アラフォーがフォーを迎えた思い

2月末から5月初めまで、ものすごくぼんやりしていたけれど、怒涛のように色々ありすぎた。
ロマンス投資詐欺にあいそうになり心のアップダウンが半端なかった。
いや詐欺だったのかよく分からないけれど、それはまたおいおいで。


とりあえずアラフォーがフォーを迎えた。

友人からは、自分にとって輝けるものを見つけて、それに合わせて花開いていってねという言葉とともにプレゼントが送られてきて、凹み過ぎていた私は感動した。


正直、ロマンスの最中、私は自分の人生を諦めかけていた。相手は年下だったが、男性の30代後半と女性の30代後半って気の持ち方が全然違うと感じていた。男性の場合は、もういっちょこれから仕事をがんばるぞ!みたいな気概が感じられたが、私の場合、子どもを産めるのか産めないのか、じゃあこれから残りの人生どう過ごすか、家を一人で購入するかしないか問題など人生の終息に向けて計画をすでに考えてきた。


なぜ自分はそんな考えに至っていたのか。
亡くなった母親の病気が自分に遺伝する可能性が大きいものであったことが一番影響しているように思う。
母親が亡くなった年齢を思うと、自分はすでに人生を折り返している。どうやって、どんな風に残りの人生を生きよう。一人だとパートナーの収入補償もあるわけではない。パートナーが働いてくれているから生活費は大丈夫。自分は自分らしい仕事を探すために学校に入るの♪という人達とは違った。

自分が病気になった場合、働けなくなった時などの不安もあった。仕事を辞めたとき、どのくらいの期間なら生きていけるのかも計算する必要があった。
自分が亡くなった後どうするかもすでに考えた。


とはいえ、遺伝する可能性がある病気も検診を受けておく必要がある。
検診もできるものとできないものがあり、出産の経験があるなしで世間で言われている病気のリスクが違ってくるらしい。検診の種類も変わる。世間の情報はすべて出産経験のある女性が元になっていることが腹立たしい。40代独身出産経験なしはマイノリティ扱いになっている。


そんな母親の遺伝性の病気で自分の人生にセンシティブになり、自分の残りの人生をどう生きるかに考え方が傾いていた。


40歳、もう全然生きる活力が出なくて、これからは自分の経験を人に分けられる人、人を理解して受け入れる人になっていけたらって思っていた。人に安心してもらえる人になっていけたらって思っていた。


でも詐欺未遂(たぶん)を経験した。


そんな考えおこがましかったわ。


私が人を理解して受け入れたからって、相手は私を受け入れてくれるわけじゃないんだ。
私が人を受け入れたからって、私を受け入れてくれるわけじゃないんだ、私を安心させてくれるわけじゃないんだってやっと気づいたわ。

まだまだ受け身になるには、早かった。
そして相手からもそうしてもらえるわけではないんだ。


だったら、受け入れてやらねぇ。もっと自分主体で生きてやる。
長らく、親や仕事の人、周りの人のために生きすぎたわ。
今回連休直前も上司は、人の良心につけこんで、さも当たり前かのように仕事をさせようとする言葉を吐く。こいつ何様だと連休前日の帰り道腹立たしかった。
そんな人間になってやらねぇよ。誰が受け入れてやるか。


自分に標準を当てていく。自分のために、自分が喜ぶために、選んでいく。自分を大切にできる方を選んでいく。


まだまだその選択をしていくには練習が必要で、時々間違うときもあるけれど、積み重ねていくしかないだろう。

結局検診も病院で説明して、違う方法でしてもらった。おそらく私は今は元気なようだ。それが安心できる材料になったことも一つある。


やっぱり私はイキイキしていたい。得意なことを生かしてイキイキしていたい。他人に興味なさすぎて、自分がどんなことが当たり前にできているのかがわからないけれど。


友人が言うように自分が輝けるものがあればよいなぁ。
そこで花開くといいなとフォーは20代のようなことをまだ言ってる。

まずは自分が何に喜ぶのかを知ろう。


実際は、安心できる家庭を築くのが目標。ぼんやりご飯作って、何も考えず過ごしてたいわ。

って人とコミュニケーションをとるのが難しい私の切実な思い。




フォーの時代がいよいよ開幕した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?