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今は、どうだろうか?

家の中には「世界の幸せ」が詰まっていた。
おいしいごはんが待っているのも家だったし、好きなテレビを見ることができるのも家だった。気持ちよく寝れるのも家だったし、ゲームボーイを初めて触って興奮したのも家だった。夜中に灯りひとつで読む本の楽しさを教えてくれたのも家だったし、朝にだれかの声で心地よく自然に目覚めるのも家でだった。常にその場所には、幸せと思われる何かが詰まっていた。
今は、どうだろうか?

家の外には「世界の楽しい」が詰まっていた。
学校へ行くまでの道のりは新しい発見に満ちていたし、教室の中には友達との楽しい時間が待っていた。先生が教えてくれる授業は退屈だと思ったことは無かったし、授業の後の昼休みや休み時間のドッヂボールが至福の時間だった。縄跳びが得意で競技縄跳びでは先生と友達と一緒に放課後の屋上で日が暮れるまで練習をしていた。帰り道ではだれのでもないザクロを取っては食べて、世界の幸せが待つ場所へただ歩いて明日が来ることを待ち望んでいた。
今は、どうだろうか?

近所の弁当屋には「世界の美味い」が詰まっていた。
世界の幸せから徒歩5分の場所には、世界の美味いが詰まった弁当屋があった。とくに美味かったのが特大から揚げが一押しの「唐揚げ弁当」だった。幸せの場所にもないものがこの世にあるのだということを知って、当時はかなり驚いた。その唐揚げ弁当を友達と食べることが幸せだった。幸せって、いろんなところにあるんだということを学んだ。きっと、唐揚げは死ぬまで大好物な食べ物になるだろうという確信があった。世界の美味い、はその弁当屋の唐揚げ弁当だった。
今は、どうだろうか?

空き地や人気の少ない裏路地には「世界の怖い」が詰まっていた。
人目につかない裏路地や空き地に秘密基地を作っては、大人に怒られて壊されていた。何がいけないことなのかもわからず、壊されてはまた違う場所に秘密基地を作り、また壊されては別の場所に秘密基地を作っていた。秘密基地が壊されずに保っている時には、友達とラジオを聞いたりこそこそと話をしたりしていた。その時間が幸せだった。また別の幸せを見つけた気分だった。しかし、それは長く続かず、また壊されてしまった。そのうちに秘密基地を作ることを諦め、人目のつかない場所と大人は世界の怖いの権化となっていた。
今は、どうだろうか?

あの人には「世界の好き」が詰まっていた。
あの人のことが好きだった。今はそう思う。けれども、その「好き」が単なる好感なのか、恋愛感情なのかは今でも分からない。どこかで見聞きした「好き」という態度自体をまねていただけなのかもしれない。子供にはなんでもかんでも真似てしまう時期というものがある、と母親と父親から教えてもらったことを覚えている。その可能性を完全に拭うことはできないのだ。けれども、あの人は確かに世界として存在し続けている。自分自身の根っこの、さらにその根っこの根っこの部分で、その世界は生き続けている、そのように思う。
今も、そうだろうか?

「世界の好き」の根っこはいろんな世界を吸い込む力があった。だからそこには、「幸せ」も「楽しい」も「美味い」も「怖い」も、全てが詰まっていた。

けれど、今はそうではないかもしれない。それらは「好き」に飼い慣らされた、「幸せ」「楽しい」「美味い」「怖い」なのかもしれない。そうなのだろう、今は。


世界を知るたびに、世界は世界ではなくなっていった。
その世界は、単なる現象の一部としての世界であることを、徐々に知っていくことになった。
それでも世界は、たしかに存在しているものだ。
自分が認識する世界は、当時の自分が認識した世界と同じだ。
同じでないと思うのは、いつでも自分自身だ。
だからこそ、世界は存在する。世界には、全てがある。

そう信じてみることで、自分自身は「現象の一部としての世界」から解放されるのかもしれない。
そうすればまたあのころのように、いろいろな場所へと、世界へと飛んでいくことを許してくれるのだろうと思う。

今も、飛びたいと思うだろうか?

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