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あれから10年。シリアと東北への想い、葛藤、願い。

2011年3月には、多くの生涯忘れられない出来事があった。

今から10年前の今日、日本を東日本大震災が襲った。ちょうどその日は、僕が起業することを決意し、前職の会社を退職して独立した日でもあった。その4日後の2011年3月15日には、僕が青年海外協力隊として約2年を過ごしたシリアで、今も続く内戦の契機となる民衆デモが始まった。

あれから10年。

この10年間を振り返ると、僕は仲間たちと起ち上げた組織の経営に、文字通り、全力を尽くしてきた。その点においては、一点の曇りもなく、その頑張りに胸を張ることができる。

でも、シリアや東北のことを考えるとどうか。とても複雑な感情だし、正直なところ、後悔に近い気持ちも湧き上がってくる。

自分の周りには、シリアや東北で起きたことに対し、真っ直ぐな気持ちで思いきり行動を起こした勇気ある友人たちが沢山いる。そうした友人たちのことを考えると、これまでの10年間で思い切った行動を起こさなかった自分に対する忸怩たる思いがある。

とはいえ、なにも行動を起こさなかったわけではない。

起業してすぐは時間もあったので、震災直後の東北に対しては、緊急支援NGOのメンバーとして支援物資の運搬事業でかかわった。また、クロスフィールズの活動でも、多くの方々をお連れして数十回は足を運んできた。

シリアに対しては、友人が起ち上げた団体を介して、微力ながら支援活動を行った。また、仲の良い友人家族には、数年にわたって金銭面での支援をさせてもらったりもした。

そうした小さな動きをするなか、特にシリアの復興には、もっと正面から向き合って、現地で何かしらの活動を始めようと真剣に考えたこともあった。

でも、そうはしなかった。できなかった。

直接的ではないかもしれないけれど、クロスフィールズの仕事の先に、シリアや東北の復興につながる価値が生み出せると考えた。でもそれ以上に、自分の家族だったり、いまの仕事といった、大切にしたい自分の持ち場を守ることを僕は優先した。大胆な行動を起こすことができなかった。

シリアや東北の復興にかかわらず、自分が気にかける社会課題に対して、何かしらの行動を起こしたいという気持ちはある。でも、時間は有限だし、能力的な限界もある。目にしたすべての社会課題に対して全力で向き合うことはできないし、中途半端なことはすべきではないという気持ちもある。

じゃあどうすればいいのか。
この問いには、色々な答えがあると思う。

僕がいま思うのは、こうした葛藤の気持ちを自分のなかに抱えていることを受け入れながら、その気持ちを忘れずに、日々を大切に過ごしていくしかないということだ。シリアや東北のことをこうして想いながら目の前のことに向き合うことが、何かしらにつながっていくと願いながら。

これから先の10年も、僕はシリアと東北のことを想いながら、その想いも乗せて、自分の持ち場での活動に全力を尽くしたいと改めて思う。

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なんだか自分の気持ちを書き綴っただけの文章にはなってしまったけれど、節目の日に自分の気持ちを文字として残しておきたかったので、書いてみました。

最後に、東日本大震災とシリア内戦で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。そして、今なおその影響で大変な想いをされている方々にとって、少しでも良い明日がやって来ることを心から願っています。

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