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冷たい男 第7話 とある物語(4)

 公園のベンチに座り、冷たい男は、マイボトルの蓋を上げる。飲み口から夥しい湯気と小豆の甘い匂いが立ち昇る。
 母特製のお汁粉の匂いに心の痛みが少し和らぐような気がする。一口飲むと舌が溶けるような甘味が身体の中に行き渡る。
 冷たい男は、口に含んだお汁粉を一気に飲み込む。
 長く口に入れて置くと凍りついてしまうからだ。
 もう頭よりも先に身体が条件反射で行う。

(これも俺の身体が身につけてきた歴史だ)

 その歴史が奪われてしまう。
 その人の中から消えてしまう。
 親しい人たちの中にも残らない。
 存在したことすら無くなってしまう。

 それは正に"本当の死"だ。

 この1年の間に冷たい男は様々な死を見てきた。

 家族に見送られ、惜しまれながら去っていく死。
 孤独ではあるが生きたいように生き、悔いを残さず満足して去っていく死。
 苦しみあぐねながらも生を望み、そして儚く消えていった死。

 直接、その場にいた訳ではない。
 全ては遺族や関係者から聞いて知ったことばかりだ。
 亡くなった人達とは言葉を交わしたすらない。
 それでも冷たい男は亡くなった人のことを覚えておこうと思っている。
 最後の姿を忘れまいと思う。
 例え、肉体を失い、魂が昇っていったとしても忘れなければ、覚えてさえいればその人は生きていけるのだから。
 それがただの自己満足だとしても、だ。
 だからそこ"とある物語"の存在を冷たい男は許すことが出来なかった。
その人の生きてきた証、道、そのものを奪ってしまう存在を。
 冷たい男は、ぷっと西瓜の種のように口の中にあるものを飛ばす。
 赤黒い小石のような塊が地面で跳ねる。
 口の中で凍ったお汁粉の残渣だ。
(物思いに耽ってしまったな)
 口の中に残渣を残すなんて子どもの時以来だ。
 冷たい男は、水筒の蓋を閉め、小さく息を吐く。
「悩んでもしょうがないか・・・」
 チーズ先輩の話しでは"とある物語"の事例はあまりにも少ない。それはつまり遭遇率の低さを意味する。
 今回は、たまたまうちの斎場に現れたが次にまた現れるとは限らない。ひょっしたら一生現れないかもしれない。
 そんなものにら囚われても仕方ない、仕方ないと分かっているが・・・。
 冷たい男は、わしゃわしゃと髪を掻き、仕事に戻ろうと
 リュックに水筒を仕舞おうとした時である。

