見出し画像

よなよな80 よなよな晴れ

ばな子

ただいる

今の家に引っ越して夫が住民票を初めて同じ場所に移してきたとき、子どもが生まれたとき以上に動揺しました。これまでとなにも違わないのに。生まれてから1回も実家の人たち以外と住民票を同じにしたことがなかったのです。
産院で赤ちゃんがふにゃふにゃ寝てる横で、入籍の書類じゃなくって認知の書類を書いてる夫っていうのだって、若い(と言っても40だったが)からただ「ウケる〜」と思っただけだったのに。
それだって疑う気が全くないほど信頼してなかったら悲しい場面かもしれなかったですよね。
結婚って、幻想がなかったら絶対できないと思うから、いいと思う。
悪いことばっかりじゃなかったわけだし。
私、今夫がたとえば若い女性と大恋愛して出て行ってしまっても、「悪いことばっかりじゃなかったな」とは思うと思います。
だから、やっぱりよかったのでは。まみちゃん、なんの失敗もしてないし。
多分ですが、まみちゃんがさっぱりしてるからこってりした説明が足りなかっただけで。
してもだめだったとは思うけど、彼が「この人、こんなふうに言ってるけど、そんなこと言ったって女性だし、言うほどじゃないだろう」と思っていた部分が全部単にほんとうだっただけというか。
慰めになっていないか、慰めていないけれど。
ただ歩んできたまみちゃんがここに生きている、それがいちばん大事なことです。

私にも多少劇場型というか、人目につき慣れているというか、いつでもクラスで謎の有名人だったというか、そういう一面があるのですっごくよくわかりますが、そこで15万円のテラスハウスに住むというのは、誰かに尊敬してほしい人だけなんですよ。「絶対!5万のアパートはいや」と思う人は、ほんとうにどうしたって引き返せない人なんですよ。プライドが高いし、エネルギーがあって、そしてさらに見切り発車というか。
それこそ秋元さんのおっしゃる通りで、いちどその道(自分で自分を騙す、そして悪いことだとわかっていても、色とか欲や支配されたりしたりに手を染めるときがある)に入ったら、もう引き返せないんだと思います。引き返せない嘘の道に入るのは、親分と契りを交わしてやくざになるのと同じで、ある意味かっこいいし、ビシッと根性決まるし、もうここを行くしかないんだ!というパワーも湧いてきますし。
それをたくさん見てきて、自分でも多分いくつかそういう感じの後悔をして(若干の芸能界みのある世界で、そして死ぬほど大勢の人に出会ってきて、騙されたりもして、きれいごとを吐いたりもして)、結果私にできることは「まあ、とにかくどこにも行かないしあまりなにもしないにつきる」っていうことをわかることでした。どこにも行かなきゃ、引き返さなくてもいいんだなって。で、それを実行してます。
これを実行し続けられるかどうか、そこが多分、老後の生き方の境目ですので、かなり本気です。
ただ、いつのまにか軸足がずれることっていうのが、あるんですよね。これまた。
そしたらまた調整して、なるべく同じ場所にいる。同じ景色を見る。これにつきます。
それってつまり、そういう結婚相談所で、亭主メシ(じゃなくてなんだっけ)みたいなの(肉じゃが、ハンバーグ、オムライスみたいな)で胃袋をつかんで、そんなに好きでもないけど大好き!って笑顔を見せて、ご両親の前でかわいくふるまっていく道だって同じですよ。自分を騙し、人を騙す。その道はやくざと同じく引き返せない道ですよ。
だっていつまでも永遠に、生きてる限りずっと、「うっせー、もうめんどくせー、カップヌードルなら作ってやるから湯をわかせ、オレは家政婦じゃねえ、こきつかうなこのクソババア」って夫や姑に思っていたとしても本音を誰にも言わない道なんですから。愛してない人たちを愛してるふりをする道。自分を騙して前に進むしかないですよね。せめて得られる金銭や満たされる支配欲や安定や、そんななにかを期待するしか。

