見出し画像

おおよその精神論はだいたい「技術」で解決できるのでは?という仮説

疲れている時とか、なんで他の人はできないんだ!って時、つい精神論で解決しようとしてしまう。

例えば、

「ユーザー目線になれ」
「視座をあげろ」
「素直になれ」

この辺。

で、これって言われた側からすると、すっごい曖昧でよくわからないし、しかも精神論で若干人格否定に聞こえてしまうのが問題。

ただ、今日ちょっと仕事をしていて、この辺って普通に技術なのではないかな??と思った。

というのも、ほったんとして、今日インターン生にユーザー目線についていろいろと伝えたんだけど、「あれ、これって普通に技術やん!精神論とかセンスじゃなくて、超リアルなユーザーを想像できて、その人がどう考えるかのトレーニングで解決するじゃん」というのが自分なりの発見だった。

同様に、視座についても、多分このnoteで書かれているとおり、多分経験できる環境とか、機会があれば、わりと技術として解決できるのでは・・・と思った。

素直さも、厳密に言えば「自分の心を直視できる技術」だと思っていて、その辺は認知行動療法をはじめとする技術がたくさんある。

思えば、精神論って、伝える側がなんか適当なこと言っておけば、体裁も保てるし、なんかいった気になる黒魔法で、もしそういう言葉でフィードバックしているなら、あかんな...と思った。

参考までに、エーリックフロム先生も「愛」=「技術」といっていて、愛するということの技術を解説している。

精神論で解決したくなってきたら、技術に変換できないか、注意深く自分自身を自己批判していきたい。


サポートでいただいたお金はFanzaの動画を購入するために利用されます。