スピリチュアルカウンセリングの話
スピリチュアルタスクのすすめ
現代アドラー心理学にはスピリチュアルタスクという考え方があります。
より良い人生を生きるためには
・神との関係性/宗教について
・宇宙について
・形而上学的問題について
・人生の意味について
のようなことを考えようというのです。
どうしてでしょうか。
アドラー心理学指導の第一人者の野田俊作先生はこんなことを言っていました。
「私たちがノンスピリチュアルである場合。私たちは人間を超えた集団については考えない。必然的に私たちは人間の集団にのみ所属することになる。私たちには所属欲求があるから、そのために①他人が自分をどう評価するかによって行動を決めるようになる②①のために他人を操作したり、自己の防衛をしようとする、というような問題が起こる」
ちょっと難しいでしょうか。
昔の日本人は、今よりも神様、仏様、ご先祖さま、お天道様の存在を信じていました。その場合、私たちは人間の集団にのみ所属しているのではなく、神様などとの関係の中にも生きているわけです。
だから、神様などの視線を感じながら「やはり、こう生きよう」「これはしないでおこう」などと考えて
周りの人間がどう言おうが、言うまいが、自分が生きたいと思う人生を生きる余地があった。
人間社会の中だけで生きていると、周りの人の反応に影響を受けやすくなる。そして、自分がこの社会で生きやすくなるために、人を変えようとしたり、自分を誤魔化したりしてしまう。。。。
そんな話なわけです。
また、野田先生は別のときに、こんな話もしていました。「戦争が起こるのはその国が自国にとっての幸せを考えているからだ。人類の幸せを考えているなら、戦争は起こらない」と。
だからより大きな共同体を感じながら生きていくことが大切なのだと。
いま生きている人類だけではなく、ご先祖さまや、これから生まれてくる世代のことまで、含めた人類共同体を考えた時に、私たちは、より全体にとって良いであろう生き方が選択できるようになる。
そう生きることが、私たちが望んでいることなのではないか。そんな問いかけなわけです。
だから、僕はクライアントさんたちと長いタイムラインをイメージしてみるのです。地球全体やそれを超えた関係性の中で人生を考えてもらうのです。
随分前に、僕に相談にきてくれた20代女性のことを思い出します。
彼女は悩んでいました。一見バリキャリで、リア充。でも言うのです
「生きている意味がわからない」
「虚しい」
「人生の目的がわからない」
そして
「どうせ人は一人で生まれて、一人で死んでいく」
「誰一人、本当の私の気持ちなどわかってくれないし、私も人のことなどわかりようがない」
聴いて思いました。
その通りだな。と。
彼女が言っていることは正しい。今周りで求めらていること、良いとされていること、それができていたとして、何だというのか?
彼女はクレバーでした。だから悩んでいたのです。
僕は、本棚から人類の歴史図鑑を取り出しました。そして彼女と一緒に眺めました。
そして
石器時代の人々の暮らしを二人で想像しました。洞窟などに住んでいた私たち。採取狩猟生活をしていた私たち。多産多死の世界での生活。
その時、私たちはどのように人生を生きていたのか。私たちはそのとき、人生をどう見ていたのか。何が大変な暮らしを支えていたのか。そしてどうやって私たちは命を繋いできたのか。
その人生を想像したのです。
そこには生への渇望があった。人々との分かち難いつながりがあった。人だけではない。その環境や、そこに生きる様々な生命や、そして霊的なものとのつながり。。。。畏敬の念。。。そして、大きなものに身を委ねながら、目の前の物事に取り組む姿勢。。。。
現代に生きる私たちは、そうしたつながりを忘れてしまっている。人工の狭い世界の中に生き、それが世界だと勘違いをしている。。。それが苦しみの根源かもしれない。。。
だから、その小さな世界を出て、イキイキと生きている人と出会おう。豊かな自然、厳しい自然と出会おう。自分の心が動くのを感じよう。自分の内側に流れる生命がイキイキとしだすような人生を生きよう。そう生きながら、そこで人生の意味を問い続けよう。
二人で話しながら、自然とそんな結論に流れ着きました。
私たちの生きるプロセスが滞ってしまうのは、不自然な環境の中に生きているからなのかもしれません。
より自然の中に身を置いてみる。そして自分の内側にある生命。外側にある生命に触れてみる。
より広い空間を感じてみる。その中に身を置いてみる。
より長い時間を感じてみる。その中に身を置いてみる。
その中で人生の意味を問いかけてみる。
そうすることで、私たちは、自らの”生”の意味を、普段とは違った形で感じられるのではないでしょうか。
そして、そのときに自らの内側から聴こえる声
・こんなふうに生きたい
・こんな世の中にしたい
