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不安の時代の夜郎自大、次代に地代が払えず辞退

研究者の田村あずみさんより、新著である『不安の時代の抵抗論  災厄後の社会を生きる想像力』をご恵贈頂いた。


2012年の秋だったか冬だったか、当時ブラッドフォード大学の院生だという彼女から、「官邸前抗議のスタッフに話を聴きたい」みたいな感じの経緯でお話をする機会を持った。

場所は議員会館地下のカフェだった様な気がするが、もう記憶はあやふやだ。

当然話した内容もほぼ覚えていない(苦笑)。

6月に巨大化した官邸前での原発反対抗議の参加者もだいぶ減り、斜陽に差し掛かっていた時期だった。

本の感想に入る前に、当時の己の状況、心境などを振り返り、現時点での結論を。
(結局感想というより、読んで思い出したこと、思いついたこと、自分語りになってしまいました。申し訳ない苦笑)

それまで、いわゆる "悪の道" には行けないが、ドロップアウトという意味ではもっと救いのないどうしようもない人生を歩んで来た俺が、何の因果か数10万人とも言われた大勢の人々が集まる場所でマイクを取り、鈴なりとなったマスコミにカメラを向けられ、元総理大臣や坂本龍一にマイクを渡して横に立って地上波に映り、ガラの悪い声が流され、大手新聞社にインタヴューを受け本名が掲載され、BSかつモブとはいえテレビ出演までして田原総一朗にいじられるという、全く意味の解らない状況に置かれるも、何喰わぬ顔で、さも当然の感じで乗り切って、ひと段落ついた頃であった。
当時派遣で勤めていた、某超大手クレジットカード会社のコールセンターには100人ほどの人が居たが、1度も声をかけられることも無くやり過ごしていたが、街中では2度ほど「官邸前の人ですよね?」と声をかけられたりもした(苦笑)。
ネット上では左からも右からも陰謀論や底の浅い口撃を喰らいまくり、運動界隈の人間関係・・・はっきり言えば男女間のトラブル(俺自身は関わってないのに)の後処理も多く、無駄に疲弊させられたし、大袈裟な言葉で言えば尊厳を傷つけられていたのだ。

実は2012年の7月には、当時参加していた反原連を辞めようと、辞意のメールは書いていた(結局送信せず参加は続けたが)。
とにかく、原発を放置していたまま震災による事故を迎えてしまい、命を脅かされてしまったことに腹が立っていたこと。
そして地震の活動期に入ってしまったこの国に生きていて、何もせず「2度目」を迎えることほどアホらしいことはなく、クソボンクラなおっさんの俺ですら、若い奴らに申し訳ない気持ちがあったこと。
その2つの理由で、出来うる限り早い時期に原発を全廃させたかった。

「原発全部無くなるか、手前が死ぬまでやってやる」

などと啖呵も切っていたし、その為にはクソボンクラな手前の気持ちや尊厳なんて小さなものだ・・・と、色々呑み込んで続けていた。
その後も何度も辞めようと思うポイントはあったが、結局2017年まで掛かってしまった。
更にそこから3年経った今となっては、「2012年で辞めておくべきだった」という結論に達している。
それまでのクソボンクラ人生から考えたら、あのころの狂騒は劇的で、冷静さを装っていたが結局呑み込まれていたんだと思う。
そして自民党の政権復帰以降原発の全廃が遠のいてしまったにも関わらず「まだ何かある」と縋ってしまったのだろう。
それは原発に限らず、運動に関わっていることによる金銭以外の "ベネフィット" に縋っていたのだろう。
運動を続けていれば、界隈では一応「反原連の堕落さん」は「知ってます」「あぁ」くらいの承認と多少の敬意は受けられたからだ。
本当にくだらない、小さいことの様に思われるだろうが、クソボンクラなおっさんが、交通費も出ないカツカツの派遣やグレーな仕事で生き延び、2〜3人のこれまたクソボンクラな友人とだけ連んでいたそれまでの生活と比べたら雲泥の差があったのだ。

