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車椅子おばあちゃんのルーツ3

「重たいし、苦しいし、カッコ悪いし」

 小学校に入学する年齢になっても、私はピカピカの一年生にはなれませんでした。

けれども翌年の秋、小学校2年生の二学期からゆうかリ園という
病院と学校が一緒になっている施設に入園しました。
どういう経緯でそうなったのかはわかりませんが、きっと母が一生懸命探してくれたのでしょう。

その施設では親元を離れて集団生活を送らなければなりませんでした。
家に帰れるのは夏休み、冬休み、春休みだけで、面会が一週間に一回だけ日曜日に許されていました。

 入園の最初の日、いろいろな説明を受け、手続きを終えると、いよいよ私を一人残して家に帰る時が来ました。
すると、別れ際に母が初めて泣き出しました。絶対泣かないと決めていた私もつられて泣いてしまったことをうっすらと覚えています。
私は、自分の娘が小学校2年生になった時に、こんなに小さなこどもを自分から離して施設に預けるなんて、母はどんなにつらかっただろうと思ったことがあります。
でも、その母の決断で私は初めて学校へ行くことができるようになったのです。

 そして、私の世界は一気に広がり、どんどん自信がついてきました。これがスーパーハイパーポジティブシンキング人生の始まりです。

 ゆうかリ園での生活は、勉強と治療や訓練の毎日でした。看護婦さんや保母さんが生活のお世話をしてくださっていて、学校での勉強はとても楽しく、私はどんどん自信をつけていきました。
訓練はというと、つま先から胸まである鉄製のロボットのような「アバラート」という装具をつけて、歩く訓練が始まりました。「アバラート」をつけると、「なめ猫」のように無理やり立たされますが、それで歩くとなると、とても重くて、前へ進むには相当な腕の力が必要でした。なので、腕の力をつけるために、腕立て伏せなどの訓練もしました。

ある日、その重たい「アバラート」をつけて、廊下を歩く訓練をしていた時です。「あ、あ、あ~!」バランスを崩して倒れてしまったのです。頭を何針も縫う怪我をしました。小学校3年生くらいの時でした。

 その時、私は考えました。「こんなことをして歩けても、なんの意味があるんだろう」「ぜんぜん自由に動けないし」「重たいし、苦しいし、カッコ悪いし」「もういやだ!」
どうしたら歩く訓練をしなくてよくなるか、考えをめぐらしました。
色々考えて、「そうだ、担当のお医者さんに訓練を止めてもらえるようにお願いすればいいんだ!」と思ったのです。

多分これが、私の人生での初めての挑戦です。
さあ、歩く訓練を止められるでしょうか?


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