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DTMの解剖学:「正解はない」の真実と誤解

はじめに

"DTMやミキシングにおいて、「正解はない」という言葉を耳にすることは珍しくありません。この流行り言葉が暗示するのは、音楽制作はアートであり、従って多様性が尊重されるべきだという意見です。確かに、音楽は創造性豊かな表現形態であり、一つの方法に縛られるべきではありません。しかし、この「正解はない」論が時として導く先は、テクニカルなスキルの軽視、あるいはその全体的な品質の低下といった問題です。

この記事では、料理という日常的なものをアナロジー(類推)として用いて、音楽制作における「正解」の存在について議論します。具体的には、ジャンルによって異なる「レシピ」や「正解」が存在すると主張し、その無視が何を犠牲にするかを明らかにします。

だからこそ、この記事を最後まで読んだあなたは、もう一度「正解はない」と口にする前に、その言葉が何を意味し、何を犠牲にする可能性があるのかを深く考えることができるはずです。


1:音楽と料理—アナロジーからの洞察

料理には確立された「レシピ」が存在します。このレシピを作成する過程には、長い時間をかけて試行錯誤と研究が積み重ねられています。例えば、日本料理では寿司、フレンチではクロワッサン、イタリアンではスパゲッティなど、それぞれのジャンルに特有のレシピがあります。レシピを無視して塩を多くしたり、砂糖を抜いたりした場合、その料理はもはやそのジャンルに属するものとは言えなくなります。同様に、レシピを無視すると、食の安全性が損なわれたり、風味が台無しになる可能性があります。

音楽制作もまた、一定の「レシピ」または「正解」が存在します。たとえば、クラシック音楽には明確な楽譜があり、その楽譜から逸脱することはタブーとされています。また、ジャズにおいては即興のスキルが要求されますが、それでも基本的な和声進行やリズムに則っています。エレクトロニック・ダンス・ミュージック(EDM)においても、ビートとシンセサイザーの使用が一般的です。これらのジャンルで「正解」を無視すれば、その音楽はそのジャンルに適合しなくなる可能性が高いです。さらには、音楽の品質そのものも下がる可能性があります。

このように、料理における「レシピ」の存在と音楽制作における「正解」は、表現形式が異なれども、その根底には確固たる理論と技術、そして研究があると言えます。だからといって、その「正解」が全てではありませんが、それを無視することのリスクには注意すべきでしょう。

2:「正解はない」という神話の破壊

「正解はない」という言葉が頻繁に飛び交う今日、その背後にはしばしば見落とされる真実があります。それは、この言葉が過度に広がり、結果として技術の進歩や品質向上が遅れる可能性があるということです。

「正解はない」と主張する人々が見逃している重要なポイント

「正解はない」とはよく言われますが、これが「何でもあり」あるいは「何をしても許される」と解釈されることも多いです。しかし、このような解釈は技術的な進歩を妨げる可能性があります。例えば、音楽制作では適切なイコライゼーションやコンプレッション、さらにはフェーズ調整・音圧の操作、サチュレーションの適用、リバーブのダッキングやイコライジングなど、多くの「正解」とされるテクニックが存在します。これらのテクニックを熟練して使えば、明らかにミックスの品質が向上するでしょう。

そのような主張が生む問題:技術の停滞、質の低下

「正解はない」という思考が一般化することで生じる危険性は、音楽制作におけるテクニカルなスキルの進化が停滞することです。新しいミキシング手法やプラグインが登場しても、「正解」ではないと却下されると、その革新的な価値は十分に活かされません。また、何が「良い」か「悪い」かの明確な基準が失われるため、作品の品質が全体的に低下する可能性もあります。

3:音楽ジャンルごとの「レシピ」は存在する

前のセクションで「正解はない」という考え方がどれだけ問題を引き起こすかを考察しました。さて、ここで音楽のジャンルごとに存在する「正解」、すなわち「レシピ」について掘り下げていきましょう。

ジャンルによって異なるミキシングやマスタリングの「正解」

音楽のジャンルにはそれぞれ独特の特質とニーズがあります。例えば、ロックではギターの存在感を前面に出すためには、マルチバンドコンプレッサーでミッドレンジを強調するテクニックがよく使われます。クラシックではストリングセクションの美しさを引き出すために、高解像度のリバーブが多用されます。エレクトロニック音楽ではサイドチェーンコンプレッションを用いて、キックとベースが衝突しないよう工夫する場合があります。

ポップ音楽では、ボーカルをクリアかつ前面に持ってくるための技術が非常に進んでいます。例としては、動的なEQでシビランスを抑えたり、マルチバンドコンプレッサーで特定の周波数帯をコントロールするといった高度なテクニックがあります。

それを無視すると、何が失われるのか?

このジャンル特有の「レシピ」を無視すると、最も明らかな結果はそのジャンルの核となる要素が不明瞭になることです。例えば、ジャズで重要なブラスセクションが埋もれてしまったり、ヒップホップで重要なベースラインが弱まると、その音楽はジャンルの特質を活かしきれていないと言えます。

さらに、ジャンルによっては特定のイコライゼーションやコンプレッションのテクニックが確立されており、それらを無視すると、音質が低下する可能性があります。例として、ミッドサイド処理を用いてステレオイメージを調整したり、パラレルコンプレッションでダイナミクスを維持しつつ音量を上げるなどのテクニックがあります。

まとめ

各ジャンルには特有の「レシピ」があり、それを知っているかどうかで作品の質が大きく変わる可能性があります。それを無視すると、音楽がそのジャンルに求められる特質やエネルギーを失う恐れがあります。

