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なぜ私は日本に移住したのか

―――2024年4月時点で日本語学校に通っている学生の物語

 ここで私が日本に移住した理由を話したいと思います。

 話は2017年に遡ります。その年、北京の大興区にある村落が火事で何人かが亡くなりました。それをきっかけに、北京は「下流人口」と呼ばれる低所得層の人々を排除し始めました。
 当時、私は天通苑のあるシェアハウスに住んでいました。約60平米の部屋が4つの寝室に分割され、私はその一室を月額約7.5万円で借りていました。ある日、部屋に帰ると、住民委員会(日本の町内会に相当する)からの通知がドアに貼られていて、政府はシェアハウスを禁止し、即時に退去するよう命じました。私は気に留めませんでした。
 数日後、住民委員の人は数人の男性と一緒に来て、ハンマーやドリルを使いメインベッドルームの壁を壊しました。彼らは、メインベッドルームは元々リビングルームで、不動産仲介業者が不正に部屋を分割したため、壁を壊すのは合法だと主張しました。
 メインベッドルームに住んでいたのは若いカップルで、女の子は私の妻と同じおっしゃれ好きで、よく美しいドレスを着ていました。その美しいドレスたちは塵と瓦礫に埋もれました。翌日、そのカップルは引っ越しました。
 更に数日後、突然電気が止まりました。料金未納だと思い、スマホで電気を購入しましたが(中国では電気料金は前払いシステム)、しばらくしても電気は復旧しませんでした。ルームメートが住民委員会の人々が再び来たと言っていましたが、彼らは電力メーターを取り外していました。私は廊下の電力ボックスを見たら、空っぽでした。
 私は妻にホテルに行こうと提案しましたが、彼女はお金を惜しんでシェアハウスに留まることを選びました。私たちは懐中電灯の光で以前イベントに参加した際にもらった美しいキャンドルを見つけ火をつけ、なかなかロマンチックな雰囲気になりました。
 そんな状態で一夜を過ごした後、翌朝私は住民委員会に行きました。私を迎えたのは若い女性で、北京語訛りで部屋に誰が住んでいるかを尋ねました。私は妻と一緒にシェアハウスの一室に住んでおり、他の3部屋は別の人が住んでいますと答えた。
 彼女は「奥さん?」と驚き、
「結婚しているのになぜ他人とシェアハウスに住んでいますか?
「彼女の安全を考えたことがありますか?」
「それは責任ある行動ですか?」と言いました。
 彼女の質問に私は言葉を失いました。

 私は元々口が達者な人間ですが、彼女の質問には言い負かされました。住民委員会から帰ってきた後、シェアハウスから普通のアパートに引っ越そうと思いました。
 しかし、シェアハウスに戻り、エレベーターから出たところで、このシェアハウスの仲介業者のスタッフがこっそりと電気メーターを設置しているのを見かけました。
 私は驚いて「お兄さん、これ大丈夫?」と尋ねました。
 彼は「驚かないで、社内研修を受けてるから、これくらいはできるよ」と答え、部屋の明かりがついた。お見事!

 その時から、自分の家を持つことが夢になりました。
 しかし、私の収入はとても不安定で、しばしば数ヶ月収入がなく、手持ちのお金もない状態が続いていました。そもそも、お金があれば他人とシェアハウスに住むことはないでしょう。
 数か月後、幸運にも動画配信プラットフォーム「愛奇艺iQIYI」が私が書いた本の著作権を買い取り、ウェブドラマを制作することになりました。突然手に入れた大金により、私の貯金は約100万元(約2000万円)に達しました。マイホーム購入に自信がつき、北京の様々な物件を見学に行きました。しかし、数件の物件を見学した後、北京でマイホームを持つことは不可能だと気づき、現在の貯金はスズメの涙のようなものであることを理解しました。
 
