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楽園 ☆65

我が家と祖父の家は至近距離にあったので、とても頻繁に行き来していた。

祖父は下駄屋(主力商品は靴であったが下駄屋と称していた)で、簡単な修理なども請け負っていて、

仕事部屋で作業しているのを、よく近くで見ていたものだ。優しい人で、叱られた記憶が全くない。

祖父は酒もタバコもやらなかった。唯一の楽しみは、温泉(公衆浴場)へ行く事で、自転車で30分くらいの所に温泉があった。現在のSPAではない、当時はサウナなんて設備もない、ただ浴場があって、畳の広間に客は雑魚寝して休んでいた。

私は時々、祖父の自転車の後ろに乗っけてもらい、その温泉に連れて行かれたが、遊具も何もない所で、ただ寝るだけで、子供が楽しめる筈が無いのであった。

温泉だって、北国のそれはやたら熱くて、子供にとっては苦痛なくらいの記憶なのだが・・・・


現在の私は月に7~8回のペースでSPAに通っている。SPAと言うか、それこそ温泉だ。地下のずっと下から汲み上げている都会の温泉。

レストランも休憩所もある、マンガもある、freeのWiFiもあるし、何時間でも居られて、温泉もサウナも入れるのだからマンガ喫茶よりずっと安く、快適である。

正にこの世の楽園かも知れない。若い頃ならきっと、レストランで酒も必ず飲んだであろうが、今の私はそこそこの食事とコーヒーを楽しんで終わる。
また温泉に入って、寝る、漫画を読むの繰り返し。


温泉には酒と御馳走が付き物だが、この頻度でそれをやったらむしろ不健康になるだろう。

温泉に入った後は、心地よい疲れを感じ、ぐっすり眠れる。仕事の疲れも何も無くなる。今になって祖父の気持ちがようやく分かった。


本当の楽園と言うのは、キリスト教で言う所の、アダムとイブの居た、神が造ってくれた善き楽園なのだろう。

彼らは羞恥心も持ってないから両人裸のままだ。

そこでの暮らしは、何の制限もないくらいだったが、たった1つ「知恵の実」だけは食べてはならないと神から言われていた。「これを食べたら人は死ぬ」からである。

2人はそのルールを守って幸せに暮らしていたが、蛇(サタン)にそそのかされて、食べてしまう。

2人は、知恵がつき、善悪を知り、寿命というものも得てしまう、つまり「死」を賜わり、楽園からも追放された、恥を知り服も着なくてはならなくなった。

これこそが、人類の原罪だと云われている。

私はクリスチャンではないので、何だか納得いかない、これって、そんなに非難されるほどの罪だったろうか?

私だけでなく、日本人の多くがそう感じているのか、
日本のキリスト教徒の割合はずっと昔から1%より増えない(韓国は27%)。

特に私は落語ファンであり、落語は人のダメなところ、愚かしいところ、恥ずかしいところを、そのまま活き活きと描く所にその真価を発揮する芸能だから、

アダムとイブの行動は愚かしいけれど、落語的には当たり前としか言いようがない。知恵のない従順なだけの人は、神にとっては好ましいかも知れぬが、人間としての可能性を全て捨てる事になる。

だいたい神の創りし楽園を、それほど魅力ある楽園と感じられない。よく行く温泉の方が楽しそうだ。

こんなの書いたら、神罰が下るかしら?


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