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障害者のせい

 ほんとうはもっとうれしいこととか楽しいこととかを書きたいんだ。「イエスタデイ」というファンタジー映画がものすごくおもしろくて、ダニー・ボイルの洒脱な映画的センスは、ビリー・ワイルダーに匹敵するんじゃないかとか、そんな話がしたいのに、胸くそ悪くなるようなふざけた連中のニュースがはいってくるので、気持ちが萎えてしかたない。
 前の投稿にも書いたけれど、にわかには信じがたい、そんな発言や行為が、国のトップレベルのひとたちの口や行動から次から次へと飛び出してくる。
 野党の資料請求に対して、大型シュレッダーで粉々にしたのでもうないと。その時期のつじつまが合わないと問われると、それは「障害者雇用による短時間勤務」のせいだと答弁する。公の場、官房長官会見や国会という、高次の言論の場で、そうぬけぬけと言ったとされている。
 ほんとうなのか、ほんとうにそう言ったのか。総理大臣や官房長官たる人物が、ほんとうに、そう言ったのか。あたかも障害者を雇用したせいで、大切な公文書が、広く国民に開示されるべき資料が、障害者のせいで、その機会を失ってしまったと。いったいどの口がそんなことを言えるのだろうか。
 それをほかならぬ一国のリーダーたちが、公の場で言ったという。ほんとうか。ほんとうなのか。そんなことが白昼まかり通るものなのかと、自らの耳目を疑わざるを得ない。
 そしてそれを目撃したひと、聞いたひとは、果たして平気でいられるのだろうか。身近に障害を抱えているひとがいないから、自分は「健常者」だから、こんな侮蔑的なもの言いに対して、なにも感じないというのだろうか。
「イエスタデイ」でいっぱいになった幸せな気持ちが、むなしく吹き飛んでしまう。
 「桜」はおしまい、はい次、ということであっても、この発言は永遠に残る。
 津久井やまゆり園で、たくさんのいのちを奪った犯人は、犯行前に、自民党の幹事長宛に丁寧な手紙をだしていた。お国ためにやります、無駄な人間を処理しますと、そう書いていた。
 今回の発言が、津久井やまゆり園の犯人とのコール&レスポンスになっているとまではいわないにしても、不可聴な部分で通底していることは否定できない。
 これまでの度重なるふざけたもの言いとは一線を画す、国を率いるリーダーとしての人格、品性、素質、倫理、哲学のすべてにおいて大切なことが、決定的に欠落していることが、ここに宣言された。
 期せずして、明日は高校の同級生で友人でもある、作家岡田なおこさんの新刊「いのちのカプセルにのって」が発売される。岡田さんは重度の障害をかかえながら都立の普通科で勉強し、児童文学作家としてこんにちまで活動を続けてきた。
 出版不況が吹きすさぶ昨今、児童文学というジャンルで新刊を出すというのは、並大抵ではない。そんななか、岡田さんを突き動かしたのは、東日本大震災と津久井やまゆり園事件であった。
 時の為政者よ、頼むから、もう少しひととしてまともであってくれ。あるいは、それが望めないなら、ぼくたちのほうで、ちゃんとしたひとを選んでいこうじゃないか。
 18歳がウキウキするようなビジョンを語り、障害者も健常者も等しく、人生という時間を謳歌できるような社会を作ろうと努力するひとを、ぼくたちの代表にしていこうではないか。
 ふざけるのは、そろそろおしまいにしよう。


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