 その時、故郷の友人から連絡があり、郑州にある国有企業の不動産会社が物件を販売していると教えられました。北京でマイホームを購入しても、北京の戸籍を得られるわけではありません(北京の戸籍がない場合、子供が北京の公立学校に入学することが難しいだけでなく、他の様々な面倒も伴います)。友人が提案した故郷でマイホームを購入することにしました。将来Uターンする可能性もあるため、友人が勧めた物件を選び、登記簿には妻の名前を記載しました。

 私の妻は19歳の時に私と付き合い始めました。当時、彼女は大学生で、私はすでに他人と起業していました、最初の資金調達が順調で金持ちになった気分で、意気揚々で彼女に「2年以内に君の夫は大金持ちになるよ」と自慢しました。そして、2年も経たずに創業者と揉め、会社を離れ、一文無しになりました。
 その後、私は低所得者が集まったこのシェアハウスに引っ越しました。彼女が大学を卒業すると、荷物を引きずりながら北京の私のもとへとやって来ました。私はドアを開けて彼女を温かく迎え、彼女にこの小さな世界を紹介しました。
「ここがA部屋、営業をしている男が住んでいる。
 ここがB部屋、何をしているか私も知らない女の子が住んでいる。
 ここがC部屋、まだ誰も住んでいないが、仲介が数日中に人が来ると言っていた」。
 これがD部屋…つまり、私たちの家だ」と続けました。私の声は微かで、胸の内に秘めた不安が声で現れました。

 一時期は無職でしたが、その後私は本を書いたり、小さなビジネスで少額のお金を稼いだり、さまざまなことに挑戦しました。私が何をしても、彼女はいつも「いいわね、いいわね」と支えてくれました。
 ある日、私は彼女に「私たち、結婚しようか」とささやきました。彼女は一瞬の躊躇もなく「いいわ」と答え、そして彼女は私の花嫁となりました。昨年、私たちが新たな国への旅立ちを決意した際、ついに結婚式を挙げました。

 マイホームの購入はスムーズでした。契約時に建物はほぼ完成し、6ヶ月に引き渡しが予定されていました。契約締結の翌月からすぐにローンの返済が始まりました。毎月3000元以上(約6.5万円余り)を返済し、6ヶ月後にはマイホームを受け取り、内装が始まる計画しました(中国の新築不動産はほとんどが内装が施されていないため)。
 しかし6ヶ月後にマイホームを受け取る通知は来ませんでした…建設工事が停止していました。
 その時、私は問題の深刻さをまだ理解していませんでした。コロナの影響で、どの業界も苦しかったからです。友人に頼んで工事現場を見に行ってもらいましたが、最初は数人の作業員が作業していました。その後はゲートが閉ざされ、ただ一人の警備員が入り口で携帯をいじっているだけでした。
数ヶ月後、建設工事が再開する見込みがなく、購入者たちはマンション販売センターに行って説明を求めました。建設責任者は見当たらず、営業担当の数人が現場で対応するだけで、何の結果も得られませんでした。
 そのため、購入者たちは不動産業者の本社に行って座り込みをしました。不動産業者は嫌々ながら私たちと対話が始めましたが、言い訳ばかりでした。最初は砂塵対策と言い訳し、その後は新型コロナウイルスのせいにしました。最後に、不動産会社はとうとう「建設費がない」と白状しました。建設費はどこに行ったのでしょうか?
 皆は物件を購入時に、数十万元(約何百万円~何千万円)の頭金を払い、さらに毎月数千元(約何万円)のローンを銀行に返済しています。今、建設費がないと言いますが、私達が払ったそのお金はどこに行ったのでしょうか?誰も答えられませんでした。不動産会社はまるで熱湯にも動じない死んだ豚のような態度をとり、誰にも何ともできませんでした。
 私たちは仕方がなく「維権」という異議申し立て運動を選びましたが、「維権」のプロセスは困難極まりでした。郑州に住んでいる人はシフトを組んで販売センターで座り込みや横断幕を張る等活動しました。郑州に住んでいない場合はインタネット上で情報発信をしたり、国家国務院のアプリなどのプラットフォームでメッセージを残したりしました。
 しかし、何の返事もありませんでした。
 ある日、ある購入者が未完成の建物頂上に登り、飛び降りしようと注目を集めました。彼は結婚用でこの物件を購入したが、すでに離婚もしてしまい、まだ物件は引き渡されていません。下で見っている人々が「早く飛び降りろ!そうすればこの物件の問題に注目が集まるぞ!」と言いました。
 しかし、最終的にその人は飛び降りる勇気が足りず、警察に引き戻されました。その後、警察はセキュリティを強化しました。しばらくの間、その地域の警察の数は、建設を再開するふりをしている工事現場の労働者よりも多かったです。その飛び降りそうだった住民のおかげで、ようやく政府の関連部署が不動産の問題に関与し始めました。
 政府関連部署は私たち購入者と不動産会社の代表者を集めて、どのようにして自力で問題を解決できるかを議論しました。私たちは、物件を販売したお金がどこへ消えたのか、誰がそれを横領したのかをずっと追及しています。
リーダーの一人は傲慢な口調で答えました。「不動産会社は国有の大企業で、国の後ろ盾があるんだから、国のお金がどこに使われたかなんて、あなたたちが聞けるものか?」
 
