自分の戸籍情報は知っておいたほうがいいって話。

パスポート取得に向けて、戸籍謄本を取ることに。マイナンバーカードがあるから出張先でも取れるよなぁなんて思っていたら、本籍のある市町村以外から戸籍謄本を取れる市町村とそうではないところがあるらしく、運悪く取得できず。


区役所に行って整理券を取ると、80人待ち。これは予想外。悪い言い方になってしまうが、両親が離婚しているので戸籍情報をあまり把握していない。住民票に書いてあったことをなんとか思い出して、申請用紙に書けるところまで書く。待つこと2時間、窓口に呼ばれる。受付の方がモニターを見ながら、申請用紙に二重線を引く。申請用紙の情報がほとんど合っていなかったらしい。


「筆頭者はどなただと思いますか?」

…父親ですかね?

「(無言で首を降る)

じゃあ母親ですかね?

「それでは本籍をわかる範囲で書いてもらえますか?」

…これはなんとか正解。

「筆頭者からみて続柄は何になりますか?」

長男です。

「…(疑いの目)」


窓口で戸籍がない人みたいになってしまった。
行きた心地がしなかった。受付の人が優しかったおかげでなんとか戸籍謄本を取ることはできた。

長男をやらせてもらってるけど、戸籍上は次男。ついつい忘れてしまう。生まれた時には長男はいなかったらしい。弟よ、君は三男になるから覚えておきなよ。


そんなこんながあって、パスポートも無事取得して、飛行機も予約完了。翻訳機も購入。明石家さんまになる準備もOK。着々と準備が進んでいく。

せっかくの海外でやりたいことがあるか考えてみたら、飛行機でやるビーフorチキンがあった。ある意味1つの夢だったことを思い出した。その夢もすぐに打ち砕かれる。飛行機を予約する時点で、HPで選ばなければいけなかった。Good by beaf or chicken…
ヘルシーそうな料理ばかりでビーフもなければチキンもない。悲しい…

海外が初めてなので、知らないことばかり。というより何を知っておいたほうがいいのかわからない。とりあえず気になることは調べる。

・ベトナムは35℃を余裕で超える。暑い。死ぬ。

・ベトナムの水は日本ほど綺麗ではないので、お腹を壊したくなければ基本的にはミネラルウォーター以外飲まない。ジュースもNG。生ものはその水で洗われているので、火を通していないものも食べない。買い食いも基本的には避ける。歯磨きの際も注意。

・ベトナムは家電製品の変換プラグは必要なさそうだけど、変圧器は持って行ったほうが良さそう。

・ドライヤーは変圧器を使っても温風がでない場合があるので、海外対応のドライヤーを持っていったほうがいい。


行きたいかって言われたら行きたくない。日本にいない間の仕事を誰かがやってくれるわけでもないし。でも行くからには楽しまないともったいない。



noteに書いたような気がしないでもないけど、読んだことある人は読み飛ばしてもらって大丈夫。

定期的に聴きたくなる曲。自分が初めて自分で買ったCDはDOESのバクチダンサー。そのカップリングの曲。

当時中学校3年生の自分、部活も引退して学校祭の準備期間に入る頃だった。学校祭でAKBの「会いたかった」のCDが必要になり、同級生数人でCDを買いに行くことに。当時は今ほど音楽が好きだったわけじゃないけど、なんとなく初めて買うCDはこれじゃないような気がして、そのCDを買う前に何か買わねばと思い、近くにあったバクチダンサーのCDを先に買った。

当時はAKBがすごく流行っていて、ぷっちょにメンバーを模したキーホルダーのおまけがついていて、「前田敦子と大島優子が全然でないんだよ」と同級生数人が狂っていて、余ったぷっちょをもらってたりとかして、人生で1番ぷっちょを食べていた期間でもある。なんとなくCDが自分をそうさせるような気がして嫌だった。

CDを買ったものの、ラジカセで聴くしかなくて家ではうるさいと言われあまり聴くことができない。学校祭はCDを買いにいったらほぼ終わりというか、やることがなかった。準備期間中は普段は入れない空き教室が空いていて、ラジカセもある。そこに行って窓を開けて、音を小さくして、僕たちの季節を下校時間になるまで聴いていた。山の中にある学校だったから、自然の匂いがする。晴れてれば窓から準備する人たちを眺めて、雨の日は雨の匂いを楽しんだ。

先生が見回りに来て、教室のドアから

「何かしてるのか?」

何もしてない。

「なんかはしろよー」

と言うやり取りを何日もした。
1人で何日も同じように外を眺めているから、先生もさすがに、「何か悩みでもあるのか?」と聞かれたけど、本当に悩みがなかったから、ないと答えた。「ないわけないだろ」と言われて、

強いて言えば、チームを救えるぐらいバスケが上手くなりたかった。

そう答えたら「…そうか。」とだけ言って他の教室に行ってしまった。その次の日からは先生も来なくなった。

確かに試合の結果は酷かったけど、本当に後悔はしてないし悩んでもなかった。受験勉強が嫌だなぁとか、バスケしたいなぁとか、この先の人生ってどうなるんだろうとか、ざっくりと考えたことはあったかもしれないけど、悩みではなかった。かなりゆっくりと感じる時間を、ただただ頭をからっぽにして過ごしていただけ。窓の外の景色は今でも鮮明に覚えてる。

当時は自分の学校の学校祭とテレビで見る学校祭に差がありすぎて、学校祭の感じがしなくて好きでも嫌いでもなかった。無理に参加しなくてもよかったし、同級生が呼びにくることもあんまりなかった。普段やんちゃしててまともに授業も受けれない人もその日は学校にきて、それなりにクラスが1つになる瞬間があったから、それは好きだったかもしれない。ただそれが学校祭である必要はなかった。

友達がいなかったわけじゃないし、実家に1人部屋がなかったから、1人になる時間を楽しんでただけだと思う。


窓っていいよね。

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