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戦争は外交の一つの手段 ヴェネツィア共和国の場合

みなさん戦争は嫌ですよね。
私も嫌です。

「戦争を回避、起こさないためは話し合いだ! 外交だ!」
という主張は当然ですが、一部の人たちの頭の中では、すっぽり抜け落ちているものがあります。

それは

「戦争は外交の1つ手段」

だという事です。

そもそも外交とはなにかというと、お互いの主張の折り合いつれるための作業です。

折り合いがつかない時に戦争になるのです。

だから軍事力も備えなければならないのです。

さて、あらゆるチャンネル、手段の外交を駆使して千年にわたって存続したヴェネツィア共和国がありました。
今の、観光で有名な水の都ですね。

人口10万から20万の小さな国でしたが、アドリア海と地中海での交易で経済的な富と影響力を持っていました。

そのヴェネツィア共和国は16世紀から17世紀にかけての約200年間、オスマントルコ帝国と対峙していました。

最盛期のオスマン帝国は、東欧、西アジア、北アフリカを支配する世界最大の帝国です。

ヨーロッパ進出を狙うオスマン帝国にとって、ヴェネツィアは、その門戸となる存在でした。

国力的に考えれば、ヴェネツィア共和国は吹けば飛ぶような虫けらのような存在です。

そのために、ヴェネツィア共和国はオスマン帝国との戦争を回避するために、あらゆるチャンネルを利用して外交的に戦争を回避する努力をしてきました。

しかし、戦争回避が不可能となれば、敢然とトルコ帝国に戦いを挑み国を護りました。
それができたのは、海戦が苦手なオスマン帝国に対抗できる海軍を持っていたからです。

もちろん、外交力は他のヨーロッパ諸国相手にも発揮し、戦争が回避できなければ、陸戦では傭兵を雇い対抗しました。

このようにして、ヴェネツィア共和国は、外交と軍事力の両輪で千年の間、国として存続できたのでした。

現在の日本を取り巻く国際情勢は不安定になっています。だからこそ、軍備も増強し、整備しなればいけないのです。

「殴ってきたら、そっちもそれ相応に痛い目にあうぞ」 
と思わせることが大事なのです。 

まぁ、その前に、あらゆる手段とチャンネルを用いて、外交で戦争を回避するのが大事なのはいうまでもありませんが。


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