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ある年齢以上の人間が「俺はいつも共産党に入れるよ」と言うことの意味について

「俺はいつも共産党に入れるよ」、わしら世代的にはさほど奇矯な発言ではないのだが、自民党政権が永久に続くと思われていた頃(要は55年体制だ)と今とでは全然意味が違うんだよね。

もう長いこと(反原発のバカ騒ぎからか)共産党なんか投票の選択肢にも入らないわけだが俺ちゃんやキクマコ先生やラジ先生なんか、つまりある程度に世を拗ねた年寄りたちには「デフォルトの投票先が矜持としての共産党」ってのはわりと自然な話だったんだよね。

まあ、こんなこと言うても千人にひとりも通じないだろうけど、アーシュラ・K・ル=グインの「マラフレナ」で革命家気取りの中欧素封家のボンボンがオーストリアの老貴族夫人に目で問われる「わたしたちの革命はどこにあるの?」の(若者を見る老婦人の側の)心象よ。

革命は誰も幸福にせず大いなる災いを呼ぶだけのことだと数多くの実験がそれを証明してしまった、「それでも軋んで壊れかけたこの世界は清算されなければならないのだ、自分はもう滅びる身だからそれに殉じても構わない」既得権層の共産党への投票ってそんな意味合い。

庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」に出てくるアリバイ的に共産党に入れていながら都内のエスタブの優雅な暮らしから一部もはみ出す気がない薫くんの両親も(自覚的かはともかく)そういうことね。

まあ、そんな小難しく言わんでもアメリカの田舎で教会に行けと言う愚かな母ちゃんに不良息子が「タリバンになってやる」と返すようなのも同様な話よ。昨日だかたけしが言ったらしい「(今度は)共産党に入れる」も似たようなニュアンス。

世の中をひっくり返す気はさらさらないし、なったら困るし、絶対起きないと思っているけど、自民党の側に居なかったというアリバイだけは欲しいという、まさにブルーハーツ歌うところの「天国へのワイロだ」。そう亜インテリは小狡いんですよ。今でいうところの内田樹がまさにそれで。

糞みたいな自民党の候補に入れ、糞みたいな地元を保守し、地べた這いずって生きてきた人たちのほうがよっぽど偉かったよ、いま思うてみればね。とっくに自民党も「地べたを這いずる人」のことなんか顧みなくなってしまったので救いはどこにもないのですが。

ネオコンやネオリベというここ40年ぐらい世界を悪くしている元凶の数々も、革命幻想が消え去った後のどうにもアカんこの世界をどう清算せずに建て直すかのジタバタの結末ですからね。

そして、「戦後民主主義」や「新自由主義」も幻想なんかとっくに潰えてしまっているのにしがみ付く者の醜さ愚かさは共産主義に同じ。

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