出版が人生を変えてくれた
紙の本の出版はまさに僕の人生を変えてくれた。
この本が無かったら今の僕はいないと言って間違いない。
本を出版したことによって雑誌社からの取材が増えた。
よく読んでいた『AERA』『日経ビジネス』『プレジデント』『LEE』
こうした大手の雑誌社から取材が舞い込んできた。
この頃の僕は地に足のついていない状態だった。
どんどん舞い込んでくる取材の依頼に有頂天になり、勘違いを起こし始めていた。
依頼も増えてきた。
出版したことによる信頼性の力は大きく企業からの案件も増えてきた。
企業が不祥事をした際の謝罪の文章や、営業のためのセールスレターの書き方や
企業の文章研修といった講師業の依頼まで舞い込んできた。
お金が無くてマンションから飛び降りるほど悩んでいたのに、あっという間に収入は爆発的に増えた。
テレビにも出るようになっていた効果から、
同じマンションに住む人たちや街を歩いていると知らない人に声を掛けられたりもした。
僕は自分を自分以上の人物だと思い込むようになった。たぶん芸能人にでもなった気になってたんだろう。
でも心のどこかで、文章の専門家としてテレビや雑誌に取り上げられるたびに、違和感を感じていたのも事実だ。
自分は本当に文章の専門家なのだろうか。
なぜこれほどまで取り上げてくれるのか、自分の話す言葉は本当に人の役に立っているんだろうか。
違和感と共に、強烈なプレッシャーが押し寄せてきて、
文章を書いたり、人前で話すのが億劫になっていた。
東京のある出版社の社長が僕に会いたいということで京都で会うことになった。
「ぜひ、本を書いて欲しいんです」
そう言った社長に「はい、ぜひ書いてみたいです」と二つ返事した。
一度執筆して本を出版してる自信から、次も上手く書けるだろうと高をくくっていた。
今考えるとその驕りを見抜かれたのかもしれない。
書き終えた文章を何度送ってもその社長からOKが出ることはなかった。
最後に伝えられた言葉は「正直、会議にあげるレベルにも達してないです」だった。
僕はこの時にようやく自分がいかに調子に乗った愚か者だったかに気づいたのだ。
周囲に祭り上げられただけの張りぼての物書きだった。
書くことを止めようかとも思った。
ただ、止めようとすると悔しくて涙が込み上げてきた。
このまま辞めてしまったら自分は裸の王様になってしまう。
マスコミの力ではなく、
依頼者からプロの代筆屋だと認められる本物の物書きになろうと誓った。
この日から物書きとしての本気のスイッチが入ったように思う。
文章術の本を読み漁った、尊敬する作家の小説を写経するようになった。
ありとあらゆる文体を体に叩き込めと自分に言い聞かせる。
中でも村上龍さんと寺山修司さんの作品は僕の文章を大きく変えてくれた。
艶のある生きた文章を書きたかった。
書いて書いて書いている内にある変化が起きた。
依頼者から届く声の熱量が確実に増していたのだ。
「ありがとうございました。」といったそつのない感謝の声は、
「自分には書けない文章です。感動して涙が止まりません。先生に依頼して本当によかったです。」
そんな熱い言葉に変わっていった。
僕は自分のやってきたことが間違いではなかったと、今度は嬉しい涙を流せるようになった。
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