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#場づくりという冒険オンラインスクール に参加して感じたことをありのままに話す。

場づくりという冒険を終えて


4月14日(木)に始まった『#場づくりという冒険 オンラインスクール 第7期』も、先日の七夕(7/7)で幕を閉じた。場づくりという何気ない抽象的なワードに魅了され、この3か月の間、地方創生や地域活性化への足掛かりとして、人と人との交流が自然発生的に生み出される場とは何か?を明確化するため参加した訳だが..

その最後の振り返りの回で、言葉で示すことが出来なかった悔しさもあり、この場を借りて書き残そうと思う。お題としては、大きく分けて2つ。内省(申込時に考えていた問いに対して、今の自分にはどんな回答ができそうか?)と、振り返り(これからどういった形で場に関わっていきたいか?)

これまでに受けた講義の内容を遡って、自分自身のアクションに繋げられるかどうか深掘りしてみようと思い至った。


自分にとっての ”場づくり”とは

そこまで、「場づくり」という概念を心底 考えたこともなく、イベントとしての在り方、コミュニティとしての在り方みたいなことでしか考えたことも無かった。ただ、コロナ禍になってから、人と人の距離が離れた事実と、時間を飛び越えて人と会話ができる現実に、考え方も変わった自分がいた。

【場所がなくても人と会って話すことはできる。けど、それでいいのか?】

場所を必要としない、インターネット越しのオンライン飲み会というシチュエーションは最たる例で、互いに楽しむという点では一緒だけど、何かが物足りない。やっぱり、一緒に同じ空間にいるリアルな場面という情報量の濃い解像度が高い場所は、頭の記憶の片隅にいつまでも残っている。

After コロナという観点で考えると、感染者数が 第7波 というところまで来ている中、人と会って交流する楽しみ方に、今一度 立ち返る必要があるのではないか?

このオンラインスクールを通じて、漠然とした 場づくり というものが、ひとつに繋がったそんな瞬間があった。


自分にとって出来ることは何か

記憶に残る=思い出を作る という解釈にも出来て、人生を奏でるということは、思い出作りにも変換できる。人は知らず知らずのうちに時間に流されてはいるけど、実は 頭の奥底に色んな景色を蓄えている。そう考えると、場づくりという試みは、この先会う人知る人、沢山の人にジグソーパズルの一端を届けることなのだろう。

そんな「思い出作り」を紐解くと、自分と嫁が共同作業として立ち会った『結婚式』は、一堂に会した誰しもが幸せになれる、今の尚 心の中で息づいている人生の一大イベントだ。 

これから先、自分が出来ることは、一体どんなことだろうか。

余り深く考えずに40代も半ばまで生きてきたおっさんからすると、後 残りの人生 は折り返し地点であり、やれることも数限られるだろうと思う。

とはいえ、時間は有限だから死ぬ間際になって後悔することだけは避けたい。自分自身の行動力をどこまで試せるのか。今から考えておくのも遅かれ早かれ悪くない。


地域との土壌作りを接点にして

自分にとっての 場づくりの原点は、高円寺に集約される。以下の note は、その自分自身の活動の根幹にもなっているものだ。

今でこそ、アクティブに関わることも少なくなったけれども、考えていることはずっと変わらないまま、地域に根付く地元民同士の賑わいだったり、知らない人との触れ合いだったり、コロナ禍の影響で薄れてしまっている 人との接点をどうやって作り上げていくか?そこに答えがあるような気がする。

また、地元といえば、僕の中心は、埼玉県さいたま市にあり、週末 子どもたちが参加している ボーススカウトや、カブスカウトの活動に勤しんでいる。ボランティアとひと言で片付けるには、思いのほかパワーが伴い、保護者の協力なくしては、子どもたちも安心してスカウト活動が出来ない。

これは、場づくりにも直結することだなと、最近になって考えることが多くなった。親、姉弟、そして友だち、その家族。皆んなが同じ共通認識でいないとできない活動であって、誰かしらが欠けても同じようにはいかない。

保護者と子どもたち、全員が協力し合うことで、思い思いの場が共有される。同じイメージの空間が作られる。


今後のこと、これからのこと

コロナ禍になる前、年次の大型イベントに参加して人と交流することが自分にとっての自己肯定感を高める場所であり、大勢の人と同じ場所で賑わい、高揚感が高まった時、知らない人でさえ同じ仲間だと思えた。コミュニティに至っては、色んな形があり、小さいものから大きなものまで、形式に捉われない普遍的なものと分かった。家族もひとつのコミュニティで、学校のPTAだってそうだ。自治体から、ご近所さん、果ては 習い事で一緒になる保護者同士の集まりでさえ 立派なコミュニティといえる。

自分にとって、イベントやコミュニティに携わることは生きている証であり、無くてはならないものとして、この2~3年に渡って考え方が変容した。一方で、会社という組織の中では、自分のペースで仕事をこなせないことの方が多く、どうしてもストレスフルにしかならなかった。イニシアチブを握ることが如何に重要か思い知らされた。

そんな気持ちの裏側で、今の自分が目指すべき場所はどこにあるのかと、改めて振り返ると、この1~2年を通じて醸成させているものが、1日店長として場所を間借りして、せんべろスナックを開いて人をもてなす。という企画。コロナ禍だからこそ、人と会うことへの執着というか、その時間の大切さが分かるからこそ叶えたい。


そして、場づくりの冒険は続く

人間はひとりでするには限界があって、誰かの手を借りないと達成できないことって山ほどある。これからは、地域との密接な関わりや、地方での活動を増やしていくミッションを自分に課していけたらと思う。そこには、どうしても 色んな人の力が必要で、そうした関係性が社会課題の解決にも繋がると信じている。

人的資本の開示や、ESG投資が、昨今叫ばれてますが、もっと身近なところでいうと、SDGsや、サステナビリティという草の根活動であって、ひとりひとりの小さな行動が社会貢献の一助になるのであれば、小規模でもいいから出来る限りのことはしていこう。

塩尻CxO lab というコミュニティ活動をこの7月から始めるのも、そういった想いがあったからこそ。

僕の場づくりは、未だ始まったばかり。


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