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小説:BGM


もう彼とは別れている。私から振った。ちゃんと嫌いだ。今でも。なんであんな奴と付き合っていたのだろう。もう2度と、あんな恋はしない。これは私の戒文書である。あんな男には惹かれないためのおまじない。今日は、My hair is badの『元彼女として』。

ペット。私は彼のペットだった。
大多数の人間に、「妹みたい」と言われる。確かに、私は背が低くて適度な顔立ちで、甘めの声、持ち前の物覚えの悪さもあり、妹ポジションを長年やってきた。それ以外のポジションをやろうとすると、ボロが出るからやらない。しかし、生涯妹ポジションを約束された身にも限界がある。歳をとるにつれて厄介扱いされ、特に後輩との接し方が分からなくなる。だから、早く専業主婦になって安易な日常を送りたい、と思春期を過ぎる頃には思い始めていた。その思いは、二十五歳になった今でも変わらない。

私は、地元のカフェでアルバイトをしている。一日中、お客が居ない店内は閑散というよりも、幽邃だと思った。湖畔に揺れる船のように、時間が止まっているとさえ思う。この空間を味わうことに、誰に対してか分からない優越感を感じていた。
店内に彼が居た。忙しそうにパソコンを打っている。彼は和紅茶を頼んでいた。長年ここで働いているが、和紅茶を頼む人は滅多にいない。物好きな人か、常連の方くらいしか頼まない。私も和紅茶が大好きだったから、頼む人には勝手にシンパシーを感じる。彼はそれを迷わず注文した。その時点でもう彼に惹かれていた。仕事ができそうな人、イケメンな人、趣味が合いそうな人。私を専業主婦にしてくれて、なんでもやってくれる人。完璧な人。条件にぴったりだった。
「おかわり。よろしいですか?」
「結構です。」
告白して速攻に振られたくらいの素っ気なさだった。大体のお客さんは「大丈夫です」なのに、「結構です」だった。より惹かれた。もう、濡れていたと思う。抑えきれない気持ちは顔に出過ぎていた。
「どうされました?」
「あ、いや。どうして、和紅茶頼まれたのかなって。あまり頼まれる方がいないもので。好きなのかなって。」
「あぁ。好きというより、一番効率が良いからです。」
効率が良い飲み物とは。と思った。けれど、その秀才感がとてつもなく輝かしくて、疑問はすぐ霧散した。
「私はこの和紅茶好きなんです。ここらへんにお住まいですか?」
「最近、引っ越したばかりですが。」
「そうなんですね!私も長くここらへんに住んでいるので、もし良ければ、案内しますよ。」
「それの方が効率いいな・・・。よろしく御願いします。」
結構ですと言われると思ったから、拍子抜けした。そして濡れていた。

彼と私の家は15分くらいの距離だったけど、最寄駅からの道のりは真反対方向だった。最寄駅から彼の家まで3分、最寄駅から私の家まで12分。彼は私の家に来たことがなかったから、私がいつも15分かけて行き帰りをしていた。彼の家に住み着いてから、2日くらいで合鍵が渡された。え?いいの?というと、
「効率が良いから」
と彼は言った。

彼はできる人だった。完璧人間。何事にも無駄がない。お金を最小限に抑え、時間も惜しむ。思考も最適解を探し、行動も抜かりない。セックスも15分で終わる。ちゃんと気持ちよく終わる。それに顔や体も完璧だった。余計な脂肪はなく、それでいて適度な筋肉が神々しかった。彼はどんな人にもなれる、クールキャラにもおバカキャラにもムードメーカーキャラにも不思議キャラにも可愛いキャラにも。私みたいな、キャラ選択が一つしかない人が、他のキャラをやると“イタイ”のだ。ブスがクールキャラをやっても、イタイ。私は、妹キャラだけだとずっと思っていた。
「お前って、ペットみたいだな。」
彼はパソコンに向かいながら呟く。私は褒め言葉と思ったけれど、そうではないことがなんだかわかってきた。どういう意味なんだろうと思ったので聞いた。
「どういう意味?」
「そういうところとか。」
彼は私を馬鹿にするときは笑う癖がある。人を貶したいとかSっ気とかではない。立ち位置に満足しているのだ。彼は上である、私は下である。彼は優っている、私は劣っている。それがわかると、彼は安堵する。彼はまた完璧になる。そして、私は彼の完璧を求めている。
「嬉しい!」
私は特に彼にしてあげたことはない。家事も彼がやるし、仕事も彼がやるし、デートプランも彼が練る。私は、カフェと彼の家、時々、自宅に戻る生活で、密かに暮らしていれば良いのだ。専業主婦ではなかったけれど、ペットはなんて居心地がいいのだろうと思った。それに、妹と言われてきた人生で、ペットというのは、なんだか新しい名前みたいで、キラキラしていた。キラキラネーム。彼が拾ってくれたのだ。
「そうか。今日は、これから仕事だから帰って。」
「わかった。またね。」
彼の前でぐずると不機嫌になるから、帰れと言われればすぐ帰った。一度、ぐずった時があった。しかし、「効率悪いな」と露骨に出た顔をした。それからぐずることはやめた。犬くらいの素直さで、猫くらいの素っ気なさで今日も家路に向かう。彼の家から私の家まで、15分。15分の間で一つの音楽をリピートで聴く日課がついた。今日は、シャムキャッツの『すてねこ』を聞いて帰る。