それが、私たちの魂(スピリット)の声なのではないか
僕はスピリチュアルというものをそんな風に考えています。
不思議な出来事との遭遇
とはいえ、それだけではありません。
長年、コーチングやカウンセリングの現場にいると不思議なことにも遭遇します。とくに催眠療法などトランス(変性意識状態)を扱う現場にいると、奇妙な体験をするわけです。
クライアントと一緒にワークをしていて、二人してとんでもないビジョンを一緒にみてしまうようなこともあります。言葉を超えた世界に二人で入ってしまい、一緒に何かとてつもない体験をしてしまうようなこと。。。。
もしくは、クライアントと二人でしたワークなはずなのに、そのことと呼応するかのように、直後から周りの世界がどんどんと動き始めてしまうこと。
人の内側の世界に深く入っていくと、それが大きな世界とつながっていて、そこから人生の意味を教えれたり、そこでしたワークによって、世界が変わってしまうような体験。。。。
僕も始めてそんな体験をしたときは受け止めきれなくて
「なんだこれ。。。。」とか思ったわけです。
何度かそんな体験を経た後に、晩年のカール・ロジャーズの言葉を読んでハッとしたことを覚えています。
ロジャーズはリラックスして、彼の内側にある核心部分に近づいていく。それは超越的(自分を超えている)な部分だ。そこから生まれる直観とともにいて、普通(のセラピー的)ではない関わりをするのだ。それは彼の魂が相手の魂にふれるような体験だ。そのとき彼らの関係は、それを超えたより大きなものの一部である。
そっか。やっぱりこういう世界があるんだろうな。と思ったのです。だから自分がした体験もそれでいいんだ。と。
ロジャーズは相手に①無条件の肯定的な関心を持ち②相手の視点に共感しながら、相手を正確に理解しようとし③それをしている自分自身の内側と一致していようとし続けた。
その結果辿り着いた境地が、より大きなものとつながり、何か直観に突き動かされ、そうしてみると、お互いにとって本当に必要なこと、そして驚くべきことが起こるということなんだ。
私たちがまだ明らかにできていない何かがそこにある。解明されることをまっている何かがそこにあるのだ。
ロジャーズと一緒に人間性心理学をつくったアブラハム・マズローも、晩年に人間性心理学を自ら乗り越えていくような動きにでます
彼もまた自己実現の探究をしていく中で、自己実現を超えた世界の存在に気づき、それを自己超越と名づけ、その探究を始めることになったのです
トランスパーソナル心理学の理論的支柱でもあるケン・ウィルバーは
人は
プレパーソナル→パーソナル→トランスパーソナル
と成長していくと指摘しました。
プレパーソナルとは生まれたての赤ちゃんのように、未分化で自他が別れていない状態です。
わたしたちはここからスタートして社会の中で個としての自分を確立していくわけです。それができた状態がパーソナルという状態です。これが自己実現への道なわけです。
それまでの心理療法は、この部分のサポートをしてきたわけです。現代においても多くのコーチングカウンセリングがこの部分「プレパーソナルからパーソナルへの成長」をサポートしているわけです。
ただしケン・ウィルバーは、その先があるというのです。それがトランスパーソナルです。これが自己超越ですね。そしてそれは、私たちの知っている表現だと、悟りへの道です。神や宇宙との合一、境界がない世界へと至る道なのです。
もちろん僕はそんなことはできてませんし、その世界のイメージすら良くわかりません。
しかし、より大きな共同体感覚を実感すること。そのつながりにリアリティを感じ、私ではなく、私たちという表現が普通になること。それはイメージがつきます。
そしてその先に、きっと人類を超えて、大きな生命や宇宙全体と一体感を感じる世界があるだろうことも想像はできるのです。
そのような世界に少しでもリアリティを感じることができれば、人生の意味は違って見えてくるはずです。
人間社会に生まれて、これまで生きてきたなかで作られてきた「◯◯すべき/すべきでない」「××できない/するしかない」のような思い込みから自由になり、現実をありのまま受け止める世界。
こうありたいと思う姿をそのまま生きる世界。自分の幸せと人の幸せに区別がない世界。
そういう世界に近づく可能性が誰にでもある。そこに向かって成長できる。
それがトランスパーソナル心理学の世界なのです。そんな考え方に基づいて、クライアントとワークすること。そしてクライアントがより大きな世界に目覚めていくこと。その気づきを生かして、大きな世界とつながりながら、人生の課題に取り組むこと。
それが僕のスピリチュアルカウンセリング、コーチングです
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