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悲劇のチェリスト、デュ・プレの名演奏について

チェロの名手として知られるジャクリーヌ・デュ・プレは、1945年にフランスのパリで生まれました。幼い頃から音楽の才能を発揮し、5歳でチェロを始めました。10歳でパリ音楽院に入学し、13歳で初めて公開演奏を行いました。その後、イギリスやアメリカなどで活躍し、世界的な名声を得ました。1968年にロンドンで行われたエルガーのチェロ協奏曲の演奏は、デュ・プレのチェロの魅力を最もよく表現したものとして、今でも多くの人々に愛聴されています。この演奏は、彼女が夫である指揮者ダニエル・バレンボイムと共演したもので、二人の深い愛情と信頼が感じられます。

しかし、デュ・プレはその後、多発性硬化症という難病にかかり、1973年にはチェロを弾けなくなりました。この病気は、神経系に障害を起こすもので、手足のしびれや筋力低下などの症状が現れます。デュ・プレは最初は病気を隠そうとしましたが、次第に演奏に支障が出るようになりました。彼女は必死に治療を試みましたが、効果はありませんでした。彼女はチェロを弾くことを諦めることができず、何度も舞台に立とうとしましたが、失敗することが多くなりました。彼女はチェロ以外のことに興味を持とうとしましたが、やはり音楽がなければ生きていけないと感じました。彼女は夫や家族や友人からの支えを受けましたが、やはり孤独や苦しみを抱えていました。そして、1987年にわずか42歳でこの世を去りました。彼女の短くも激しい人生と音楽活動は、多くの人々に感動と悲しみを与えました。

今回は、デュ・プレが1968年に録音したドヴォルザークのチェロ協奏曲について紹介したいと思います。この演奏は、エルガーのチェロ協奏曲と同様に、デュ・プレの代表作のひとつとして高く評価されています。デュ・プレは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を得意としており、この曲を何度も演奏していますが、この録音はその中でも最高傑作と言えるでしょう。

デュ・プレは、どんな曲でも全身全霊で演奏することで知られていますが、この録音では特にその情熱と迫力が際立っています。彼女のチェロは、まるで生き物のように息づき、歌い、叫びます。第一楽章では、ドヴォルザークがアメリカで作曲した時期の影響を受けた民族的な旋律やリズムを豊かに表現し、聴き手を魅了します。第二楽章では、ドヴォルザークが故郷ボヘミアを想って書いた哀愁あふれる旋律を深い感情で歌い上げます。第三楽章では、ドヴォルザークが自らの成功を祝って書いた華やかで勇壮な旋律を力強く演奏し、聴き手を圧倒します。

この録音の数年後には、デュ・プレはチェロを弾けなくなる運命に直面します。そのことを知って聴くと、彼女の演奏には何か予兆や予感があるようにも感じられます。彼女のチェロは、まるで自分の人生や音楽に対する執着や愛情や苦悩や希望や絶望をすべて吐き出そうとしているかのようです。彼女のチェロは、まるで自分の死を覚悟しているかのようです。

しかし、それは私たちが後からそう思うだけかもしれません。実際には、デュ・プレはこの録音の時点ではまだ病気に気づいていなかったかもしれません。彼女はただ純粋に音楽に向き合っていただけかもしれません。彼女はただ自分の持てる力をすべて出し切っていただけかもしれません。彼女はただ自分の感じるままに演奏していただけかもしれません。

それでも、私たちはこの演奏に感動します。私たちはこの演奏に涙します。私たちはこの演奏に敬意を表します。なぜなら、この演奏は、デュ・プレのチェロの魂が語りかけてくるからです。この演奏は、デュ・プレのチェロの生命が輝いているからです。この演奏は、デュ・プレのチェロの美しさが永遠に残っているからです。


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