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【諸事雑感📝】北風と太陽

「北風と太陽」はイソップ寓話のひとつである。

寓話のあらすじは割愛するが、人を動かすためには厳しく強引にいくのではなく優しく穏やかに接することが大切である、という人間関係に関するメッセージを示唆している。

世の中には太陽と同じ能力を備えた人がいる。
明るく楽しげな空気感をまとい、いつのまにか輪の中心におさまり、まわりを幸せな気分にさせる。

同様に、世の中には北風と同じ能力を備えた人もいる。
冷たく気難しげな空気感をまとい、冷静に輪の外から傍観し、まわりに緊張感をあたえる。

さて、「北風と太陽」では太陽に軍配があがったが、果たして企業などの組織において北風は不要な存在なのだろうか。

まず、組織には多種多様な価値観をもった人々が所属しているため、組織としての統制を図るためには客観的な規律と理性的な評価が必要であり、時として性悪説に立った厳しい運用も求められるが、その担い手は北風型が適任ではないだろうか。

次に、メンバーが困難な問題に直面した際、最終的には「このひとのために頑張ろう」というような心の拠りどころとなる存在がいるかどうかが勝負の分かれ目になってくるが、概して太陽型はメンバーに精神的な安心感を与える存在であることが多いのではないだろうか。

よって、組織の中には北風型と太陽型の両方が存在していることが望ましく、その適正比率は組織の性格や目的に依る、と私は考える。

想像してみてほしい。
上層部が北風型ばかり/太陽型ばかりのアンバランスな組織に自身がメンバーとして身を置くことを。

もし、所属する組織において自分が何らかの地位につくこととなった場合、全知全能の万能型ではない限り、自分は太陽型なのか北風型なのか、つまり、自分の「性分」を踏まえたうえで、相互補完関係を構築しうる対照的な能力をもった部下をアサインすることが所属するメンバーにとって望ましい組織環境につながるのではないだろうか。


ところで、どちらかというと北風型の私は太陽型に憧れる。

仕事でもプライベートでも、太陽型のまわりには、まるでひまわりが太陽を追い求めるかのように自然と人や情報が集まり、キラキラと輝く充実した人生を送れそうである。

また、あくまで私見ではあるが、組織のなかで立場があがればあがるほど太陽型の能力を求められる傾向にあるように思う。ひとことでいうと、器の大きな人=太陽型、だ。

このようなことを思う時点で自分の器が小さいことを証明しているようなものなのだが、「器が大きな人」でありたい、と思うのもひとつの人情ではないだろうか。

しかし、「隣の芝は青く見える」というように、太陽型には太陽型なりの悩みもあるのかもしれない。太陽型の全員が必ずしも人付き合いを好む訳でもないだろうし、ときには独りになりたいときもあるだろう。

自分の性分はなかなか変えられないもので、北風型の私が太陽型の悩みに想いをめぐらせるよりも、太陽型の皆さんから太陽型ならではの悩みをを聞かせてもらった方が世のため人のためになるだろう。

自称太陽型/北風型の方、それぞれお気軽にコメントをいただければ幸いです。







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