失われた30年 ☆77
昨日からの続きみたいになってしまうが、
還暦を前に、過去の自分を振り返ったり、子供の頃好きだったモノを改めて点検し直していて、その作業が正直に楽しい。
絵や、アニメや、漫画や、昆虫、生き物などについて、どうして自分がそういうものに嵌っていたのか、何を追いかけていたのかを問い直している。つまり、還暦前に原点回帰しているのだろう。
バブル経済がはじけてからの日本を「失われた10年」とか、「20年」とか「30年」と表現するのが定着しているようだが、
確かにその間、株価は低迷したし、一般人の給料も上がるどころか寧ろ下がったりして、世界でトップだったいくつかの産業に関しても、他国に技術やシェアを奪われて低迷してたからそう言うのだろうが、
でも、この10年から30年が、それほど価値のない期間であった、とは思えないのである。
この間に我が国は価値観の転換を行い、現に実を結び、成功しているように見える。つまり、経済から文化へとシフトし、世界は今、日本を羨望の眼差しで見ている。
これ、モンシロチョウに例えると分かり易いのである。
まずは、葉っぱの陰で卵としてジッと熟する時を我慢して待ち、
幼虫時代はキャベツなどのアブラナ科の葉をモリモリ食べて大きく成長した後に、蛹となる。蛹の間はほとんど動かない、動けない、場合によっては越冬し、ひたすら春を待ち続ける。
蛹はやがて羽化し、蝶へと変身を遂げて、花から花へひらひらと舞い移り、甘い蜜を吸い、求婚して子孫を残すのだが、
卵や蛹の期間を、何もしていないから「失われた時間」だと考えたりはしないだろう?
卵や蛹は、一見、死んでいるようだけれども、本当は、ドラマチックな組織の生成や、大変換が行われているのだ、実は1番凄いことをしているのである。
凄いことするには一定の時間が必要なのは当然なのであって、その時間はぜんぜん無駄じゃない、
それとも、アオムシのままひたすら食べ続け、巨大化する方が望ましいと思う人が居るのか?
だから、「失われた30年」としか考えられないのは見方が狭い。
人生に於いても、傍から見れば無駄、無為に過ごしているようでも、
それらはぜんぜん無駄でない時間なのかも知れない。
私の失敗した事も、何の価値もなかったとは思っていない。失敗の味は苦いけれど、それで分かった事も多い。
或いは、無駄な時間や、下らない時間こそが尊い、という事だってあるのかも知れない。
「失われた30年」なんて言い方、経済評論家たちが勝手に使っていればいい、
私はそう思わないのだ。
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