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入院29日目:大部屋に移動のお母さんともう一人のお母さんのような存在

家の裏山には竹林があり、毎年祖母や母が筍をとっては料理にしてくれた。

筍は家でとれるもの、そして春にしょっちゅう食べるもの。
私にとってはそうだった。
お店でタケノコの値段を見た時、あんなに高いと知ってビックリしたのは数年前のことだ。

 
祖母は亡くなったし、今年、母は入院してしまった。 

「今年はタケノコ全部つぶすね。」父が言う。
タケノコは放っておくと伸びきってしまう。食べないならつぶすしかない。
タケノコはアク抜きが大変だし、手間だ。とてもじゃないが、私にそれをやる余裕はない。
父からの提案はありがたかった。

タケノコを春にたらふく食べられるのは恵まれた証拠だった。

 
母が育てたネギやニラはニョキニョキと元気いっぱいだ。
こちらはとって使っていこうと思う。
こちらの泥落としも面倒だが、タケノコに比べたらまだマシだろう。

 
 
社協でイベント販売担当でとても優しく仕事ができる方が、3月いっぱいで退職になった。
今までたくさん支えてもらった。心強い方だった。
続く時は続く。この方まで辞めてしまうとは。

今年の春は寂しい別れが多い。

 
 
今日の午前中、お母さんは二人部屋から大部屋に移った。
二人部屋だと一日につきプラス3300円かかるので経済的にはありがたい。

検査入院の時、ベッドは廊下側で、今までは窓際で、移動により再び廊下側になったらしい。
窓際ではなくなって残念だろう。だが、移動のしやすさなら廊下側なのだろうか。

相部屋の方の一人とは話し、もう一人は塞ぎ込んでいたとのこと。

 
昨日からお見舞いの制限がゆるくなり、先日お見舞い金を持ってきた親戚が今日行ったらしい。
入院してからの母に会うのは初めてだった。多分ビックリするだろうな。

  
大部屋に移動したことで、これから洗濯をするらしく
入院時にオススメのハンガー等を購入した。

また、ベッド柵に取り付ける物入れも購入。

使い勝手はどうだろうか。 

 
 
午後、前の職場の同僚…上司であり、主任でもあった方が施設に見学に来た。
私はちょうど納品に出掛けるところで、軽く挨拶だけした。
どうせならもっと話したかったが、タイミング的には挨拶もできずに納品になりそうだったし、色々重なって納品の時間が今日はたまたま遅くなったのでラッキーだった。
お陰で挨拶はできた。

変わらず元気そうでホッとした。
洋服も見覚えのある服だった。

 
納品から戻った時には、もう帰っていて会えなかった。残念だ。
その元同僚は前施設長に「ともかさんは娘みたいな存在で、送り出した気分。」と伝えたらしい。
今でもそう言ってくれて嬉しかった。
一緒に働いている時もよくそう言ってくれた。

だから私は「私にとっても母のような存在で、実習生時代からお世話になりました。施設長ではないですが、実質施設を回しているすごい方ですよ。」と言った。

 
そう、お母さんのような存在だった。

一緒に泣いて笑って怒ってケンカして支え合って悩みを話し、愚痴を話した。
仕事や福祉や生き方を教えてくれた。 
心から尊敬し、信頼していた。
一緒にずっと仕事をしたかった。

 
今の職場にはお母さんのような存在はいない。

怒ったり、ケンカにはならない。
私が心を開いていないから。

 
私は怒ったり、ケンカが苦手だ。
大抵は自分が我慢してしまう。
そんな私が怒ったり、ケンカできるのは
その人に甘えているからだ。
分かってほしいと願っているからだ。

もしくはよほど私が相手に腹を立てていて、嫌われてもかまわないくらいに思っているからだ。

 
元同僚は、うちの職場の取り組みや発想に感心していたらしい。
確かに前の職場と真逆なやり方をしている。
私も入職当時は驚きの連続だった。

 
だけど、だ。

やり方は素晴らしいかもしれないけど 
上の価値観ややり方に私は疲れている。

 
恋愛において、条件だけでは人を好きになれないように
私はやっぱり前の職場が好きだし、骨を埋めたかった。

前の職場のやり方が性に合っていたし
前の職場の利用者はかわいかったし
保護者も同僚も優しかった。

 
「もう少しともかさんと話したかった。」
そう元同僚は言っていたらしいけど
私も同じ気持ちだった。

母のことや仕事について話したかった。

 
「戻ってこない?」

そう言ってくれないだろうか。
送り出した娘が出戻りしたいと願ったら、受け止めてくれるだろうか。

 
前の職場のみんなの笑顔が浮かぶ。

会いたい。会いたい。会いたい。

 
前の職場を離れるしかなかったあの日、私の人生は終わったようなものだ。
今の職場で得たキラキラは、あの頃の輝きには今でも勝てない。

 
 
もう一人のお母さんへ。

私の退職は、人生で唯一の誤った選択だったかもしれません。
退職して4年経った今、私は居場所も帰り道も失ってしまいました。

日々なんとか生きて忙しさで虚しさを誤魔化しているけれど
結婚もできないし、お母さんは障害者になってしまったし
これからの未来を思うと、急に怖くて仕方ない時があります。

 
そう言ったら、あなたならなんと言ってくれますか。


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