出会って1ヶ月を過ぎた頃。何を思ったか、彼に手料理を食べさせたくなった。ペットだって、ご主人にお礼がしたくなるのだ。カレーに決めた。でも、料理なんてロクにしない。だから、液晶と睨めっこしながらだった。そして私はやらかした。ダイニングテーブルの上に、鍋敷きを敷かずに、鍋を置いてしまった。結果、丸々の焦げ目をつけた。驚いた私は、鍋を思いっきりあげた。その勢いで、鍋から具材があふれ、カーペットにシミがついた。最悪だった。証拠を隠そうとするにも、掃除道具がどこにあるのかも分からない。何をしたら良いのか分からない。思考は回らないけれど、彼なら許してくれそうとも同時に思った。ただただ時間が過ぎた。そのうち、彼が帰ってきた。
「お前、仕事増やすなよ。」
今までの中で一番冷たい目だった。ペットが粗相をしたとしてもこんな冷たい目をしないだろう。そのときわかった。私は彼の檻に入れられたペットなのだ。放し飼いをされたペットではない。そこに確実に違いがあった。ゆりかごだった空間が、だんだん殺風景な牢屋に変わっていく気がした。私はこの人が好きだ。大丈夫。ちゃんと謝ればと思った。
「ごめんなさい。ご飯作ってみたんだけど。焦げつけたり、こぼしちゃって。掃除道具の位置も分からなくて。」
「買い換えた方が早いな。明日には届くか。粗大ゴミも依頼しよう。」
やはり仕事が早い。もう、彼は次のことを考えている。私を問い詰めるよりも、その場を片付けた方がいいことを知っている。やはり完璧だ。
「お前、口でできる?」
「うん。」
彼は家具を注文している。私は彼の陰茎を口に含んでいる。同時並行に処理されていく。効率的で、スマートで、器用で。あ、苦い。
その日は、日を跨ぐ前に返された。やけに静かな街並みに、生温い風が吹き込む。甘い匂いに激臭が。二日酔いに好きな音楽が。朝に月が。夜に光が。世界のバランスが崩れていく。プレイリストのシャッフルボタンを押して、適当に曲を流した。ハルカミライで『アストロビスタ』。完璧だ。

それからまた1ヶ月。彼には私以外の女がいることに気づいた。それも私と会う前からのようだ。彼は、完璧すぎるゆえ、モテないと勝手に思っていた。私だけが彼の性格を享受できると思っていた。例え、彼が浮気しても、私のところに帰ってくるなんて、傲慢ささえ持ち合わせていた。それは甚だ勘違いだった。行為中に聞いてみた。
「私のことってどのくらい好き?」
「普通に好きだよ。」
「じゃあ、他の子と比べて何番目に好きなの?」
「ん〜。4番目くらい?」
なんて微妙な数字だ。喜んでいいのか。怒っていいのか。何人中の何番目かな。10人くらいいて、上位の方だったら嬉しいなとか思った。だって、女の扱いがうまい彼は、それでこそ完璧なのだ。この気持ち良さも、培われたテクニックなのだ。とても納得できた。
しかし、行為が終わると、急に冷めてきた。女の私にも賢者タイムなるものがあるのだなって思った。
「あなたにとって、私ってなんなの?」
「女って、何でそんな無意味な会話したがるの?」
何もしてない自分が何を言っているのだろう。彼の胃袋もつかめない私が何を言っているのだろう。彼の身支度も見守るだけの私が何をしているのだろう。彼にキスマークもつけられないくらい絶頂を馬鹿みたいに迎えている女が何を言っているんだろう。彼に私がいなかった。
放り出した衣服を、すぐ着て家を飛び出した。ポケットからイヤホンを探すが見つからない。多分彼の家の中だ。彼のもとに戻るのも億劫なので、携帯からスピーカーで流す。音量を小さめにして、潜めて聞いた。とけた電球、『いらない』。

