見出し画像

虐げられ抑圧された者の怒りについて

おはようございます

今日は母の日です。母さんには感謝していますが、母さんは、私にとって鬼のようです。

母さんには私が小さい頃から母さんの口癖のように、子供は監視しないといけないと言います。

私が若い頃、母の日にカーネーションを1輪感謝の気持ちであげても、なんかしたごころか企んでいるのか?と私の気持ちをないがしろにする母です。

私の家は長男筋の長男家系で末っ子の長男が私です。

小学生の頃から私の部屋に両親が仏壇を置いて気持ち悪くてとても嫌でした。

おじいちゃんの遺影が私の寝るときに私を見ていました。気持ち悪かったです。

仏壇が部屋にあったのは高校生の頃までありました。

私は心の病になり、仏壇が気持ち悪いので破壊しようとしました。

私はキリスト教に救いを見つけ出そうとしていました。

それから仏壇は部屋を転々として最終的には父さんの部屋へ行ったり応接間に最終的には行きました。

私は今年のイースターに母さんを教会へ誘いましたが、母さんは、なんで私がキリストにならんなあかんねんと怒っていました。

母さんは私のSNSの発信を人の話しで聞いていて、なんか家の事をネットで書いているヤローと母さんも、亡き父も言っていました。

全部をネットで話してないけど、母さんの様々な監視に対しての告発です。

もちろん、人間は集団の生き物なので、人のことをとやかく公開はしませんが、私の小さな抵抗です。

私が怒りを感じるのは、社会的に地位のある人が弱い者を虐げることから、怒りの感情が次々と湧いて来ました(T_T)

私は本当は怒りたくないけど虐げられて怒りが湧いて来ます。

それは作業所の仕事場でも同じでした。市役所の福祉課でも虐げられていました。

詳しくは話しません。

"社会とは誰か少数派を偏見で作り悪者にしたてて排除することが自身の生存の確かさを確認する生き物"

"自身の確かさを確認するために他者非難する"

私はそのように昔雑記帳に書きました。

これは多くの人が経験していると思います。

私もnoteで自身の確かさを確認しないと人として存続の危機を感じます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?