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母が脊髄梗塞になってからの記録

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母が救急搬送された日、右足が動かなくなっていた。
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#面会

入院24日目:いつもハイテンションですっっっごく優しい人

入院24日目:いつもハイテンションですっっっごく優しい人

今から一年前は足を骨折し、三週間仕事を休まざるを得なかった。

車椅子に乗って一人で大学病院に通院したり、お父さんが珍しく発熱して長引いたり、それで久々にお母さんと一緒に寝たり
結果的にはお母さんや私にも風邪が移ったりと
健康について考える日々だった。

時間がたくさんあり、横になってばかりだった、あの頃。
今はやることがたくさんあり、昼寝する余裕はなくなった。

 
あの頃、ありあまる時間を使っ

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入院16日目:母の転院

入院16日目:母の転院

その日は朝からどんより曇りで肌寒かった。

母の転院日は入院16日目の日、9:30だった。

 
母の病室はみんな救急車で搬送された検査入院の人で
母の隣のベッドの方は私と同い年くらいで、毎日泣いているらしい。
母より先に転院が決まった人も何人もいるとか。

母は同じ病室の人への愚痴は言わなかったから
相部屋はそこそこだったのだろう。

 
本来ならば、母の転院日は私も休みを取るべきだったろうが

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入院6日目:二日連続面会

入院6日目:二日連続面会

日曜日。
特に予定は入れていない日曜日は、母が入院前はグダグダデーだったが、もうそうはいかない。

 
朝は一人ならササッとパンでいいが、父はパンが嫌いだ。
夕飯の残り物や賞味期限の切れそうなもので炒め物中心の料理をした。
昨日浅漬けも作っておいたし、ご飯は多めに炊いたので、これで数日はもつはずだ。

 
チャイムが鳴った。
近所の方だった。

救急車が停まったことや母の姿が見えないことから様子を

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入院5日目:救急搬送以来の再会

入院5日目:救急搬送以来の再会

怒濤の一週間を乗り越え、ついに土曜日になった。
仕事がない日ならば、お母さんと面会できる。

毎日LINEをしているとはいえ
久々にお母さんに会えると思うと嬉しかった。 

 
お母さんも楽しみにしているらしく
何時くらいに来るのか、とか、差し入れを持ってきてほしい、とか、今日も元気だとかLINEしてきた。
 

 
一度も一人暮らしをしたことがない私は
約40年間母と暮らしているし
母と離れて過

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