反原発運動を始める前には1ファンでしかなかったECDやeastern youthのメンバーが、自分が主催に関わる抗議に参加して、あまつさえ隣に立って一緒に吠えてるんですよ?
別にライヴハウスで話しかけることは出来る距離の人達だったけれど(実際easternの吉野さんとはお話ししたことはある)。
音楽はまぁ好きだったけど、やる才能も根気もバンドを組んでくれる友達も居なかった俺にとっては、路上で"対バン"した様なものだった(笑)。
ECDとは毎週の様にマイクリレーしてたんだぜ?
そりゃあシビれますよ。
SOUL FLOWER UNIONの中川さんや ASIAN KUNG-FU GENERATIONのゴッチさんやSLANGのKOさんにも気にかけて頂いたり、BRAHMANのTOSHI-LOWくんとも話をしたり。
(官邸前での俺のコールを聴いたKOさんとTOSHI-LOWくんには「彼(俺)は絶対HARDCOREバンドを組むべきだ」と言って頂いた・笑)。
もっと近い距離にはDJ TASAKAが居たり。

それは数少ない、反原発運動をやって良かったことだった。
もっとも皮肉なことに俺は何故か311以降音楽と酒を楽しめなくなり、より貧乏になったこともあるが、週1くらいで行っていたライヴハウスに行かなくなり、CDも買わなくなり、酒は完全にやめた(タバコは元々大嫌いで吸わない)。
時々運動関係のライヴイヴェントや友達のライヴを観に行くくらいで、普段は家でも聴いていない。
まぁ、ライヴに行けば楽しめるんだけど、積極的に行こうとは思わなくなったし、"趣味の一つ" では無くなってしまった。
地下室のライヴハウスより路上の方が刺激が強かったのもひとつの要因だったのだろう。
音楽を聴いても、酒を飲んでも、楽しくなったり忘れようとしても、忘れられない、救われない現実を知り目の当たりにしたからだろう。

日常からひとつ、またひとつと楽しみを失ってしまった俺は反原発抗議の他にヘイトデモへのカウンターにも参加する様になった。
反原発抗議はもちろん、カウンターなんて怒りしかなく全く楽しくは無かったが、失ったものを埋める為に色々首を突っ込んでいた気がする。

旧来の左派の運動はマルチイシューであることが多く、シングルイシューの抗議にしたとしても、どこにでも参加する人が多い。
抗議することによって問題解決を目指すのではなく、抗議すること自体が目的になり、「抗議の場にしか居場所が無いのか?」と思うような連中を俺らは "居場所系" と揶揄していたが、結局手前も居場所系になってしまっていたのだ。
"新しい運動" もダラダラ続けてたら古い運動になるし居場所系にもなる。
ガワだけ少し変えても結局主体は同じ連中。

スタンディングの抗議、デモ行進を主体にするなら団体化なんて必要無い。
今の時代なら機運を見て誰かがネットで声を上げてフラッシュモブ的に実行できる。

団体を作ってあまつさえカンパを募るなら、もっと地域に根ざしたロビイングや講演会、勉強会、リーフレット作成配布などの周知活動に使うべきだろう。
俺がデモ参加する様になった当時も「デモよりロビイング」と言う人がいたが、カンパを募って長期に渡って持続させる団体に限ってはその通りである。

国家が、政権が、自治体が、政党が、会社が・・・人が固定化し過ぎると腐るが、社会運動の場だって同じだ。
たとえば会社は結果(金銭的利益)を生み出さなければ役職に就いている者は責任を取らざるを得ないが、運動は違う。
運動の場合は"金銭的利益" ではなく"問題解決"なので結果を出すには時間が掛かるし、そもそも解決にあたる作業に自分達は直接携われないので、団体の役職に責は問われない。
団体名、役職名がなくとも、実質団体、実質リーダーは居るが、その地位は性的スキャンダルでもない限り揺るがない。
健全とは言えない。

俺自身は地道なロビイングだとか勉強会とかやれる資質はないのでデモ行進、スタンディング抗議に参加していたのに、団体である反原連に長く在籍していたのは間違いだった。
色々な停滞に加担してしまったとすら思っている。

2012年に民主党から引き出した「2030年代に原発ゼロ」、当時は「遅ぇよ!」と思っていたが、2020年の今、あと19年でゼロにはなりそうもない。
再稼働もちまちま続いている。

「成功-失敗」で言うならば
「2011年からの反原発運動は失敗だった」とは言わないし、その議論は100年後にでもしてくれたらいい。
「勝った-負けた」で言うならば、正直「負けた」・・・と言い切りたくないのであれば「勝ってはいない」とは言わなくてはならない。
そして、俺自身の反原発運動は「失敗」であり「負け」であった。
今自分が置かれている状況を見るに、そうとしか言えない。
心身、人間関係含め色々なものを失った。
クソボンクラの身の丈には合っていなかったのだ。

