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47才のキャンパスライフ 〜慶應一年生ミュージシャンの日々〜1「入学式」

これまで

 私CUTT(カット)というミュージシャンが、割と唐突にキャンパスライフを送るようになった理由や合格までのあれこれは、こちらのマガジン
「46才の音楽家が慶應受験を決意し、3ヶ月の勉強の末受かった話」
に綴っております。未読の方はよければぜひ!

入学式

 私は今、2024年度慶應義塾大学の入学式に出席している。

 ここにこうしていることを、半年前の自分は想像さえしていなかった。しかしある日突然世界史の面白さにハマり、大学受験してみようかなという冗談半分が段々と本当になり、遂には入学してしまった。まさに事実は小説よりなんとやらである。

 そしてそんなローラーコースター的な感興をより特別なものにしている事実は、私はこの入学式に

保護者としても出席している

ということである。なかなかにアクロバティックである。

 私の学習のきっかけとなった娘の受験はおかげさまで色々と成功し、推敲の末に同じ慶應大学へ入学することになった。
 これから彼女はまさに青春の真っ只中に乗り込み、かけがえのない時を重ねて人生を紡ぎ上げていくのであろう。

 思えば18年、あんなに小さかった赤子がこんなに大きくなって…と、お世話になった方々の庇護に感謝しつつ、日々をしっかり頑張っていってくれよ…なんて偉そうに感慨にふけっていたのだが、よく考えたら僕も

同級生でした。

 しかも単位やら履修やらコマやらの用語を飲み込むのに精一杯なありさまで、ヒイヒイ言っている。おまえががんばれよという話であります。

 しかしこの二面性のある感興というのも、最初はもの珍しく感じていたけれど、実は親しみのある気持ちなのかもと思い出した。

 おかげさまで私は四半世紀に渡りミュージシャンとして(どうにか)活動させてもらっているわけだが、時には自分がファンとして死ぬほど聴いていたミュージシャンの皆さんとステージで共演させて頂くという事が、ありがたいことにしばしばあった。(おかげさまで今もあります)

 そんな時は一緒に音楽を奏でながら、いわばアーティストとしての、舞台上の同志としての自分も当然いるわけだが(いないと流石にまずい)、同時にファンとしてテンションが上がりまくっている自分もこれまた当然いるわけである。
 アーティストとファン、あちらの世界とこちらの世界を行き来するような体験はこそばゆいながらに刺激的で、そしてひとたび「音を楽しんでいる」という大きな視点から眺めると、その二つの世界を隔てるものが徐々に滲んでいく気がして、豊かな示唆に富んだ体験なのである。

 思えば、誰もが多かれ少なかれ色んな役割や立場を状況にあわせて変えながら生きているのだから、一見相反する二つの立場を一度に抱えることも実は珍しくはないのかもしれない。

 そんな状況には戸惑いではなく、楽しむ事で対応するべきだろう。

 親と子、学生と保護者などと言っても、結局は同じ世界をつまづきながら歩んでいく同志に過ぎないのだし、両者を隔てるものは便宜上存在するとしても、それが普遍的に実在したりはしないのだ。

 自分は入学後、齢47才のイレギュラーな一年生であるという分別をわきまえて、現役生の皆さんの邪魔にならないように、できるだけ遠慮したキャンパスライフを送っていこうと思っていたのだが、ひょっとしたらそういう境界を自ら強固にしてしまうのは良いことではないかもしれない…。(そもそもそこまで周りは自分の事を気にしていないというのは、こちらは普遍的な事実である。)

 天は人の上下に人を造らずと福沢先生も仰っているし(これは皆んなが生まれながらに平等であるという意味ではないそうですが)肩肘を張らず、できるだけ素直に、これから始まる学生生活に向き合っていきたいと、思いを新たにした入学式なのであった。

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