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ゴジラ-1.0 微バレアリ ゴジラが主役じゃないゴジラ映画

1月3日に公開され、大ヒット上映中で絶賛の声が高い『ゴジラ-1.0.』を観てきました。

確かに、ゴジラのVFXは凄く、「ゴジラ史上一番の怖さ」という声も納得の迫力でした。

映画としても、まぁまぁ面白かったです。

でも自分的には観たかった映画とは違っていたなと思いました。

宣伝の謳い文句で

戦後の混乱のなかから復興に向けて立ち上がろうとするときにゴジラが現れ、再び絶望のどん底に叩き込む。

その中で残された名もなき人々が、ゴジラに対して生きて抗う。

これだけ聞いて日本を我が物顔で蹂躙するゴジラと名もなき人々の戦いを描いた壮大なスペクタクル映画でと思ったので
すが実際には

『戦争から逃げた主人公が、自分の戦争を終わらせる』

というとても小さな世界を描いた映画だったからです。

簡単にいうと

特攻で死ぬのが嫌で「機体に異常がる」と嘘をつき大戸島の守備隊基地に降りた主人公の敷島は、その夜にゴジラの襲撃にあい、整備兵の橘宗作にゴジラをゼロ戦の機銃で倒すように頼まれるも、恐怖で撃つことができず(撃っても死ななかったでしょうが)、そのせいで敷島と橘以外は全員死亡し、
「お前のせいで皆が死んだ」と責められ、

その後、復員船の中で敷島に仲間たちの写真を「これから背負わなければならない十字架」として押し付けたられたことで彼はその後生き残ってしまった後悔に苛まれるようになります。

そして東京に戻りバラック街で知り合った大石典子と、彼女が連れていた戦災孤児の少女と三人で暮らし生活も安定してくる中で、「自分もやり直せるのではないか」との希望を抱いた時に、アメリカの水爆実験で巨体化したゴジラが銀座に現れ、そして…

というストーリーで、ゴジラは

敷島にとっての、戦争から逃げた呪い、仲間も見殺しにした自分の罪としての存在としての面が強く、通常のゴジラ映画のよう主役としてのゴジラとしての存在感は限りなく薄くなっています。

過去の罪などに後悔し続ける主人公が、それを克服する というよくあるシチュエーションの話で、

ゴジラじゃなくても成立する映画です。

主演の二人が朝ドラに出ていたので

『朝ドラの中にゴジラが現れた』

という人もいて、言い得て妙だなと思いました。

なので、この映画でのゴジラは、敷島が自分の過去と決別するための存在であり、倒すことで自分の戦争を終わらせられる存在なので、日本が絶望に突き落とされた姿とか、ゴジラに抗う人々のとかはあっさりしています。

色々と突っ込みたいところとか、雑な部分も目立ちますが、

戦争から逃げた主人公が、自分の戦争を終わらせる

というとても小さな世界を描いた映画

という風に思って観に行くと、ベタなストーリー物として面白く見れるかなと思います。


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