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|映画チェック評|言葉では表現出来ない、世界への祈りとしての、アンドレイ・タルコフスキーの映像詩世界………。


旧ソ連邦で生まれて、冷戦中に旧ソ連邦で死んだ。ロシアの映画監督、アンドレイ・タルコフスキーについて今回は漠然と語ってチェックしてみようと思います。

いわく……タルコフスキーって、物語とか、映像とか、そういう物たちから、浮いているというか、ハッキリ言って言葉とかそういうもので語るのが、非常に難しい!!

タルコフスキー映画は、隠喩、いわゆるメタファーが随所に隠されており、既に終焉してしまった東西冷戦のあいだの、様々なメッセージを残している。部屋の振動とシンクロさせて、サイコキネシスでロシアの少女がガラスビンを振動と同調させて、見つめて落下させ割る、超能力的な現象や、カメラ画面を回転させながら、空中浮揚を起こす神秘的な奇跡!などを引き起こし、それらを使って冷戦中のバーチャルな時代と言うものをバックボーンとして、まぁ、漠然とした世界への、救済を細かくも壮大に、行ったような、そんな感覚的な感受性は受け取れる気はします………
……………………………………。


    まぁ、水、ウォーター………



ですね。そのかなりの水たまり、池など、水が部屋の天井から落ちて来る、水が染みわたっていうかのような叙情詩的なイメージ………
…………………………。

それは、言葉ではいいあらわせない、母のように染みわたり、包み込まれる圧倒感は、有ります。

デビューしてからの作品、|僕の村は戦場だった|でも、作中後半の闇夜の池、沼を征く戦隊達のシーンが出て来たり。それは何故かSFチックにも見えて来て……………………………。


SF映画としての|映画|ストーカーはゾーンと言われる謎の場所をさまよう長い映画です。作家と物理学者のふたりがこの世の全てが法則だらけだ、隕石の衝突地とも、異次元の入り口とも言えるゾーンに行けば何かのインスピレーションが出てくるのではとストーカーと呼ばれる案内人と共に、危険を避けながらゾーンにやがて辿り着きますが、そこは様々な兵士の死体の群れ、刻々と変わり続ける異様な風景、それがゾーンの正体でした。ついには「部屋」、と呼ばれる目的地へとたどり着きます。爆弾で破壊しょうとする者、部屋の偽善を疑う者、そこには心理の葛藤しかなく、やがて二人はゾーンを去っていきます。結局、何も見出だせなかったのだと。ですが、そこにも水たまり、河のようなもの、吹き出す水、など。これらタルコフスキー映画の様々な水のイメージは、東西冷戦、つまり凍えた冷たい戦争、コールド・ウォーがやがて崩壊し終焉をむかえ、氷が溶けて水になり、冷戦後の全世界を水が母親の母性のように世界を包み、世の中の様々な罪を許し、救済する祈りのようにも見えてきます。


・ストーカーにおいての謎のゾーン・



また、水たまりの道路をさまよう野良犬、これは、まぁタルコフスキー自身を投影した化身の様なものなのでしょう。ユーモアでもあり、そんな自分なのかな、という自省もあり

また、|SF映画|惑星ソラリスでは、かなりの長期間、世界中の科学者が関心を寄せている
プラズマの海で覆われた、それ自体知性を持った惑星ソラリスを探査していた宇宙船が、謎の混乱を起こしたので、主人公が送り込まれますが、彼が惑星ソラリスに周遊する宇宙船内で見たのは、何かに怯えた科学者達でした。そこで主人公の前に現れたのは、昔に死に別れた妻なのでした。それはソラリスの海が送ってきた幻像としてのメッセージだったのです。その映画のラストシーンでは、ソラリスの海を見ながら人類の意識の進化を促す
、とある言葉を残します。

ですがこの映画、なぜか前半に東京の首都高速のシーンがかなり長く流れるんですよね?

