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終わるカフェの片隅で

今はスタバにいます。
偶然ですが、店舗が移動するため今の店舗での営業は今日までだそうです。

今度は近くに新しくできたビルの2階が新店舗となるそうです。

特に感慨もなにもないですが、新しいお店が変わらず心地よい場所であることを願います。

鳥山明さんやTARAKOさんが亡くなられました。私は「ちびまる子ちゃん」はほとんど観たことがないのですが(スミマセン)、「アラレちゃん」「ドラゴンボール」はジャンプの連載も読んでいましたし、アニメも観ていました。

いずれにせよ、突然の訃報に驚き、その寂寥に胸を痛めています。偉大な存在、大切な人を亡くしました。

「サヨナラだけが人生」…かもしれませんが、やはり悲しいです。もう少し昔、まだまだギリギリ若いかな、と思っていた頃は誰かが亡くなっても「ああ、そうなんだ」とか「え〜と、誰だっけ?」くらいにしか感じなかったモノですが、歳を取った最近は「え?あの人が?」とひどく驚き、嘆くようになりました。

「高校野球の球児が年下になった」なんて呑気な時代は遥か昔、今は有名無名を問わず、人の逝去にひどく心乱されるようになりました。

私自身の「死」だって、いつのことだかわかりませんしね(どうなのかなぁ?)。

取り敢えず、今は生きていますが落ち着いた心豊かな日々とはとても言えません。贅沢を言っているのかもしれませんし、私より遥かに大変な日々を送っていらっしゃる方も沢山おられるのはわかっています。

それでも最近は色々と辛いです。まぁ、「毎日楽しい」なんて生活がいつ頃はあったかなんて忘れてしまいましたが…。

経済的にも無計画な金遣いでピンチですし、仕事も怒られたり、疲れ果てたりの毎日です。読書もイマイチ進みませんし、音楽を聴いていても時にはうるさくさえあります。

「心」に余裕がないんだな。という自覚はありますが、解決の方法は思いつかずイライラばかりが募ります。

他人を(口にこそ出しませんが)罵倒し、傷つけ「なんでアナタはそうなんだ!」という目でしか見られません。

私は現在、障害者の「一般就労」に向けての施設に所属し、外部の企業様にて「施設外就労」に就いています。

「障害者」として働かせてもらっていますが、かと言ってお給料をもらって働いている以上、叱責等と無縁なわけはなく毎日は大変です。

話は変わりますが「障害者」を「障がい者」と表記するのはいつ頃何処で始まったのでしょう?「害」のイメージが悪いせいか、差別に当たるとでも思われたのか、最近何処でも見かけます。

私いつも思います。

「だからなんなのですか?」

「平仮名にすれば差別ではなくなるのですか?」

障害者に限らず、差別は無くさないといけないのはまったく同意ですが、漢字をわざわざ平仮名になおす暇があるのなら、他に障害者に対する差別をなくせることは多くある筈です。

大体、カナ文字に失礼ではありませんか。万葉の時代の方が怒りますよ。

LGBT といい、障がい者といい、「差別・偏見を無くす」の名の下に「これだけやってりゃいいだろう」的なコトが多いと思います。

SNS の普及も考えものですね。

えー失礼、大分脱線しました。話を戻します(でも大事なことですよね?)。障害者として「一般就労」に向けて働いていますが大変という話です。

一口に「障害者」と言っても勿論人それぞれ違います。毎日接していても本当に「感心」してしまう様な人もいれば、「自分、なにしに来てんの?」と冷めた目で見てしまう(言ってよければ)「怠惰」な人もいます。

私自身がどう見られているのか、勿論気になりますし、あまり自信もありません。それでも自分なりに努力はしていますし、頑張っています。メンタル的にひどく弱いので、辛い時も多々ありますが、それでも最適を目指して日々働いています。

まぁ、私の話はいいです。時間があれば自分自身について「思いっきり掘り下げて」みたいですが…。

また少し話が逸れました。戻します。

ぶっちゃけ「オレら障害者だから、この程度でいいだろう。国だか行政だかが助けてくれるわ」なんて人々が確実に存在することも知っておいて欲しいのです。

「障害者は皆、自分の障害に負けず、日々前向きに頑張っている」なんてのは「幻想」ですし、「ダウン症の人や知的障害者の人たちは天使だ」と言うのも(お怒りは承知で言いますが)やはり「幻想」です。

こんな時代、こんな世界だから「弱者」と言われるカテゴリーに分類される人々には援助の手が差し伸べられるべきだと思います。

はい、私もその恩恵を受けて生きている1人です。認めます。こんな事言う資格はないのかもしれません。けれど、「現場・現状」を知る人間としてやはり言わないといけないと思います。

見たくないモノ、知りたくないモノ、色々とありますが「もっと深く、広い視野を持って、知ろうとしませんか?知ってくださいませんか?」

急がなくていいと思います。とかく性急に大事な問題に解決策を提示しようとするのは現代のよくない点だと思います。

時間はかかってもいいのです。大切なのは「現実を知り、認める」と言うこと。「幻想を捨て、真実を見つけること」だと思います。

長くなりました。なにを書いているのか、書きたかったのか、わからなくなってきましたのでこの辺でやめておきます。

この文章をここまで読まれて、不愉快に感じられた方も多いと思います。ですが、叱責は受けます。真摯に聴かせていただきます。それくらいの覚悟でこの文章を書いています。

でも、知ってください。障害者の置かれている現状を。苦しく辛く、終わりのない毎日を。

私だけの問題ではありません。

これは「貴方」の問題でもあるのですから。

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