今後反原発運動が盛り上がることがあるとすれば、それはまた過酷事故が起きた後でしか無いと思う。
運動の効果より、他の発電方法の効率化と原発自体の経済的な問題点で切り捨てられて行くことの方が可能性が高い気がする。
大企業がより費用対効果の高い新技術を売り出したい時、いくら慣れ親しんでいても古い技術は駆逐されるのだ。

ようやく田村さんの新著の話に入る。
学者の難しい言葉の引用や、そもそも本を読まないバカな俺にとって300ページに渡る文章を読むのは老眼や脳の老化も相まって思いのほかしんどかった(5時間も掛った)。
文章を目でなぞっても脳内で意味が取れていないのだ。
田村さんの文章自体は誠実で平易な筆致なのにである。

『不安の時代の抵抗論 災厄後の社会を生きる想像力』のタイトルが示す通り、長く続く不況、ケアされない社会的弱者の増加(これは"弱者ポジション"を取ることに躊躇がなくなった人が増えたことも含む)、活動期に入った地震、原発事故、はびこるレイシズム、時に起こる無差別殺人、新型コロナのパンデミック ・・・
確かにバブル崩壊以降の90年代から2020年代まで"不安の時代"と言えるかもしれない。
田村さんは80年生まれとのことなので人生の3/4は"不安"の時代を生きていることになる。
俺はもう少し上の "団塊ジュニア" 、"ロスジェネ" なので、社会に出る頃がバブル崩壊後で "残り香" すら嗅げなかった(俺自身が怠惰で勉強嫌いであり、大学も行けなかった、正に自己責任の部分も大きいが)。
不安ではあったが、フリーターをしていても今より生活は楽だったし、少しは好転するだろうと思っていられた。
しかし、それは長くは続かなかった。
"不安の時代" はどんどん濃く、深くなって行き、歳を経るごとに貧しくなっていった。

"時代" や "世代" という、後から区切るぼんやりとした概念からすると、この100年単位で言うならば俺の親世代、"団塊の世代" は人生のほとんどを本当に幸せな "希望の時代" に生きてきたんだと思う。
戦争を経験せず、高度経済成長に乗って生活し、ほとんどが家庭も持て、バブルを迎えて消費しまくった。
反原発運動を始めた頃から、俺や更に下の世代はその尻拭いをさせられていると思っていた。
オールド左翼など、俺らのやり方に文句をつけてくるのも大体その世代なので、直接言ってくる奴には目上に対する態度など一切取らず罵倒してやった。
2015年だったか?安保法案の頃、学生が主催したデモに一参加者として歩いていた時、歩道から野次ってくる年寄りが居たので詰めに行くと
「こんなの遊びだ。日米安保どうすんだよ!」
などと戯けたことを抜かしたので
「お前がやれ!今すぐ官邸にでも突っ込め!」
と言ってやったところ返って来た言葉が
「ベ平連知ってるか? 俺はやってたんだよ!」
である。
呆れと苛立ちで
「じゃあまたやれ!今すぐやりやがれ!若い奴らが立ち上がってるのにお前は何やってんだ!」
と吐いてデモに合流したが、本当に情けないと思ったし、恨みが増した(苦笑)。
もちろん、その頃黙々と熱心に若い奴らのデモやスタンディング抗議に加わる団塊の世代も沢山居たことは書いておく。
というか、主催が若くても、参加者は団塊やそれ以上の高齢者の方が多かった。

311以降の左派系の運動参加者の年齢構成に興味があるのだが、誰か、それこそアカデミアのセンセイ方は統計を取ったりしてないのだろうか?
個人的な身の回りも含めた感覚的には主催に近いところには団塊ジュニア(特に74〜75年生まれ)、85年(+-1)生まれ、60年代半ば世代(しらけ、ジェネレーションX?)が集まり、参加者には責任を感じた団塊の世代以上が多く、2014年以降90年代初期生まれ(ゆとり世代?)が主催に加わった印象がある(参加者としては少ない)。

団塊ジュニアは働き盛りの年齢であるにも関わらず、非正規雇用やフリーランスが多いため、自分ごとと捉えやすい上に、非正規ゆえに時間は作れたからではないだろうか?(シフト制のバイト暮らしだった俺はそうだったし、フリーのデザイナーも複数居た。まれに経営者なども居たが)。
団塊はリタイアしている人が多いので時間の余裕はあっただろう。
それ以外の多かった世代の参加の背景はちょっと解らないが85年生まれは平野太一を筆頭にTwitNoNukes周辺に多く、運動を牽引していた。
60年代半ば生まれは野間易通など一部を除いて主催のバックアップ要員として奮闘していた。
大雑把に10年区切りになっている気がするが、ここに意味を見出すことは出来るのだろうか?