4:「正解」を求めるとは何か

「正解」を求める人々が何を目指しているのか

「正解」を求める人々は、多くの場合、一貫性、品質、そして独自性を追求しています。彼らは音楽制作において一定の「基準」や「ガイドライン」を設定し、その枠内でクリエイティビティを発揮することを目指しています。例えば、ジョージ・マーチン がプロデュースしたBeatlesの「Tomorrow Never Knows」では、テープループとリバース録音が使われています。これはその当時としてはかなり斬新な手法であり、音楽制作における「正解」を一変させるきっかけとなりました。

また、「A Day in the Life」では、オーケストラが非常に独特な方法で使用されています。オーケストラのクレッシェンドが楽曲に壮大なスケール感を与え、これが後の多くのアーティストに影響を与えました。

マイケル・ジャクソンの「Thriller」は、プロデューサーのクインシー・ジョーンズによって多くの革新的なプロダクションテクニックが用いられました。例えば、タイトルトラック「Thriller」では、音響効果(ドアのきしむ音、足跡の音など)が楽曲に織り交ぜられ、一つの大きなストーリーを作っています。これは、単なる楽曲以上の体験をリスナーに提供するという新しいアプローチであり、そのためには高度なミキシング技術が必要でした。

これらの例から、名作と呼ばれる楽曲やアルバムが存在する背景には、高度な技術と独自の解釈、そしてそれらがうまく融合されているケースが多いです。このような作品は「正解」の一例とも言えるでしょう。だからこそ、音楽制作において「正解はない」と一概に言うのは短絡的であり、それぞれの文脈で「正解」を追求する価値があると言えます。

「正解はない」という人々が何を基準にしているのか

一方で、「正解はない」と主張する人々は、多くの場合、音楽制作が主観的なアートであるという点を強調しています。彼らは、音楽には無限の可能性があり、それぞれの作品やアーティストが独自のアプローチを持っているべきだと考えています。この考え方は、多様性と実験性を促進する点で有用ですが、

それがなぜ不十分なのか

「正解はない」という主張が不十分な理由はいくつかあります。第一に、この主張はしばしば、技術的な優れた作品とそうでない作品を同等に見てしまう可能性があります。また、新しいアーティストが確立されたテクニックを学ぶ機会を失うこともあるでしょう。さらに、このような考え方が普及すると、ジャンルやスタイルが持つ特定の「レシピ」や「テクニック」が軽視され、結果としてそのジャンル自体が希薄化する可能性もあります。

このセクションでは、音楽制作において「正解」をどう捉えるべきか、そのバランスと深みについて考察しました。一概に「正解はない」と捉えるのではなく、各ジャンルや文脈に応じて「正解」を探求することが、より高品質な音楽制作につながるでしょう。

5:「正解はない」という言葉の本当の意味

言葉の起源:自由な表現の場

「正解はない」という言葉がもともと何を指していたのか考えると、このフレーズはしばしば創造性やアートの文脈で使われます。つまり、アートは主観的な要素が多く、多様性が許される場であるため、「正解」を一概に定義することは難しいという意味です。この言葉は、制作する側と受け手側の双方に多様な解釈と表現の自由を許容するための方便とも言えます。

誤解の成り立ち:単純化と無責任

しかしこの言葉がどう誤解されているのかというと、一部の人々は「正解はない」を極端に単純化して解釈しています。この誤解により、必要なスキルや知識、テクニックを無視する風潮が生まれ、音楽制作においても「何でもあり」の状況が広がっています。これは、そのような単純化がもたらす「技術の停滞」や「質の低下」に直結します。

シグナルとノイズ:正解の追求とは

正確には、「正解はない」という言葉は「正解が一つだけとは限らない」と解釈する方がより適切です。異なるアプローチや解釈が存在する場で、その多様性を尊重する意味でこの言葉は有用です。しかし、それは「何をやってもいい」というわけではありません。基本的な音楽理論、ミキシングとマスタリングのテクニカルな側面など、一定レベルの「正解」や「基準」は確かに存在します。

まとめ

「正解はない」と一口に言う前に、この言葉の持つ意味とその背景、そしてその誤用がもたらす可能性についてしっかりと考慮する必要があります。絶対的な「正解」は文脈に依存しますが、「何でもあり」ではないということを理解することが、音楽制作における成長と革新に繋がります。

結論:「正解はない」の重さと限界

本稿を通じて、DTMとミキシングにおける「正解はない」というスローガンの多面性について深堀りしてきました。このスローガンが持つ魅力と制約、そして誤用のリスクについても考察してきました。

言葉の重みを理解する

「正解はない」と言う前に、その言葉が何を意味し、どれだけの影響力があるのかをしっかりと考える必要があります。言葉一つによって、多くの若きアーティストたちが技術や理論の重要性を軽視する可能性があり、その結果として全体のクオリティが低下することも想定されます。

文脈に依存する「正解」

一方で、「正解」はあくまで文脈に依存します。ジャズにおけるミキシングの「正解」は、EDMやロックで通用するわけではありません。そのため、その文脈における「正解」を理解し、それに習ってスキルを磨くことが重要です。

「何でもあり」ではない

さて、絶対的な「正解」は存在しないかもしれませんが、それは「何でもあり」という状態を正当化するものではありません。基本的な音楽理論や音響工学の理解、そして何よりもその楽曲が求める「正解」を見つけ出す探求心が求められます。

最終的な考察

このように、「正解はない」という言葉は一概には否定できませんが、その解釈と適用には慎重さが必要です。これからも音楽制作の場において、「正解」を模索し続けることで、より高いクオリティと多様性が生まれるでしょう。そしてそれは、音楽が持つ無限の可能性をさらに広げることにつながるのです。


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