昨日まさに、ドーミーインでフロントの人が見てない隙にアメニティをごっそり持ち帰る人を見ましたが、箱ごとではなかったものの、ブラシやコットンってそんなにいる?と思うと同時に、家でそれを喜んで使っているその人の姿を想像してやっぱりげんなりしました。
だって、その箱に毎日きちんとブラシを入れて整えて、働いてる人がいるわけだから。
何回か同じたとえを書いたけれど、人をレイプするってことは、その人がその日の朝、1日を楽しくしようと思って着た服やかばんやメイクや、そんな気持ちこそをどうでもいいものとして踏みにじることなんですから。犯罪の度は違うけど同じ根っこですよね。
でも同じくドーミーインで、無料の夜鳴きそばを作ってる日本人じゃないお姉さんが、ほんとうににっこにこしてて、みんなも嬉しそうにお盆持って並んでて、盗みもそばも、この全部がドーミーインを作ってるって思ったら、まみちゃんのバイト先の銭湯もやっぱりそうなんだと思うんです。泥棒が壊すところを、感謝の手紙の人が直して、指名手配のポスター(桐島という人はもういなくなったんだね)や重くくさいサウナマットや、そういう全部が大きな全体を作っていて。
だから許してやれって話じゃなくって、どうしようもないことはいっぱいあるが、それをわかっていて、自分ができることをしてる人にだけ見えるいい景色があるっていうか。

しかし、もう一段階違う変なことを見ると、なかなか考えさせられます。
私が行ってた酵素浴で、痩せていて寒い寒いっていう人に、店長が自分のガウンを貸してあげて、次来るときに持って来てね、って言ったら、次に来たときその人がガウンを忘れて来て、しかも帰りにでっかい瓶(家庭用ではなく銭湯用のサイズ)のコンディショナーを持って帰っちゃったんですよ。これまた借りパクを超えてるというか。私がシャワー浴びてて、あれ?いつもあるコンディショナーがない、って気づいて発覚したのだが。「え?あんな大きいものを?」と言い合う店長と私の間に射してきた変に暗い、笑えない影の感じったら。
あと、昨日泊まった宿のサイトを見てなかったので泊まる直前に見たら(知ってたらキャンセルしてたと思うが、当日不泊だと100%払わなくちゃだから)、「お勧め インジェクションビーフ」って書いてあって、現場でいっちゃんが聞いてみたら、肉を焼いてるシェフがなんと、オーストラリア産の赤身の肉に、牛脂や柔軟剤を注射して柔らかい霜降りにしたものって誇らしげに言うんですよ。問答無用で出て来たのでひと口食べたら、変な脂がじゅわっと出てきて、絶対ムリと思って残しました。全身にすぐじんましんが出た。
数年前くらいの古〜い牛脂を、そのまま口に入れて食べた感じというか。
そして、目の前にいたいっちゃんがその肉をふたくち食べたら、いっちゃんから感情が一切なくなって、笑顔もなくなって、ビールも飲まなくなって、ほんと怖かったです。まずいとか、がっかりとかじゃなくって、感情が消えたの。怖すぎる、その食べもの。
なんていうのか、他者を害することを全くなんとも思わない(それでもフルフォード博士のおっしゃる通り、無意識の世界ではとんでもないカルマを負ってると思いますが)世界のレベルが想像を超えてきたというか。
まあそれでも、自分のできることをムリない範囲でして、それでもだめならあっさり引き返して元の場所で昼寝とかして、また立ち上がったらまたできることをして、だめなら自分を責めないで、もう笑っちゃうか、「まあ、いいか」と思う。どうしてもそう思えないときは、たくさん寝て起きる。だめならまた寝る。もし元気になったら、「やったー!」となんか食べに行く。いっしょに笑える人に会いに行く。
生きているあいだは、それしかできないのかもな、と思います。

五郎さんが、私っぽいと言ってくれた「ぜんまいざむらい」の曲を貼っておきます。
こんな感じが、いいです。

https://youtu.be/ubjYXavE7u4?si=eLtZueaaxBIbhlUs

ここから先は

1,757字

よなよな、人生について意味なく語り合うばな子とまみ子。 全然違うタイプだからこそ、野生児まみ子の言うことを聞くとばな子こと小説家吉本ばなな…