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真咲ともか
2024年4月22日 06:10
今日は桜が2~3分咲きであたたかな陽気だが今週と来週は雨や曇りの日が続く。桜が咲くといつも天気が崩れる。 ポスティング作業中に桜が6分くらい咲いていた木があるので写真を撮って母に送る。毎日どこかしらに出掛けたり、外で活動が好きだった母が、今は病院の中にずっといて、ほとんどがベッドから見る景色だ。明日は転院のため久々に外に出る。どこかで直接桜が見られたらいい。 仕事で、リ
2024年4月21日 08:14
4月1日。新年度が始まった。今日からしばらく仕事を休んでいた同僚が復帰し、代わりに今日から利用はずだった多動の利用者がしばらく休みになりちょっとだけゆとりを持った一日の始まりだった。 今週か来週仕事で花見に行く予定で、来週は雨になりそうなので急遽今日行くことになる。桜はまだ3分咲きくらいだろうか。晴れ予報だったが、花見場所に着いた瞬間にお天気雨が降る。予想外だ。 雨が思
2024年4月19日 07:03
母親が入院した時、私は「夕飯は作るけど朝ごはんと昼ごはんは作らない。」と言った。元々平日は各自朝ごはんを食べていたし、休日朝ごはんはみんなで食べたが、昼は各自だった。夕飯は多めに作っているし、インスタントもたくさんあるし、それでどうにかしてくれと父に言った。 だから日曜日の朝は気楽だった。私と父はあまり白米を食べず、二人だと一週間で二合も食べなかった。だから二合分炊いてあとはスト
2024年4月18日 06:55
土曜日。寝ても疲れがとれない。本来の予定では職場送別会が11:00開始で一時間で私は抜けてライブに行く予定だったが送別会は不参加にして正解だった。ライブ会場は我が家から片道二時間半かかるし、送別会会場からなら三時間以上かかる。 送別会の写真がグループLINEで送られてきた。私以外の職員は行ったらしい。楽しく過ごせたなら何よりだ。体調不良で約一ヵ月休んでいた同僚も来ていた。来週
2024年4月12日 06:59
母親が入院して二週目の金曜日を迎えた。明日はライブの予定だが、まだいまいち実感はわかない。日々家事に追われ、自分のことは後回しにしているし、時間があるなら眠りたい。父は父で毎日ウォーキングが日課だったが、今はできていない。母と一緒に見ていた連ドラも見なくなっていた。それでも先週よりはまだ余裕を感じる。母はリハビリがスタートしたし、本来の明るさを取り戻してきたし、時間の使い方を学んでき
2024年4月11日 06:50
母から動画がLINEで送られてきた。リハビリを頑張っていて、体調もいいようだ。動画は顔のアップから始まり、やたらと鼻や口がアップになりファンキーな作りになっていた。会話や表情は明るい。ユーモラスな母の一面とカメラ下手な母の一面がよく出ていた。今日はベッド上でリハビリをしたようだ。経過はいいらしい。 お父さんが車椅子を押そうとしたら、「甘やかさないで。」と自力で頑張っていたら
2024年4月10日 06:55
仕事が、しんどい。肉体的にというより、メンタルがやられる。リーダーがいなくなり、上が仕切るというのは予想通り、いい方向にはいっていない。現場は不満がたまっていく一方だし、人手不足からトラブルばかり勃発する。イライラする。やけにイライラする。仕事を辞めたい。そう何度も思ってしまう。だけど、これから家族の収入は減るし、母の入院費用はかかるし(免除されて月58000円くらいらしい)辞
2024年4月9日 06:58
入院八日目。朝、5:30に母からLINEが来る。入院前は6:30まで熟睡していたが、昨夜はよく眠れなかったのだろうか。 今日からリハビリスタートのはずだが、LINEはない。予想より動かなかったり、しんどかったり、疲れが出たのだろうか。 私がnoteに記録をしているように、父は病院から言われたことなどを記録し、母はノートに思いを書き出したようだ。家族みんなで記録している。親子
2024年4月8日 07:02
母の入院から一週間が経った。あの日は晴れていたけど、今日は小雨の朝だ。 通勤途中、母からLINEが届く。 一週間前の7:45は、まだ誰も母の不調を知らなくていつも通りの朝が始まると思っていた。 この一週間で、確かに生活は大きく一片した。 ほとんど家事も料理もしない生活だった私が毎日家事や料理をこなしている。土日に出掛けたり、読書が好きだったし、物欲も強かったけど
2024年4月6日 07:38
日曜日。特に予定は入れていない日曜日は、母が入院前はグダグダデーだったが、もうそうはいかない。 朝は一人ならササッとパンでいいが、父はパンが嫌いだ。夕飯の残り物や賞味期限の切れそうなもので炒め物中心の料理をした。昨日浅漬けも作っておいたし、ご飯は多めに炊いたので、これで数日はもつはずだ。 チャイムが鳴った。近所の方だった。救急車が停まったことや母の姿が見えないことから様子を
2024年4月5日 07:10
怒濤の一週間を乗り越え、ついに土曜日になった。仕事がない日ならば、お母さんと面会できる。毎日LINEをしているとはいえ久々にお母さんに会えると思うと嬉しかった。 お母さんも楽しみにしているらしく何時くらいに来るのか、とか、差し入れを持ってきてほしい、とか、今日も元気だとかLINEしてきた。 一度も一人暮らしをしたことがない私は約40年間母と暮らしているし母と離れて過
2024年4月4日 07:02
入院四日目。 朝、県内では震度3~5弱の地震があった。私は利用者の避難経路を確保しながら母が心配になり、LINEをした。 母の病棟は七階で、しかも今は自力で立てない。何かしらがあった時に自力でササッと逃げることさえできない状況が、改めて私は怖く、不安になった。やはり七階は揺れ「死ぬかと思った」らしいが、無事だとLINEが来てホッとした。 入院四日目、母のLINEに変化が見
2024年4月3日 06:55
入院翌日、病院先からよくない電話があってビビッていたが入院三日目、昨日と同じ時間に電話が鳴らなかったのでホッとした。 朝食や夕飯は昨日の残りもので大丈夫だろう。私は父のご飯ばかり心配していた。私は相変わらず食欲はなく、夜寝付きも悪かった。給食もあまり食べられなかったが給食で栄養はある程度とれるのがありがたかった。 入院三日目の日、父は仕事が休みでその日も面会に行った。
2024年4月2日 06:51
寝不足で疲れがたまる中、翌日職場に行った。新施設長からすすめられたように、本来ならば休みたかったが今後がどうなるか分からないしそうなると休むわけにはいかなかった。 同僚や前施設長に、昨日急遽帰った件を謝罪し、事情を説明した。 夕方、見知らぬ番号から電話がかかってきた。携帯ではなさそうだったので電話に出ると、母が入院している病院からだった。心臓がドキッとした。 看護