小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第14話

1月14日

朝、何気なく起き上がるとヒューっという変な音がして、痰がからんで息ができなくなった。
慌ててシンクにいって、痰をはいた。
粘っこい黄色いものが出てきて、息ができるようになった。
父が背中をさすってくれた。
これがコロナの怖さなのだろうか。
Kさんが、赤十字の人を呼んで処理してもらったほうがいいといって、
電話をかけてくれた。
隔離部屋には何かあった場合にかける電話番号が貼ってあった。
例えば、ラップポンの袋がなくなった場合もそこに電話することになっていた。
電話をしてくれるのはほとんどKさんだった。
赤十字の看護師さんがきて、手袋とビニール袋を持って処理をしてくれた。
これからはビニール袋に痰を吐くように、とビニール袋をくれた。
私は昔のおじいさんが使っていそうな痰壺をイメージした。
息ができなくなるのが怖くて、横になりながらずっと痰を吐き続けていた。
白っぽいものだったが、よくもこんなに出るものだと思った。

のどがゼーゼーとなりだした。
食べ物どころか、水分を取ることも難しかった。
むせてしまって、飲めないのだ。
薬も飲めない。
経口補水液さえ飲めれば大丈夫だと思っていたが、飲めなくなるとは思わなかった。
そして今日は熱が上がり、38度以上になった。
私の声はかすれてほとんどでなくなった。
のどが痛すぎて、話しかけられると相手に殺意を覚えるほどだった。

父は耳が遠くなってきていて、隔離部屋では放送が聞こえにくかった。
私がそれを説明するのだが、本当に困った。
父の熱は下がっていた。
他の人も一日くらいしか熱は出なかったようで、
私のように3日も熱のある人はいなかった。
私はワクチンを3回しかうっていないからだろうと思った。
しかし、他にもワクチンをあまりうっていない人もいて、結局個人差のようだった。

往診にきた医師に水分をとれないことを伝えると
はちみつとヨーグルトを勧められた。
はちみつはのどの薬と同じ成分があるそうだ。
ヨーグルトはのどが痛くても、むせにくく食べやすいとのことだった。

今度は弟に頼んで、はちみつとヨーグルトをドラッグストアから買ってきてもらった。
でもはちみつも、ヨーグルトもむせて、吐いてしまった。
このまま悪化して死ぬことはないだろうか。
夫に生命保険に2つ入っていることを伝えておいたほうがいいのではないだろうか。
私が元気になったら、息子は喜んでくれるだろうか。
メールで、コロナにならないように気をつけてください、とそれぞれに送った。

昼ご飯は焼きそばとベビーカステラといちごだった。
父は食欲旺盛でしっかり食べていた。
私はいちごだけもらって、なんとか食べた。
九州のK県産という話だった。
K県でも地震があったから、支援物資をくれたのだろう。
水分の取れない私には、生命がぎゅっと詰まっているように感じた。

K県は高校の修学旅行で行った。
四半世紀ほど前の話になる。
A山の噴火口近くでポストカードや天然石の土産物を売っていたと思う。
私たちがW市からきたというと、朝市のことを知っていた。
「おばちゃんたちはお金を貯めて、朝市に行きたいと思ってるのよ。」と
言ってくれた。
単純に嬉しかったことを思い出した。
いちごのことで、K県がますます好きになった。

ますます痰と咳とゼーゼーがひどくなり、熱も39度まで上がったが、
解熱剤も飲めない。
父が看護師に、病院に行きたいことを伝えてくれた。
酸素濃度があまり低くないので、赤十字の人は病院に行くほどではないと
思っているようだった。
病院の先生の許可がでたそうでやっと行っていいことになった。
普通の患者を受け入れていないのだろうか。
箱のティッシュとビニール痰袋を持って、弟に連れて行ってもらう。
シートを倒していたのでどんなルートでいったのかよくわからないが
いつもよりも長くかかったように感じた。

病院に着き、時間外受付のほうから入ると、対応してくれた看護師さんが知り合いだった。
顔見知りで少し安心できた。
「息苦しそうやねー。痰を出すまし」
応対してくれた医師は、たまたま私の担当医だった。
担当医といっても、別の病院から派遣されている先生で
私がくる曜日に診察をしているだけなのだが、それでも嬉しかった。
解熱剤と痰の薬の2本を点滴してくれた。
点滴をしてくれたのはさっきの顔見知りの看護師さんではなく
東北のA県の看護師さんだった。
それは名札に書いてあった。東北からも応援に来てくれているなんて
感謝の言葉もなかった。

病院のベッドは快適だった。
採血をする部屋に置いてある、とりたてて変哲もないベッドだ。
地震前なら特に気になりもしないだろうが、とても体が楽だった。
静かで少しうとうととした。ここに泊まりたいくらいだった。
でも今は人がいないけれど、救急搬送されてくる人のために
ベッドをあけておかなければいけないのだろう。
点滴が終わらなければいいのに、と思った。

帰りに医師が薬をくれた。
解熱剤と痰きり(鼻水)の薬だった。
痰きりの薬は名前になじみがあった。
うちの子が風邪をひいたらいつも飲む鼻水の薬だった。
最近不足していると年末に報道されていたのに、もらえてよかった。
丁寧にお礼を言った。

帰りは正面入口のロビーで弟を待った。
ロビーの蛍光灯が配線でつながって、オブジェのようにぶら下がっていた。
病院の受けた被害の大きさがわかるような気がした。
まだゼーゼー言っていたが、点滴のせいか、座っていても少し楽になっていた。

弟の車がきたので、外に出た。
自動ドアは金属が挟まっているような嫌な音がした。
弟もそう言った。
「病院の送り迎えをしてくれた助かったわ。」
「大したことじゃないし、大丈夫や。」
父と弟がいなかったら私はもっと大変だっただろう。
家族のありがたさを感じた。

夜も痰を吐きながら寝るので、あまり眠れなかった。

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