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無駄なことなんてない



マイナスな出来事があると当たり前の日常の幸せを感じることができる。

高校時代、ある病気になったことがある。
当たり前のように行けていた学校、塾に行けなくなって初めて日常のありがたみを知った。
大学時代、コロナが蔓延した世界でも同じような体験をした。当たり前のように行けていた大学、当たり前のように毎日の時間を共にしていたサークルの友人に会えなくなった。
ストレスでご飯が食べられなくなった時期もあった。食べられなくなって初めて、ご飯が食べられるという当たり前に感謝ができた。

失ってはじめて大切さが分かるというのは本当で、当たり前の日常を何度か失ったからこそ、日々の暮らしを大切にしようと思える。
家族に会えること、悩みを打ち明けられる信頼できる友人がいること、健康でいられること、趣味に打ち込めること、仕事があること。
当たり前に感じるすべてが当たり前なんかじゃ無いと知ることができた。


マイナスな出来事を経験したからこそ、
大切にしたいと思えるようになった。
会いたい人に会えることが当たり前じゃ無いと知っているから、伝えたいことをちゃんと伝えられるようになった。

エジソンの言葉に「神様はその人が乗り越えられる試練しか与えない」というものがあるが、本当にその通りだと思う。

いつからか、人生に無駄なことなんて無いと考えるようになった。人生で起きるどんな出来事も何かしらの意味があり、それは今後の自分の人生が豊かになるためのピースだと考えるようになった。

いつしか、小さな日常を幸せにできるような、他の人もその大切さに気がつけるような仕事がしたいと思うようになった。その手段が写真だったのかもしれない。

ここ数ヶ月くらいは体調不良に悩まされることが多い。頭が働かない時間が多い。涙が止まらなくなることも多かった。要因は様々あるが、結局は自分の問題だと捉えている。誰かのせいや、何かのせいではない。自分の問題だと捉えるから向き合うことができる。解決しようと行動することができる。

過去の出来事にも向き合えた自分なら今の苦しみとも向き合えると信じている。 

大切なことは自分の弱さを知ることだと思う。

弱さに向き合うことで、また新しい自分に出会え、何かの美しさに気がつけるのかもしれないと信じる。

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