もっとも、物心ついた時からあらゆる病気に罹り、定期的な通院を40年近く続けている俺みたいな人間はいつも不安しかなかった。
どの病気も命に "直ちに影響はない" ので難病指定されないが、著しくQOLを損なうものばかりで、10代の終わりには「まともな人生を送ることは無い」と悟っていたし、20代に入っても何も好転しないので、30歳になる前に死のうと思っていた。
生きるのも辛いが、死ぬのも単純に怖くて死にぞこなって今に至っているだけなのだ。

この国において "日本国籍を持つヘテロ男性" は強者なのだそうで、俺はそれに該当するが、こんな奴の一体どこが強者だというのだろう。
いわゆるマイノリティ属性でも健康で充分に金を稼げて家族、パートナー、友人を持つ人は多い。
俺はどの属性からもこぼれ落ちた、腐りかけの肉塊でしかない。

『不安の時代の抵抗論 災厄後の社会を生きる想像力』に引用された俺自身の発言はひとつだけだったが(わざわざ本を贈って下さるとの申し出だったので、もう少し引用されているのかと思っていた・笑。それだけで2000円もする本を頂いてしまって申し訳ない気持ちである)、それは赤木智弘に関して田村さんから訊かれたことに対しての返答であった。
赤木を否定的に語っているが、その一方で正直シンパシーに近い感情はあった。

ここで言った "加藤クン" とは秋葉原通り魔事件の犯人である加藤智大のことである。
奇しくも "加藤クン" のこともこの本の中では触れられている。

俺は "赤木クン" にも "加藤クン" にもならなかったが、大差無いと思っている。
もっとも"赤木クン"はフリーライターとして世に出続けているので、経済的には知らないが、死刑囚や肉塊と比べれば眩しいところに居ると思う。

ちなみに赤木クンのことは何度かTwitterで名前を出していたのでエゴサーチに引っ掛かったのか、彼は俺をブロックした(笑)。
知ってか知らずか、俺が写っているデモ画像を引用して(俺も含めたまたま周囲に頭髪が薄い人が居た)「放射能でハゲちゃったの?」的な揶揄ツイートをしたこともあった(その後削除したのか?今検索しても出てこない)。

常に生まれてきたことを虚しく思い、それをごまかすために世間をごまかしながらヘラヘラと生きのばして来た。
大学も行けず適当な肉体労働派遣や配管工の親父の手伝いをしていた頃、地域生協の役員を務めていた、左翼でフェミニストだった母が48歳でガンで死んだ。
元々体がボロボロだった上に建築不況も相まって仕事が減っていた親父は母の死後、廃業した。
保険金で喰っていくつもりだったのだろうか?
その直後、俺は借金も抱え、夜逃げ同然に家を出て東京の友人宅に転がり込み、一切家族との縁を切ることになった。
2012年に戸籍を見る機会があったが、その時点では父は健在だったが、何故か埼玉に移り住んでいた。
弟も妹も都内に住んでいた。
妹は名字が変わっていたので結婚していた様だ。
元々口もきかなかった弟も妹も携帯番号すら知らない。
親父が生きているかも知らない。
生きていたら72歳か?

ボロボロの身体で、1度も正規労働者であったことがないまま40も半ばを超えた。
ずっと絶望ぶって生きてきて、目隠しの綱渡りを続けていたが、いよいよ先が無くなってきた。
若い頃より体力も気力もなくなったが、普通その代わりに得られるはずの経験や経済的余裕は勿論ない。
帰る家もない。
ついには精神まで病んだ。

「何でこんな時代に生きてるんだろう」
冴えない人生を送っている奴なら必ず言ったことがあるだろう。
勿論俺も言ってきた、何度も。
そんな中、Akira The Hustler が映画『STANDARD』の中でこう言っていた
「"何て時代なんだろうね" って言う人が居た時に、いやいや、こんな時代なんて今まで歴史上ずっとあったじゃない。悲しいことだってずっとあったしさ。今だけじゃないでしょ。それは思っちゃダメだと思うし "何でこんな時代に生まれ付いちゃったの?" なんて傲慢だと思うし」