・惑星ソラリスからの妻というメッセージ・

ここにも、また、ソラリスの海という母性的な人類を救済する水のメタファーをタルコフスキーは、表していきます………………。


また、|映画|ノスタルジアでは、ロシアの音楽家の足跡をたどるためロシアの作家アンドレイはその身を病に犯されつつも、イタリア・トスカーナ地方の美しい風景を探索し、その旅も終わりに差し掛かろうとしていた。

だが、七年間もこの世の終末がやって来ると信じ家族と家に閉じこもった、周囲から狂人扱いされているドメニコに、一本の蝋燭を渡され、火を消さずに温泉の広場を渡ってくれと頼まれます。それをやれば世界は救済されるのだと。

時を前後して、アンドレイと時間がズレて、狂人ドメニコは、アンドレイは自分との約束を実行したかと電話で問い合わせ、その後にローマのマルクス・アウレリアス像のてっぺんに登り、三日間も演説を高々と述べ、最後には焼身自殺を図り火だるまになりながら焼死し像から焼け落ちます。私的にはこのシーンが、かなり強烈に頭のイメージに刻まれて遺っています………………。


・ドメニコの最後の自殺演説は凄まじい・


そしてアンドレイは、ドメニコとの約束を守り、火のついたロウソクを持って広場の温泉を渡りますが、何回か失敗してしまいます。何度目かに成功し、そしてアンドレイは地面に倒れてしまう…………。


ロウソクの火を消さずに温泉を渡る……………


そこに、わずかながらの深刻な世界の終わりへの、救済への希望を見出す…………………

何か、特別な思いが残りますよね……………。

水や火などのイメージを随所に使い、世界を救済へと導くメッセージ、タルコフスキーの夢が見て取れる様ですね……………………………。


・世界の終焉への救済の約束は・


遺作となった|映画|サクリファイスでは、舞台はスウェーデン。舞台俳優の主人公アレクサンデル。郊外の屋敷に住み、喉の手術で声が出ない息子と妻と召使いマリアと住んでいました。


・永劫回帰だね……・


映画冒頭、不思議な郵便配達員オットーは、かなりの長い間、遊びながら自転車に乗りながらアレクサンデルとよもやま話を話しながら、ニーチェについての不思議なセリフを語り、残していきます…………それは、何故か?


・燃える別荘急げ逃げろ!・


映画の中盤、いきなりの核戦争勃発で、一家は動揺します。テレビも着かない、文字通り
、世界の最後。世界は滅びたのだ。途方に暮れたアレクサンデルは不思議な郵便配達夫オットーから、召使いマリアと寝れば世界は救済されるのだと聞かされ、マリアは魔女なのだと。

たしか、その魔女マリアとのセックスシーン
でカメラワークを回転させ、空中に浮かび上がる映画上の奇跡的な光景をタルコフスキーは幻出させました。

翌朝、何故か核戦争は無くなっており、いつもの日常生活が、送られていた。それは魔女マリアと寝たからなのだと悟ったアレクサンデルだった。


映画の最後、息子が雨上がりの草原を歩き、腰を下ろし空を見上げてこう語ります…………

「永劫回帰だね。」


ニーチェのニヒリズムを引用して映画は終わります。


それは、世界救済、人類の罪からの救済、それらはニーチェの永劫回帰で意外にも消え去るものなのかも知れませんね………………?!!


恐らくは、ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーは、人類が様々に繰り返してきた愚かさを、冷戦だけでなく、愚かな間違いを、狂気な思想も、戦争も、映画という詩にも似た祈りを捧げて、それによって救済しようとした姿勢を指し示したかったのでしょうね…………………。


わたし的にはタルコフスキーって、偉そぶった姿勢のキリスト教なんかの既成宗教なんかが出来なかった、映画を使って救済としての等身大としての詩集を編んだ人かなって、そう、思えてきたりもしています。



       CLOSED。

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