次の日。喫茶店。彼に呼ばれた。
「これ忘れていたよ。」イヤホンを差し出す彼。
「ありがとう。」受け取る私。
昨日のことは嘘のようだ。彼があまりにも自然体だった。最初から彼は悪気なんてないのだから、当然か。
「注文いいですか。和紅茶ひとつ。お前も、和紅茶だっけ?」
「うん。」
「和紅茶二つで。」
「あのさ、なんで和紅茶って効率的なの?」
「和紅茶が一番、コストパフォーマンスが高いんだよ。それにコーヒーは口臭くなるし。いろいろ加味して、和紅茶。」
コストパフォーマンスのことが何のことか分からなかった。後で調べてみたら、費用対効果のことらしい。もっとわからなかった。彼は、このように私が分からないような言葉を使ってくる。その意味に気を取られて、いつ間にか彼に丸く収められてる。
口が臭くなるってことも、後から考えたら、私以外に女がいるってことの暗喩だった。私と寝る前はそんなの気にせず、コーヒーを飲んでいた。どうせなら、お酒とかタバコとかで汚染された口でキスをして欲しかった。毒されたかった。典型的なクズの方がもっと嫌いになれたのに。

「そういえば、和紅茶しか趣味合わないね。今までデートしてくれたところ、全部私、あんまりだった。美術館とか博物館とか、難しくて。」
「まぁ、下見だしな。」
もう驚きもしなかった。完璧な彼が唯一、私を満足できなかったのは、デートだけだった。天才、完璧人間には、しっかりとした努力があるのだ。事前準備は当然のことである。そして私のデートは、誰かのデートの背景だ。それでも、彼がいるだけで楽しかったけれど。彼の完璧じゃないところを知っていた私、ふふ、なんて浅はかな思考なの。彼が私に見せていのは完璧人間ではなく、ただの吝嗇家。完璧はいない。
「あなた、最低ね。私の気持ち考えたことあるの?いつも効率、効率。全然楽しそうじゃない。何がそんなに面白いの?あなたは確かになんでもできる。1番効率がいいやり方でなんでもこなせる。出来ない人の気持ちなんて、考えたことないんでしょうね。でもね、出来ない人の苦しみがわからないってことは、その時点であなた完璧じゃないのよ。あなたがわからないことはこの世にたくさんあるんだから!」
惨めになった。負け惜しみみたいだ。何も論破できてない。だって、彼は完璧でいたいなんて言ってない。ただの僻みだ。
「・・・」
黙って彼は聞いている。ここにいないみたい。こんな時まで彼は完璧だ。論争したら話が長くなるし、彼が謝れば私の気持ちがヒートアップしていく。黙ってれば、1番”効率よく”事態が収まる。

「別れよう。」
「うん。」
喫茶店はゾッとするほど暗かった。

彼の家に自分の荷物を取りに行こうとしたら、知らない女が彼のベットで寝ていた。何番目なのだろう。忍び足で荷物をまとめる。案外少なかった。彼の中に私がいないことが改めてわかった。
「じゃあな。」
見送りもしない彼。いつも通りだ。
「貸して。」
彼が持っている携帯を取り上げ、操作した。そして、ソファに投げた。
「私の連絡先消しといたから。もう関わらないで。さようなら。」
そそくさと部屋を出ていく。
すると、彼から電話が来ている。
電話に出る。
私はさっき、連絡先を消そうとして、電話をかけたのだ。
「さっきの女だれ。」
「んー。妹」
「ふーん。おかえり。」

イヤホンから、女の喘ぎ声が聞こえてくる。
イヤホンから、男の囁き声が聞こえてくる。
家までの帰り道。15分間。
彼のセックスを聞いて帰る。

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