頭をぶん殴られた気がした。
そうなんだよな、歴史の教科書を千年単位で振り返って読んでみても、人類は苦しみ争いもがいて生きていた。
たまたま自分の親世代の4〜50年間が比較的幸せに見えただけだったのだ。
今世界は新型コロナに脅かされているが、100年前にはスペイン風邪があったわけだ。
「歴史は繰り返される」なんて安っぽい言葉だが、真実なんだ。

俺は運動に関わるアカデミアはほとんど信用していなかった。
少し関わっただけで、肩書き使って語ればフィクサー扱いしてもらえる奴とか、全貌を見ないで「運動界隈のセクシズム」がどうとか言う奴とか、「低学歴は高学歴と同程度の批判的思考ができない」とか言う奴とか・・・本当に唾棄すべき対象でしかない。
目に付いた範囲での話だが、五野井くんと高橋若木くんくらいしか信用できなかった。
田村さんと8年前に話したこと自体はほとんど忘れたが(苦笑)、その後のやり取りとこの新著を拝読して、信用出来るもう1人かな?とは思った。

そう思うことに関係しているかは解らないが、新著で触れられていて初めて知ったのが、田村さん自身が"脱原発杉並"という、反原連の構成団体の一つに関わっていたこと。
本の中で彼女は運動参加者を"アクター"と称しているが、彼女自身が研究材料(メシのタネ)としてのデモを俯瞰して的外れな分析をしたり、フィクサー気取ったりしない、鼻にかけることもしない、いちアクターであることが判る。

脱原発杉並と言えば、かつて開催したデモに移動式のバーを出したことがあり、それを知った俺は

とツイートしたことを思い出した。
田村さんは反原発デモにおけるバーを肯定的に書いているが、俺自身のこの考えは今でも変わらない。

それにしても、思いのほか脱原発杉並がフィーチャーされていて驚いた。
あと、「何でこいつを・・・」という奴も取り上げられていたり。
田村さんなりのバランス感覚なのかもしれないが(苦笑)。

また脱線するが、今まで311以降のデモについて取り上げられた文章なり映像なりを少しは見てきたが、肝心なものを誰も掘っていない。
TwitNoNukes とその発起人の平野太一のことだ。
素人の乱以降、20代の若者が中心に立ち上げたデモであり、官邸前抗議の主催側も一般参加者側もコアはTwitNoNukesによってデモに関わる様になった人達だったのにだ。

SEALDsやしばき隊や反原連は散々書籍化も映像化もされているが、肝心のTwitNoNukesが無いというのはどういうことだ。

スタッフ同士の距離感の独特さといい、タレント(否芸能人)の多さといい、フレキシブルさといい、馴染みやすさといい、もっと深掘りする余地があり過ぎると思うのだが、誰もやっていない。
ちまちまとしたインタビューはあったが、1冊の本も1本のドキュメンタリーもない。
挙句平野太一本人に映画を作らせる始末。
本当なら映画監督や映像作家がTwitNoNukesと平野太一を撮るべきだったし、ノンフィクション作家やルポライターは取材して本を出すべきだった。

一体この国のマスコミや各種クリエイターどもは何をして来たんだ?
唯一取り上げてくれたのはミュージシャンであるアジカンのゴッチさんだけではないか。

Twiterからはじまったデモ TWIT NO NUKES〔前編〕 - The Future Times


Twiterからはじまったデモ TWIT NO NUKES〔後編〕 - The Future Times

官邸前がブレイクする本当に直前にインタビューしてくれたゴッチさんの慧眼とジャーナリスティックさたるや。
ちなみにこの記事の写真、インタビュー前の話では「全景を遠くから撮るだけ」ってことで、気を抜いた格好、髪型で出席したのに、いざ公開されたらブサイクなアップが掲載されていて、本気でゴッチさんに写真削除か差し替えを依頼しようかと思った。
今でも人生最悪の写真だと思っている(苦笑)。
一方、イケメンの黒澤くんはこの記事の公開後100人近くフォロワーが増えた・・・(笑)。

