競馬との向き合い方を元ギャンブラーの当事者目線で考えてみた

私としては競馬というスポーツそのものが悪いということではなく、あくまでものめり込むことが問題だと考えている。また、インターネット投票によって、黒字化が進んでいるというが、その反面でギャンブル依存症者を発生させるほどに、のめりこませるシステムが蔓延していることについても考える必要があるのではないだろうか。ここでは実体験をもとに主に競馬を主題としたギャンブルの問題とその辞め方のヒントを探る。

①    馬の競争を見るのは楽しい。競馬名実況のYouTube動画は聴くだけでも心躍るものがある。友人に誘われて何度か競馬場にも足を運んだ。「少額ならばいいか」とJRAの即PATというサイトに登録した。ここから毎週土日は欠かさずに競馬をすることになる。

②    馬の競争を見るのはやはり楽しい。お金を賭けると一味違う楽しさがある。100円で単勝・複勝馬券を買うだけでもハラハラドキドキした。しかし、「自分はギャンブル依存症なのではないだろうか」と思い始める。ギャンブラーについて検索する。自分よりも多く賭けている人が大勢いるようで、自分はまだまだ序の口であると思い始める。そもそもギャンブラーになろうとして始めたわけでもないのだし。「自分は大丈夫」そう思い込む。というか、そもそも依存症になる心配はしていない。ギャンブルではあるのだが、仕事の息抜きができた感じだ。馬の名前を知ったり競馬の情報を仕入れたり知り合いと情報交換をしたりするのが楽しい時期だった。

③    競馬の奥深さに魅了され、調べることや予想することにはより夢中になる。地方競馬も見て、賭けるようになった。各地方の競馬場の特徴や馬の勝ちパターンを研究するようになる。単勝、複勝、枠連以外の賭け方も覚えるようになる。割と高配当の馬券も当たるようになる。
しかし、賭ける金額もこのあたりから増えるようになる。これまでは100円で単勝馬券を買って、190円の当たり等でも楽しめていたものが、このあたりから徐々に楽しさが薄れていく。また、「万馬券も一度は取ってみたい」と思い始める。
いよいよ趣味が競馬になった。しかし、これは観戦ではなく、ギャンブルとして、である。

④    1レース1000円近く賭けるようになる。どの競馬場でも12レースある。つまり2場開催では24レース、3場開催では36レースとなる。参戦レースは選ぶときもあるが、楽しい時期ということもありほぼ全レースに参戦する。これを毎週土日に欠かさずするようになる。合計で2万円くらい賭けるのだが、全て負けるということもなく、プラス収支になる日もあるし、万馬券を取ることもある。もちろんトータル収支で負ける日もあるのだが、回収率70%程度であれば6000円くらいのマイナスのため、趣味程度の認識にとどまるし、そこまで経済的に圧迫はされない。充実度は②の頃に近い。
ある意味、このペースを守れて自分の貯金の範囲で遊べるならばそれを続けても良いと思う。しかし、誰にも負けが込む時期は必ず来る。その時に「負ける時期もある」と前向きになってしまう人はギャンブル依存症への扉を開けてしまう。そのため、できればこの段階で競馬から離れておきたい。

⑤    賭け額を増やし、負け額も増えてくる。ここまで競馬をすると、すでに生涯収支でプラスにすることは難しくなる。胴元有利のギャンブルで勝てる人は10万人中3人であるため当たり前である。これは数学的に実証できる。そのため、もはや勝つ、負けるということよりも、いかに競馬から離れるかが重要となる。
人によりけりだと思うが私はこのあたりからいくら勝っても初めて単勝馬券を当てた時、初めて万馬券を取った時に勝る感動を得ることは無かった。数万円当ててもそこまでうれしくないのだ。本当である。さらに負けても悔しくなる。これが良くない。昔は100円負けたら非常に悔しかった。それが1レース数千円負けても悔しくないのである。「ここで負けても次勝てば良い」というギャンブラーの謎の前向きさを有するからだ。
今振り返れば、この時期になると競馬をする意味などまるで無いのである。

⑥    競馬とは不思議なもので、詳しくなるほど、予想ができるようになるほど経済的に苦しくなる。四六時中競馬のことを考えるようになる。ファンとしてではなくギャンブラーとして。もはや仕事である。一つも息抜きにならない。
今の時代、そして日本の場合はネットで簡単にしかも上限を決めずに銀行口座やクレジットカードから高額の馬券を買うことができる。お金を引き落としている実感を持たずに際限なくギャンブルをさせるシステムを作った胴元は優秀だし、それを規制する法律を作らない国家もどうかと思う。私は辞めることが偶然できたが、ギャンブルにお金を使いすぎてしまう土壌が確実にある。
また、SNSでは様々な観点からマイナスなコメントやリアクションが付きにくくなっている。ネガティブな反応を知ることができないために、人は好きなものにさらに没頭していく。あたかも大勢の人に支持されていると勘違いしながら。競馬があまりにもポジティブなものと捉えられがちなことはあまりにも大きな問題である。もちろん素晴らしいスポーツであるし、私も観戦や実況は大好きなのだが、ことギャンブルを蔓延される現実は重く受け止める必要があろう。
競馬を辞めるならば、可能であれば競馬を肯定する共通の友人を作らないことだ。楽しさが倍増することと、自分がおかしな状態にあることにも気づけなくなってしまうからだ。

⑦    息抜きに始めたはずの競馬。生きがいともなった競馬。それに使う金額が途方もなくなった時、「勝ったからよし」とは思えなくなった。競馬を始めて今読んでいるあなたもいずれそうなる。勝てるからギャンブルをするという発想も危険だ。当たり前だが、先述したように必ずほとんどの人は負ける構造になっているからだ。

⑧    楽しめている時期――。時期というよりも楽しさを味わったら、その時点、その日で競馬とは関わらない生活をすることを強くお勧めする。生きがいと書いたし、万馬券を幾度となく的中させたが、生涯のトータルではマイナスだった。ただ、後悔はしていない。なぜなら、暇つぶしにしては相当エキサイトすることができたし、仮にこれまでのマイナス分を支払って、これ以上に楽しい思いやワクワク感、そして外した残念な気持ちを味わえる事は無かったと思うからだ。今思えば生涯収支はマイナスだが、プラスになった日はやはり嬉しかったし高揚感があった。

⑨    しかし、私は完全に競馬を辞めた。辞めた理由は恥ずかしながら、どうにも負けがこんでいて、ここが潮時だと思ったからだ。この頃にはもう競馬に何の感情も持たなくなった。そんなものに大枚をはたく意味などないだろう。競馬をやめて次の趣味は決まっていなかった。ただ、競馬に出会う前は意外にも倹約思考だったので、貯金をできるように頑張っている。
競馬というギャンブルはエキサイティングであるが、のめり込めばコスパが非常に悪い時期も来てしまう。間違っても儲けようなど考えないことだ。
ひとまず私は平たんな生活の幸せを今後享受していこうと思う。お金を使う楽しさよりも、使わなくても楽しめる考え方を強めていく。

(管理人)

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