神の思いと私の思い

[マルコの福音書 8:31,32,33]

 それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
イエスはこのことをはっきりと話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
しかし、イエスは振り向いて弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

人の子とはイエス自身のことである。
その人の子が苦しみを受け、ユダヤ人指導者に拒まれて、殺されて、そして3日後に復活する。そうイエスは弟子たちに告げられた。
これは、当時の人々が想像するキリスト像とは、あまりにもかけ離れていた。
民衆は、ローマ帝国の支配から解放してくれる政治的な王、救い主としてのキリスト像だった。
私たちは、全知全能の神が多くの苦しみを受け、指導者に拒まれ殺されるなど、
まず考えないであろう。
同様に、当時の弟子たちもそのような事態は
起こらないであろうと思っていたに違いない。
したがって、ペテロはイエスに告げ口をしたのである。
それにしてもイエスがペテロをいさめているシーンはたくさんみかけるが、その逆のペテロがイエスをいさめるシーンはこの箇所がはじめてだ。
ペテロの思いは、私たちにとってもごく普通の意見だと感じてしまうかもしれない。
イエスの居ないペテロ自身のこれからの人生はどうするのか、イエス不在のローマ帝国による政治状況はどうなるのか、なにより救い主として来られた神ご自身があっけなく死んでいってよいのか、そういった思いを巡らせていただろう。
その結果、ペテロはイエスに、
「下がれ、サタン」と戒められた。
サタン呼ばわりされたペテロは、
相当ショックだったと思う。
でも、イエスはペテロをサタンと呼んだのではなくて、サタンがペテロの思いに入ってきて、イエスをいさめるようさせたことについて言及している。
ペテロ自身が神のご計画よりも人のことを思っていたからであった。神が人となること事態ものすごいことだが、そのキリストが殺されることは、もっと考えられないことで信じられない、というのが私たちの自然な感情だ。しかし、それに従ってはならないとイエスは言われ、自分の思いを神に従わせる必要があることを弟子たちに教えた。
私たちは、神の思いと私たちの思いははるかに異なるという認識を持って信仰生活を歩まなければならない。人の益、自分の利益を第一優先とする歩みは、ご利益宗教となんら変わらない。
納得できかななる事態に遭遇しても、この先に何か神の素晴らしいご計画が存在することを期待していきたい。

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