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入院21日目:入院前と入院後の変化


家族、特に母親が入院というのは非常に大きい。

我が家は主に母が家事をしていて、父が一部手伝っていて
私はほとんどしていなかった。
父か母がいない時に役割を手伝うくらいで、親の脛をかじる実家暮らしな30代だった。

 
そんな私が母の入院を機に家事を担うようになったのだから、人生とは何が起きるか分からないし、環境とは大きいと思う。


母が入院した頃は父も疲れていて洗濯を私に丸投げしていたが
私も疲れがたまり、母入院15日目くらいで洗濯当番を父に戻した。

 
年に数えるほどしか包丁を握らなかった私だが(朝はパン派だし、休日は外食や残りもの、買ってきたものを食べることが多かった)
今のところ毎日違う夕飯を用意している。

もちろん、浅漬けや卵炒め等おかず定番は何度も作っているが。

 
以前は、土曜日はどこかに出掛けたり、ライブに行き
日曜日は午前中くらい出掛けるか、ほとんど家でグダグダ過ごしがちだった。

昼寝も休日は一時間くらいしていた。

 
だけど、母親が入院してから忙しなくて、睡眠時間が減り、自由の時間がほとんどないにも関わらず、やりたいことだらけで昼寝はできなかった。

 
今まで私は生活費を毎月3万円家におさめていたが
それに加えて
母が入院してから、食費や生活に必要なものは私が買うようになった。

 
軍資金として父から3万円の現金と色々なお店の商品券6万円、QUOカード5000円分をもらう。

生活費や食費は計算しやすいが、母への差し入れの諸々がなかなかにかさみ、お金の使い方がちょうどいいか使いすぎか今はよく分からない。

なんせ私は一人暮らしをしたことがない。

 
 
このやり方でいつまでやっていくかは母のリハビリ次第なのだろうけど、とりあえずはやってみるしかない。

 
 
日曜日の朝は比較的まったりだ。
漬物をつけたり、お米をたいて一週間分ストックしたり。

久々に晴れて嬉しい。

 
父から食洗機をたまには使ってほしいと頼まれる。
私は手洗い派で、今の家に引っ越して10年以上経つが、まだ使ったことがなかった。

結局は軽く汚れを取らないといけないし、洗剤を間違えてもいけないし、食洗機不可の食器もあるし、食洗機使うと手入れも派生する。

たまには機械を稼働させないと、と父が言う。
それなら乾燥機能だけ使おうかな。

 
同じ理由でグリルも使っていない。
掃除がめんどい。
魚を焼くならフライパンとアルミ箔で十分だ。

 
 
 
今日はお母さんが転院してから初めての面会だ。

転院先の病院は建物を新しくしてから私は行くのは初めてだ。
面会15分前に着くと、外や院内でリハビリをしている人が何人もいた。

杖等で歩く人の横には必ず医療従事者がついていた。
普段私が仕事をしている姿と重なる。
お母さんもリハビリが上手くいったらこうして外を歩くのかもしれない。

 
時間になり、面会室へと移動する。
入口で紙に名前などを書いていると、お母さんがついたて越しに手を振った。
もう待機していた。

 
お母さんと私達の間にはついたてがあり、ついたて越しに話をした。
タイマーがセットされる。話せる時間は15分だ。

まずお母さんに、頼まれていたぬいぐるみを渡す。
お母さんはペンギンのぬいぐるみを愛用しており、私はウーパールーパーの赤ちゃんのぬいぐるみをチョイスして渡した。

 
こちらお母さんの相棒のぬいぐるみ。
洗濯のため、一時帰宅。代理がウーパールーパー。
病院の持ち物は全て名前を書かなきゃいけないけど、まさかのぬいぐるみにも名前が書いてあった。笑えた。

手触り、サイズ感、かわいさどれも気に入っていた。よかった。
看護師さんからも好評だった。

 
15分は早い。
主にリハビリの話やお父さんが保険等の話をしている間に時間は過ぎた。

今は匍匐前進をして落ちたお尻付近の筋肉を鍛えたり、足がグニャッとしてしまうのでそこを頑張ったり、バーにつかまって歩行訓練をしているらしい。
顔色はよい。
ご飯も美味しくて太ったらしいし、差し入れも前の病院より融通がきくようだ。

 
ついたて越しにタイマーセットの面会は刑務所みたいだとお父さんは言い、私はアイドル現場のようだと言った。
アイドル現場もしばらく行っていない。
仕事が落ち着いたら行こうと思っていたのに、家庭は家庭でこんな状況になってしまった。

 
 
帰り道、お父さんと軽く買い物をして、道中桜がキレイだったので見た。  

お父さんと二人で出掛けるなんていつぶりだろうか。
こんなことがなければ、出掛けなかっただろう。

空は青空でお出掛け日和だった。

「ともかには家のことで迷惑ばっかりかけてすまないな。」

帰り道、お父さんが呟いた。

 
確かに家事の負担は増えたし、外出は制限がかかるけど、でも私には不満は特になかった。

私の不満や負担や憂うつはあくまで仕事だった。

 
転職して三年が経って
三年が経ったからこそ
かつて前施設長が言った「三年経たないと(この職場は)一人前にはなれないわよ。」という言葉が響く。

一人前になったはずの私は、結局三年経っても、今の仕事を向いていないと思う。

 
人生に悔いは一つもないけれど
一つだけ、そう一つだけ私は選択を誤ったかもしれない、とは思う。

例え理不尽な人事異動があったとしても、私はあの職場を離れるべきではなかったかもしれない。


夕方、母からLINEが届く。
ぬいぐるみはバブちゃんと命名され、気に入った様子。

 
 
LINEを読んだら泣けてきた。
また明日から一週間が始まる。



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