ・グラードってなに?

スヴェティ・グラードはかつてスカンデルベグに属した地域。「スヴェティ・グラードがアルバニア人にとって重要なのはなぜですか?」という質問がAlbanian Historyに寄せられた。これについて「スカンデルベグとバレットにとって重要だったように、アルバニア人にとっても重要です」という旨を返答している。

「スヴェティ・グラード包囲戦」から 570年以上が経過している。 スヴェティ・グラードは History of Skanderbeg に 100 回以上登場する都市だ 。 O.シュミットは「バルカン半島で最も謎めいた城」と呼んだ。

嘘か真か?

この本は、1448年頃(スフェティグラード陥落の年)の古スラブ語のテキストの1875年からのマケドニア語訳であると主張している。

しかし、Albanian Historyは「そもそもの話で、このような機密文書が公的機関などに共有されていないことがあるのだろうか」と述べている。世紀の発見か。

それとも、手の込んだ偽物か――。

真相はまだ分からない。

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(取材協力 Albanian History

文責 デイリーチャンネル)

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