話を戻す・・・それでも、脱原発杉並から反原連に参加していたスタッフに悪い印象は無いし、棲み分けというか使い分けが出来るちゃんとした大人だった。

俺は違うが、"ちゃんとした大人" も割りを喰う時代だと思う。
幸運にも権益を得た人間の横暴が過ぎる時代。
努力より、親から受け継いだり、たまたま手につけるのが早かっただけでそれらを寡占する。
努力しても追いつけず、やがて病んでいく。
統治しやすい自己責任論が跋扈し、数少ない金持ちがヒーロー扱いされる。
これは現代における、弱い種の淘汰なのかなと思っている。
もちろん俺は淘汰される側だ。
抵抗しても嘲笑われ打ちのめされ、淘汰が早まるばかり。
このまま数年の間に孤独死する可能性が高いと思っている。
基礎疾患持ちで生物学的製剤を使用して免疫を抑えている俺は、コロナ禍では友人と会うことも避けている。
帰る家もない。
抵抗する術は尽きた感がある。

お勉強してお受験〜いい会社に就職をする・・・という流れをとにかく鼻で笑って否定して来た人生だったが、何の才もない不健康な俺は全て間違った選択をしてきた気がする。
積み重ねてきたものが何も無い。
虚しい人生である。

案の定『不安の時代の抵抗論 災厄後の社会を生きる想像力』の感想から逸脱して自分語りになってしまったが、自分語りついでに・・・社会運動に一時期どっぷり浸かってしまったクソボンクラ中年として、これから社会運動に参加しようとする若い人に伝えたいのは・・・
「自分の今の生活と未来を大事に」
ということ。
特にこの国は劇的には変化しないし、運動のダイナミズムに魅せられても後に残るものなんてほとんど無い。
生活の糧を守りつつ、政治や社会問題に関心が薄い家族友人知人恋人同僚との付き合いも普通に続け、社会ではなく自分自身の10年後20年後それ以降を考えること。
運動の中心には絶対的にダメな奴も居るので、ズルズルと続けず頃合いを見て退くこと。
まともな人でも運動に関わってる間にそれらを忘れてしまうかも知れない。

いつの時代も不安はあり、それを解決するのは難しく、乗り切るためには身近な人たちと適度に楽しくやって行くことが大事。
基本的に、社会運動は余暇にするもの。
「自分がやらなきゃ誰がやる」なんてヒロイズムに酔っても大した結果は出ない。

嫌いな言葉だが "無関心層" は社会運動の活動家を奇異の目で見ることの方が多い。
侮蔑的な "無関心層" なんて言葉も使わず、そういう人達とも交流を持って行くことの方が大事である。
嫌だなと思ってはいるが、結局人は理より情で動く。
もっと言ってしまえば情より金で動く。
金はみんな無いだろうから、もっと運動をやっている仲間以外の人たちへの情を大事にした方が良いと思う。
金もくれないのに啓蒙的で命令してくる人に着いてくる人などいない。
ちなみに俺はそれも大の苦手だ(苦笑)。
運動をしてた頃はだいぶ抑えて、周りも諌めてたつもりではあるけれど。

デモなんて誰でも簡単にできるし、効果を発揮することもあるのはだいぶ広まったと思うので、同じメンツが色んなイシューで乱発すべきでも無いなと思っている(問題が山積みなのは解っているが)。
どんなに切実なお題目でも「またあいつらか」という目で見られていると思う。

結局感想文とならなかった、とっ散らかりすぎな自分語りをそろそろ終えるが、結論として "不安な時代" の "抵抗" としてのデモに期待や夢を抱きすぎないこと。
社会を時代を変える前段階に身の回りの人たちの存在があり、グラデーションがあって政敵や差別主義者の身の回りの人たちもそこにいるということ。

自分を大事に。
自分の身の回りの人を大事に。

すっごい日和った結論だが(苦笑)、歳とってこのザマとなっては心の底から思う。
クソボンクラは1人じゃ何も出来ないのだ。

ご本人含むデモ参加者の心情や記録や考察や示唆を、大震災〜原発事故から9年経った今、本にして残してくれたことに感謝します。

しつこいけど、誰かTwitNoNukesの本なり映像作品作れ。
『STANDARD』は素晴らしい映画だし、中にいた者として感じるTwitNoNukesらしさは出ているけれど、TwitNoNukesを題材にしたものでは無いし、何より平野太一の独白はあれど、外からの考察がない。
もうすぐ10年経つタイミングでどうよ?
俺も記憶は薄れてる部分があるし、誰か早めに形にして欲しいもんだ。