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かってに俳句論

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俳句について考えたことをまとめています。
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記事一覧

かってに季語論

季語とは何か

 『俳句』(KADOKAWA)の2022年6月号の特集「不易流行--俳句と時代」の「雑誌は、時代といかに切り結んだか」という年代記を通読すると、俳壇はおおよそ平成を境に学説史ではなく、政治史によって意思決定がされていることが暗に示されているように読めました。そのため、学説は政治性を帯びるようになってしまい、活発な議論が出来なくなっている傾向が見られます。うっかり一つの学説を支持する

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かってに切字論

 切字(切れ)というと、「や」「かな」「けり」に代表される俳句の構成要素のような修辞法です。敬遠する作者もいるようですが、光景を強調させたり、季語を目立たせるために用いたりする効果があります。
 とりあえず、適当に例句でも作っておきますか。

 「や」で切ると、上五(夏果)と中七以降(自転車の主戻り得ず)はそれぞれ別の光景であるように頭に描き出されます。そして、「夏果」という季語を強調させて、季語

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かってに表記論(序説)

 今日も俳句の話をします。過去在籍した結社の先生から直接指導を受けたという感じはあまりなくて、添削されて、こういう風に書くのかと学んだことが唯一の直接指導でした。それが、表記の仕方です。
 これと決めた作家の全句集を書き写す「写経」という勉強法があるのですが、それを誰にするか考えて、古本市で見つけた師系(これって今はあまり言わないんでしたっけ)の作家に決めました。
 大体、表記で勉強したバックボー

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不易流行について考えよう

語義的説明

 俳句において、「不易流行」という言葉は、理解が難しい言葉になっています。語義として共通した説明として、「不易」は変わらないこと、「流行」は変わること、そして、不変と変化が根本として一つのものの中に同居している状態であるのが、「不易流行」が指すものだと説明されています。

矛盾の根底を探る

 「不易」と「流行」が何のもとに合一的なのかは、辞書では「風雅の誠」(『日本国語大辞典 第二

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かるみについて(持論優先版)

 「かるみ」という言葉があります。俳句においても川柳においても、形式の根幹に位置付けている要素です。しかし、議論が複雑怪奇で、先行研究を追いかけるだけで、一杯一杯です。学術論文を書いているわけではないので、先行研究である程度コンセンサスが取れている部分を基軸に、持論を育てる方向で論を進めようと思いました。方針を取るのが難しいですが、ちょっと試してみます。

「かるみ」本論先行研究のコンセンサス

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「かるみ」について(持論優先版のコンパクト版)

 「かるみ」について、少ない資料を読み込んで、自分の思うところを書きました。書きながら持論に対して気づきを得ることが多く、また、整合性を取りながら書き直すことが難しいので、改めて、コンパクト版を書くことにしました。

かるみ

 かるみとは、「表現が平明で通俗である」という意味です。因果関係にまとめると、俳句においては、表現したいこと(本稿では「悩み」と定義します)を風雅の誠という態度で表現するこ

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俳句を何故詠むのか〜或る無名俳人の場合

 俳句で表現する理由は人それぞれあると思います。でも、みんながみんな同じ理由で俳句を続けているわけではありません。人が俳句を続ける理由はわかりませんが、自分の経験であれば例として出せるかなと思ったので、まず例示して、動機を体系づけられればと思います。
 まず、俳句の経歴を振り返って、僕が何故俳句を続けているのか、言葉にしてみようと試みます。
 客観的な句歴としては、中学生から俳句を始め、高校卒業ま

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俳号を何故つけるのか(コンパクト版)

 ネット上で少し話題になった、「何故俳号を付けるのか」という問題について考えましたが、長々と書いているうちに結論がぼけてしまったので、要約版を用意して、コンパクトにまとめてみます。
 まず、発想を広げるところから始めます。俳号を付けるのは、自分で付ける場合と他人に付けてもらう場合があります。他人に付けてもらう場合、子どもの名付けと同じ感覚(本質を見たり、未来を見たりして決める)を想像しますが、時折

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「新俳句」の研究

 今日(2022年10月30日)、伊藤園のお〜いお茶新俳句大賞の表彰式がありました。僕は応募したものの、佳作特別賞以上の受賞はなりませんでした。ただ、年々、作風の変化と作句の優先順位の変動によって、新俳句大賞に応募する作品の質が賞に適うものでなくなったのは確かで、投句もそろそろ潮時かなあと思いました。
 ここ数年、リモートでの発表会となって、応募者等からのコメントを見ることができるようになりました

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俳句を教えることについて(コンパクト版)

 『俳句』2024年4月号を読みました。大特集は「俳句と教育」で、学校教育の俳句教育や新聞投句、出前講座など、俳句教育についてさまざまな視点で論じられています。特に、学校教育の現場で俳句がどう扱われているかという記事は、自分の学齢期に俳句を勉強したときはどうだったかなと振り返りつつ、面白く読みました。
 中西亮太「小・中学校教育における俳句とずれ」(『俳句』2024年4月号 角川書店)でも指摘され

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俳句と川柳の区別がつかない

 縁あって、小学生向けの国語の問題集を読む機会を得ました。小学生向けに俳句と川柳の違いを説明する時、どう説明するかはちょっと興味があります。手元のにある出口汪『出口式 はじめての論理国語 小6レベル』(水王舎)を見ていくと、俳句も川柳も「五・七・五(十七音)」で、俳句は「季語を用いており、自然を扱ったものが多い」、川柳は「季語がなくてもよく、人事を扱ったものが多い」と説明されています。
 なるほど

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無季俳句と川柳を区別したい

 発表するかわからないですが、今までの記事を再構成する川柳論を書いています。論文中で、無季俳句と川柳を比較検討した結果、川柳作家の方々が実感する「物」と「心」の比較が上手く出来たので、noteに共有したいと思います。
 無季俳句について、俳句の構成要素とも言うべき「季語」がない俳句というのが存在しています。現代俳句協会の取りまとめた『現代俳句歳時記』に「無季」の巻があります。掲載語を見ると、俳句は

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無季俳句からの反証と再検討〜無季俳句と川柳を区別したい(2)

 事件です。無季俳句と川柳の分類、上手くいっていたけれども、感情を詠む無季俳句が見つかりました。無季俳句の「人間」の部では、人間の感情を網羅しています。「人間」の部で感情を表す季語は、愛、恋、心、怒り、悲しい、愁い、寂しい、幸福、不安などなど。となると、無季俳句が感情を詠んだ場合の新たな基軸を作らないといけません。
 まず、描かれた心が主観的か客観的かという検討はどうでしょうか。

 という川柳と

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季語の要件〜季語をどのように定義するか

 「俳句とは何か」という質問に対して、答える側はいくつかの要件を提示して答えます。五七五の十七音で構成されること、季語があること、切字を伴うことというのが国語教育の範囲で教わる基本的な要件です。もちろん、俳句をやっていると、必ずしもこれらが要件ではないということはわかってくるのですが、俳人にはそれぞれに色々な考え方があって、意見の対立などもあるようです。今回は、そういう争い(研究史)を参照せずに、

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