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小説冒頭『急患再び』

―はい、クリーンデンタルクリニックです
―急ぎで、今夜、処置お願いします
―かしこまりました、確認しますので診察券番号を
―11564です

 強引な急患の電話はよくあることだ。
 しかし、静かに灯った赤ランプに黒髪黒縁眼鏡の受付嬢は思わず姿勢を正した。

―少々お待ち下さい

 診療室へと急ぎ、処置を終えた院長に声をかける。
「急患です。11564番、今夜希望です」

 番号を聞いて院長は目を細めた。おもむろに指を組みポキリと鳴らす。受付嬢にはその姿が嬉しそうに見える。
「久々だね、まあそれだけ平和だったってことかな」
「19時に一般のアポが入っていますのでそれ以降なら」
「21時でどうか聞いてみて。あ、内容は聞かなくていいよ」


「先生、あとはメスと麻酔で宜しいですか?」

 一般診療が終わる頃、受付嬢は慣れた仕草で往診鞄に得物を詰めていた。

「そうだね、あ、一応遠距離用麻酔も入れといて」
「はい……潜伏中の強盗殺人犯との事なのでおそらく男性でしょう。麻酔多めに用意しますね」
「え、何、対象聞いたの? だから聞かなくていいって」
 院長は呆れ顔を見せたが、受付嬢は真顔で受け流した。「こちらの準備もありますし」
「そうだけど、君にはあんまり情報入れたくないんだよね」
「そういう気遣いは無用です」
「いや、でもね。ああ」
 これはもう要らないよ、と院長が鞄から鉗子を取り出した。
「最近はリスクもあるし、出血は極力抑えたいから抜歯サービスはやめたんだ」
 あら意外、とさも残念そうな受付嬢に対し院長は目を見開いた。
「他人の、しかも死者の歯だよ? いい趣味じゃないよね」「コレクションとしては、悪くないと思いますけど」
「……君ね、この際だから言うけど、悪いことは言わないからもっと真っ当に生きる道を探しなさい」
「私にとっては至極真っ当です。歯を綺麗にするのも世の中を綺麗にするのも」

 その時、再び電話が鳴った。
 赤ランプが静かに光る。


【続く】
#逆噴射小説大賞2023