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書店主は無口な性格で、それに、気を散らすには自分の職業の対象を愛しすぎていた


ピエール・ド・マンディアルグ『オートバイ』
(生田耕作訳、新しい世界の文学24、白水社、1975年4月5日10刷)

ピエール・ド・マンディアルグ『オートバイ』読了。

マンディアルグ『ラ・モトシクレット』(nrf Gallimard, 1963)
https://sumus.exblog.jp/9846815/

ヒロインの名はレベッカ、19歳で許嫁レーモンがいる。父親は、ジュネーブのデグランジュ街で古書店を経営しているシモン・レス(p98)。その顧客の中年男性ダニエル・リオナールとレベッカは不思議な肉体関係を結ぶ。ダニエルは、レベッカが結婚したとき、巨大なハーレー・ダヴィッドソンを彼女にプレゼントした。そのオートバイにまたがって彼女は夫の国(フランス)と恋人ダニエルのいるドイツを往復するのだ。古書店でのシーンを抜書きしておきたい。

その日彼女は父といっしょに最近買い入れた書物を整理にかかっていた、それを彼女は荷箱から取り出しては、書店主がそのたびごとに呼びあげる値段を最後のページに鉛筆で書きこんだあと、その部類の本棚の上に並べるのだった。

p149

参考までに、最近のフランスでは最後のページではなく、巻頭の遊び紙か扉あたりに値段を書くのが普通のように思う。

 ゆっくり書物は彼女の手からレス氏の手へ、そしてふたたび彼女の手へと移り、競売場のなかのように、規則的な間隔をおいて降りそそぐ、値ぶみの数字のほかには、なにひとつ午後の静寂をかき乱すものはなかった。書店主は無口な性格で、それに、気を散らすには自分の職業の対象を愛しすぎていた。おまけに、彼女とレーモンとの結婚の日取りがきまってからは、レベッカのことにいくぶんよそよそしくなっていた。

p149-150

そこへエンジン音を響かせてダニエルがやって来る。

彼は、手にしていた書物を前におくと(《亡霊譚[スペクトリアナ]》)を集めた書物で、その口絵は、手渡しぎわにレベッカが見ておいたところでは、骸骨が騎士に向かって、墓地へ自分のあとについてくるよう命令している場面が描かれていた)、入り口の扉のほうに頭をふりむけた、レベッカも父にならった。扉が開き、彼らは一人の人物が現われるのを見た、それは、書店主の目には、古い顧客で、友人同様の人間にすぎなかったが、レベッカの目には、正視しがたいまぶしさをそなえていた、なぜなら、ホテルの部屋で彼女の夢の果てに、かたちと肉体を身につけ、彼女のベッドに侵入し、愛欲の手練を彼女におしつけたのは、たぶんこの男だったからだ。

p150-151

ダニエルは「最近入ったスエデンボリの本が見たい」と主人に告げ、主人が奥へ入って本を探している間にレベッカを愛撫する。

 レス氏は、ほとんどみな、古い絹表紙に黒い半鞣皮[なめしがわ]で装丁した書物の山を、テーブルの上におろすと、一冊ずつ、神秘学の愛好家に差し出すのだった。
 「これです」と彼はいった、「今のところお目にかけられるのはこれだけです。テュービンゲン本のラテン語版『霊魂と肉体の交わりについて』『新エルサレム四原則』『天界の幸福と天界の婚礼について』の論考、パリ版で『神の明知にかんする天使の知恵』『天道密意に含まれる言語、姓名および品目索引』。ほかには、おなじ装丁で、『神聖愛および神聖知について』の論考がありますが、これはすでにお持ちのはずです、春に一部お売りしましたから。」
 「まだ読んじゃおりませんがね。」ダニエル・リオナールはいった。「だけど冬は神聖な知恵を勉強するにはうってつけの季節ですからね。神聖な愛のほうは、四時を支配しておりますね。レベッカさんもご異存はないでしょう。ところで、イタリア製の新しいオートバイを手に入れましたよ、北極の雪をすっかり火の海にしちまうほど、真赤なやつでしてね。凍てついた道路もまた、書斎以上にたのしみですよ。失敬!、失敬! 『天使の知恵』と『索引』をいただきますよ。」

p153-154

 「ちょっと拝見。」彼はいった(深い関心を示しながら、それとも装いながら)。「十七世紀ノイエズス会修道士の著作ですな、「『人体の建築家、副題、感覚に破れた唯物論』。これもついでにいただきましょう。和尚さんの文章が表題の約束にそむかなければ、一読の価値はありそうですな。っそれに装丁の皮は、信心深い男の手をくぐったものにしては、めずらしいなめらかさだ。小牛皮かな? このうっすらばら色[3文字傍点]をおびたつやかげん[5文字傍点]、遠くからの照り返しみたいで、見れば見るほど気になりますな? どう思います?」
 レス氏は装丁をさらに丁寧に調べるために、かがみこんだが、そこになにひとつ珍しい輝きを見つけることはできなかった、それは残念なことだった、というのは、常に客の愛書癖をあふりたてることに彼はつとめていたからだ、そのすきに、ダニエル・リオナールは、若い娘にめくばせし、膝にふれた。

p155

とまあ、日本ならさしずめ谷崎みたいな小説である。訳者の「解説」によれば、この小説と映画「大脱走」(スティーヴ・マックイーンがバイクで脱出するラストシーンが印象的)のヒットで《目下、パリでは、若者たちのあいだにオートバイが大流行だという。ホンダ、スズキ、ハーレー・ダヴィッドソン、ノートン、グッツィといった、耳なれぬ名の外国製品が国産車をはるかに圧倒して人気を集めている》(p265)というようなことがあったそうである。

《一部文学通のあいだでは、現代フランス最高の作家の一人として、つとに最大級の評価をあたえられ》た一方で《一般文壇からはつよい反感をもって冷遇されてきた》マンディアグルが、年齢とともに(といっても『オートバイ』は54歳の作、作中人物のダニエルと同じ年頃)、その新鮮さを明らかにし《今日、最新型のオートバイに打ち乗って、ピガル広場を、サンジェルマン・デ・プレを、颯爽と突っ走っている》(p266)。それはともかく、古本屋小説として見逃せない作であろう。


マンディアルグ(本書口絵より)

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