 サイレンの音がする。

 不安と警戒を集わせるような救急車のサイレン。
 冷たい男は、サイレンのする方を見ると多くの人だかりが出来ていた。
 野次と悲鳴が飛び交い、カメラのシャッター音とそれを怒る声、そして「しっかりして!」と泣き叫ぶ声。
 物思いに耽りすぎてこんな大騒ぎに気づかないなんて。
 冷たい男は、自分に呆れた。
 そしてベンチから立ち上がると人だかりへと足を向ける。
 野次馬根性ではない。
 ひょっとしたら自分に何か出来ることがあるのではないか、そう考えて。
 人が良すぎるほどの世話焼き。
 それが冷たい男だ。
 そして案の定、それは冷たい男が何とか出来るであろうことであった。
 人だかりの中心にいたのは80を過ぎたくらいの男性と、そしてその男性に必死に呼びかける同じ年くらいの女性であった。
 男性は、左足を押さえて、青黒い顔で蹲っていた。
 足からは大量の出血が。
 それを見て女性が狼狽し、野次馬達は心配半分、好奇心半分の目で見るも何もしない。
 冷たい男は、そんな野次馬の姿に嘆息し、人波を抜けて2人に近づく。
「大丈夫ですか?」
 冷たい男に声を掛けられたことに女性は驚く。
 蹲る男性は、そんな余裕なく呻くことしか出来ない。
 冷たい男は、しゃがみ込んで男性を見る。
 側から見ていたよりも大量の出血だ。
 恐らく今さっき流れたものではない。
「転倒した時に石に足をぶつけてしまったの」
「それでこんなに出血を?」
「心臓の病気で血をサラサラにする薬を飲んでて、それで・・・」
 血液を凝固することが出来ないのだと言う。
 冷たい男は、男性のズボンを捲り、出血点を確認する。
 膝部分がぱっくりと三日月に割れていた。
 出血をだけでなく膝蓋骨も割れている可能性がある。
 男性は、痛みで呻き声を上げる。
 冷たい男は、ポケットからハンカチを取り出し、逆の手の手袋を口に咥えて外す。
 周りの温度が低くなる。
「誰かこのハンカチに水を掛けて」
 冷たい男は、野次馬達に声を掛ける。
 声を掛けられるなんて思っていなかった野次馬達が動揺する。
 冷たい男は、イラっとする。
「誰でもいいから!」
 思わず声を荒げる。
 野次馬の中から中年の女性が前に出てペットボトルを出す。
「これでいいかしら?」
「ハンカチに掛けて」
 中年の女性は、言われるがままにハンカチに水を掛ける。
 冷たい男は、ハンカチが濡れたのを確認し、剥き出しの指で一瞬触れてそのまま叩きつけるようにハンカチを男性の膝に当てる。
 ハンカチが白色に凍り、膝に張り付く。
 ハンカチを中心に男の膝の周りが凍てつく。
 野次馬から「おおっ」と声が上がる。
 冷やされて痛みが引いたのか、男性の表情が柔らぐ。
 女性の表情に歓喜が浮かぶ。
 サイレンが近づき、公園の外に救急車が止まる。
 それを確認して冷たい男は、立ち上がる。
「深く冷やしてないので病院で温めて貰えばすぐに溶けますよ」
 女性は、感謝の言葉を冷たい男に向ける。
 歓声が野次馬から巻き起こる。
 冷たい男は、恥ずかしそうにしながら手袋を嵌め、そして気づく。
 野次馬の中にあの少年が、"とある物語"を持っていたあの少年がいることに。
 男性が救急車で運ばれ、女性が付いていく。
 野次馬がそれを見届けて誰も号令を掛けないままに解散する。
 そして残ったのは冷たい男と少年だけだった。
 少年は、憎悪の籠った目で冷たい男を睨む。
 冷たい男は、小さく眉を顰める。
「余計なことを・・・」
 少年は、憎々しげに呻く。
「お前のせいだ!」
 少年の言葉に冷たい男は、眉を顰めた。
(この子・・・人間だ)
 冷たい男には霊感や魔力と言った類のものはない。
 あくまで普通の人よりも体温が低いだけの人間だ。
 しかし、その為か直感や感覚だけは刃物のように鋭利だった。
 その直感が告げる。
 目の前の少年は、ただの人間の男の子だ、と。
 そう理解した瞬間、冷たい男は、声を出すことが出来なくなった。
 怒っていたのに、見つけて問い詰めようと思っていたのに、予期もせぬ所で見つけ、しかも相手からアクションを起こしてきたと言うのに。
 目の前にして言葉が出ない。
 適切な言葉が出てこない。

 怒りの声を上げるべきなのか?

 問い詰めるべきなのか?

 言葉の答えが見つからないままに唇が言葉を紡ぐ。
「君は・・・何者だ?」
 どこの小説にも転がってそうなありきたりな台詞。
 しかし、紡いでみればそれは冷たい男が1番聞きたかった言葉へと続く最も適したものだった。
「君は・・・何がしたいんだ?」
 しかし、少年は答えない。
 ただただ単調なまでの怒りと憎しみを燃やし、睨むだけだ。
「お前には・・・関係ない!」
 少年は、そう吐き捨てると踵を返して走り去ろうとする。
 冷たい男は、一瞬の間を遅れて手を伸ばし、足を踏み出す。
 しかし、少年は、直ぐに立ち止まる。
 それどころかその場に蹲って地面に倒れ込む。
 冷たい男は、慌てて駆け寄る。
 少年は、怯える猫のように身体を丸めて痙攣し、唇は染めたように青く、呼吸は短く荒い。
(チアノーゼ!)
 冷たい男は、反射的に手を引っ込める。
 そんな状態の人間に自分が触ったらそれこそ死を招いてしまう。
 冷たい男は、ポケットからスマホを取り出すと119番に連絡をした。
 少年は、苦痛に喘ぎながらも冷たい男を睨みつけていた。

(お前の・・・せいだ!)

#連作小説
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