 私は非常に怒っていました。このことをインタネットに投稿しようと思いましたが、「微博」を開いてみると、私は永久にアカウントを凍結されていました。WeChatも禁止され、いくつかの「維権運動」のグループも突然解散されました。これで、なぜこれまでの年月をこんなにも苦労して過ごしてきたのかが分かりました。
 私は常に、自分が知るべきではないことを明らかにしようとしていました。怒りが冷めた後、恐怖が始まりました。私は文筆業をしており、どこに赤線が引かれているかを知っています。これまでの年月で、一言やたった一枚の写真でブロックされる人々を数多く見てきました。
 この問題を引き続き追及すれば、自分だけでなく、協力者も巻き込んでしまうかもしれません。さらに、私は後でいくつかの記事などを調べて、以前この地のいくつかの不動産の購入者たちが「維権運動」をしたことがあるが、何人か投獄された事例があることを知りました……私は諦めました。その日、住民委員会の強い男たちがハンマーやドリルでシェアハウスの壁を壊したシーンが頭に浮かびました……小さな蟻がどうして木を揺さぶることができるのか。私には手に負えない問題です。
 もう一つはっきりしていることがあります。マイホームが引き渡されるかどうかにかかわらず、毎月の住宅ローンは確実に返済しなければなりません。私は自分の仕事を守らなければなりません。その後、「維権運動」グループで何か活動があっても、私はもう参加しませんでした。
 最終的には、管理者に私と妻をグループから追い出されました。まさに見放された感じでした。
 そんな折り目を経て、私は故郷へのUターン計画も諦めました。
ある日、台湾の編集者の友人が以前台湾で出版した私の本がまずまずの売れ行きだったと言いました。私は驚きました。その本は以前中国大陸で出版された作品集で、台湾に導入されて新たにパッケージされたものですが、私はそれに大して期待していませんでした。
 彼の話によると、東アジアの国々は文化や歴史的背景が似ているので、中国以外の国に行ってもできることがたくさんあり、もっと海外に行ってみて、日本も良い選択肢の一つだと勧められました。ちょうど妻の友人がコロナ前に彼氏と一緒日本に移住し、普段は東京の服装や靴などを購入することを頼んで、たまにオンラインで東京の生活について話をしてくれたこともありました。
 そこでその夜、私は「じゃあ、私たちも日本に行って生活してみようか」と言いました。
「いいよ」と彼女はいつものようにすぐ返事してくれました。
「猫はどうするの?」と彼女が聞きました。
「猫も連れて行くよ」と私が答えました。
「どうやって運ぶか調べよう」。
「では、マイホームは?」彼女が再び聞きました。
「もうすぐ引き渡しだって、今度は本当に引き渡すって言ってるよ」。
「要らない」と私は答えました。

 マイホームにまつわる様々な問題はもう私たちには関係ないことです。



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