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もっとモンスター・コールズ漬け

2024年3月2日 舞台『モンスター・コールズ』を観劇。
2024年2月14日に同演目を観劇。
2回目です。

何となくストーリーの流れに沿いながら、観た人にしか分からない書き方で進みます。
1回目観劇後の感想・考察を踏まえると何を言ってるか読みやすいと思います。よろしければ。

ストーリーの記憶は幕間の20分間丸々客席で、そして観劇後の渋谷の夜の風に吹かれながらバルコニーで一人メモを取る努力はしましたが、
感情にストーリーが流されて行きます。
頭を思考のプールに突っ込んで、息を止めて、目を開けて、
見ようとするけど、ぼやけて何も見えず、興奮した心に息が続かず、
諦めて水面から顔を上げて、泣きそうになっている、という状態です。
シームレスな場面の転換は、作品にリズム感を生み出しますが、
記憶できなくて残念でした。残念なのは私の頭の方か!


お母さんが赤ちゃんコナーにイチイの木の話をするとき、客席の方の遠くを見つめながらコナーに語りかけていました。
他の役者さんも同じようにイチイの木を見ていました。
イチイの木の場所がわかったとき、ようやく私はコナーがうなされた次の日の朝、ぼんやり朝食を用意するときも、お母さんにイチイの実の薬が効かなかったときもずっと客席の方を見つめ、また睨んでいたことに気づきました。
コナーはいつから自分を呼んでいるのがイチイだと気付いたのでしょうか?
コナーはそもそもこの怪物のことを誰だと思っていたのか?
イチイの怪物が初めて登場するとき、怪物は「私は何かではなく、誰かだ」と言います。名前が多くあり、生と死が関わるところでしか動き出さず、コナーを連れ去りに来た、と最初はいっていたはず。
お母さんは確かイチイの木のことを、どうしようもなくなったときに助けてくれるような気がする存在というように捉えていたと思います。明確なセリフがあったはずですが…。
樹齢の長い木というのは、他の木々より、「人間の物語を見守ってきた」という気がしますよね。自然と何故か手を合わせたくなるような、どうかこの村をお守り下さい、と言いたくなるような雰囲気があります。
お母さんにとって、イチイの木は旧友のような存在だったのかなと思います。近くにいなくてもその存在をしばしば感じ、話し相手で、ピンチの時に助けに来てくれる人だと。私はお母さんは病気を治してもらうことをイチイの木に願っていたのではなく、コナーの幸せを一番に願っていたのだと思う。「お前を癒しに来たんだよ。」というイチイの木。苦しみから解放されたいコナー。怪物はしっかりと2人分の願いを叶えたのでは?と思う。
そうすると朝食を用意するコナーがいつもいつも窓の外のイチイを眺めながら「もうこんなの嫌だ、」と思っていたのでは、などと感じてしまう。
夜中にうなされて疲れたから、というより「終わらせてくれ、終わらせてくれ」と唱える憂いの表情だったのかも。
コナーにとってイチイの木は幼少からお母さんに語られて来た、彼にとっての古い馴染みでしょう。
お母さんが病院へ行く前、イチイがいなくならないように見張っててね、とコナーに言うくらい、2人の生活にはいつもいるのでしょう
舞台上の木のフォルムを見る限り、青々と生い茂った、というよりは木の枝が何本も剥き出しに生えているような見た目です。熊手みたいな枝がこちらにむかって伸ばされたら、囲まれてガガガと引きずられて行きそう。
子どもが夜になっても全然寝ない時、お母さんとかが「早く寝ないと怪物に連れ去られちゃうよ!」なんて言いませんか?
小さいコナーも同じように言われて、彼の怪物の見た目はそれに沿っていたら可愛いななんて思います。半裸タトゥーおじ。(言い方!)
半裸タトゥーイチイの実ネックレス髭おじ、タトゥーなに入ってたんですかね?パンフレットで後で確認します。
イチイの木=怖いもの=タトゥー入ったおじさん
この等式だったらかなり可愛いです。
きっと男の人で年上なのは父性が関わってくるのかな、と思います。
本当にいつ両親が離婚したか分からないけど、無意識に追っているものの具現化かもしれません。
お父さんだけにはイチイの木の怪物のことを話していました。
気味悪がられるのを分かる年頃だと思います。子どもたちのように秘密を揶揄われることのない、信頼のおける存在で、おばあちゃんやお母さん以外の心配をかけてもいい、大人であるお父さんを選んだんだと思いました。
しかし、お父さんはそのコナーからの好意を受け止めきれない感じがありました。コナーとは離れて暮らすことを選んだので。
イチイの木はその点、もう動き出すことがなくても、コナーが信頼し、身を預けられる、彼を一生見守る、家族のような存在になった、というより元からそうだった、のではないでしょうか。
終盤で木を必死に起こすコナーが、自分を殴りつけるのを見て、手を怪我をするからやめろ、とコナーのことを想うセリフからも、愛情を感じるのでは?
お母さんがイチイの実の薬を使う、となった時に、イチイの木が自分の元に来てくれたのは、このためだったんだ!お母さんは治るんだ!と思ったコナーが嬉しくて宙を舞っているとき(そう解釈したとして)、お母さんはイチイの木と薄暗い中でダンスしていました。
薬の効く確率はとても低く、最終手段なのでしょう。私が思うに少し迷信めいたもので、実際のところやはり現代の薬の方が治すことに関しては勝てないと感じました。効くとしたら本当に奇跡のようなもので、それこそファンタジーの類の話になるのだと思います。
お母さんはイチイの木とダンスしながら、彼に話しかけてたのだと思います。
コナーのことを想う言葉をたくさん、たくさん彼に話しかけていたのだろうと。
コナーが自分が居なくなっても幸せに暮らすために、お話し相手になってあげてね、とか。こういう誰かの秘密を邪推するのは良くないんですけど。
あと自分自身もイチイとさよならするのでしょうか。
コナーがお願いする前に、病室まで来てね、とか言ってたりするのかしら?
イチイはコナーの為に来たと言って居たので、お母さんとイチイは何の関係もないかもしれませんしね!ここまで言っておいて!
お母さんのイチイの怪物はあの私たちが見たような見た目じゃないのかも。
それかあの見た目はコナーのおじいちゃんの若い頃とかだったりして!
と勝手に妄想。

赤ちゃんコナーにお母さんが語りかける最初のシーンに戻ると、
その時点だけコナーも他の役者さん同様1色、赤色のシャツ1枚の服装です。
服装で役を着る、ブレザーがクラスメイトたち、ベストがお父さん、エメラルドの羽織がおばあちゃん、ターバンを巻いているのがお母さん、そしてブレザーと白いシャツそれが13歳のコナー・オマリーだとしたら、もしかしてそこのコナーだけ13歳のコナーではないのかも、と思いました。
お母さんのことを思い出しているコナー、
私の趣味上、27歳のコナーにしておきます。
「おやすみ、ママ。よく眠るんだよ。」というセリフは、
人の死を指して、おやすみ、と言っているかもしれません。
でもそしたら、27歳のコナーが悪夢にうなされちゃうからな。
27歳のコナーな訳ないか!とは思いますが、
本当に私たちはハグで物語にピリオドを打てば、
大切な人の喪失を、忘れられるでしょうか?
また彼らのことを考えて苦しく思うのでは?
乗り越え切らなくてもいいのだと思います。
他の役者さんたちも同じように悪夢に襲われていたのは、
きっとシーンのインパクトだけではなく、
誰もが襲われ得る悪夢だからなのでしょうか。
「消えろ!」とコナーは悪夢に言います。
「やめろ!」とか「来るな!」じゃなくて「消えろ!」か、
と思いました。
悪夢って「襲って」ますよね?何ででしょう?すごく動物的ですよね。
お母さんが死ぬと分かってる心情に、消えろと言ってるからか?と思ったりしました。
お母さんに「コナー?あなたなの?」と訊かれるうなされTシャツコナー。
やっぱりここのコナーは27歳コナーにしておこうかな!大人になったコナーをお母さんは見れないから、彼の夢だったとしても、そうだよ、コナーだよ。立派でしょ?と言ってあげたい。

そして12:07。
時計が違うんだな!これが!コナーの家はデジタル時計
おばあちゃん家は振り子時計、学校は掛け時計、病院もまた少し違うデジタル時計でした。
背景がなくてもどこにいるか分かります。

リリーがアントンを殴って、先生が来ます。
リリーが一生懸命先に手を出したのはハリーたちで、自分はいじめられているコナーを守るために殴ったのだと言いますが、コナーがいじめを否定したことで、ハリーたちはお咎めなし、リリーは職員室へ。
否定する前にリリーとハリーたちで言い争っているのですが、
一番双眼鏡持って行ってよかったポイントがここにありました。
舞台上に座っている役者さんたちはずっと舞台中央で話を進める登場人物たちを見つめています。
コナーのセリフではコナーを、ハリーのセリフではハリーを。
ただ、お母さんだけはずっと、コナーを見つめていました。
「いじめられてなんかいません」とコナーが言うときも、いじめっ子が先生に言い訳してるときも。
お母さんもいじめのことを知っていたのかな、と思いました。
作中お母さんは、コナーに何度も分かってる、と言います。
最後コナーに「行かないで。」と言われたときもそうでした。「分かってる。」と言います。
客席の私も、コナーもずっとお母さんが治らないのをずっと分かっていたし、お母さんもコナーの口に出さない部分をずっと分かっていました。
親子の絆を感じるとともに、
それでも、おばあちゃんが言うように「話し合わなくちゃ」ならないんです。
分かっていても話し合わなきゃ、声にして言わなきゃ、いけないんです。

国語の授業かなんかで、みんなが自分にあった物語を作文して発表しなければならないことになります。
ハムスターの弔辞とか漏らした話を書くとかクラスメイトたちがいろいろ物語をあげていく中で、青く照明が変わりクラスメイトの視線がゆっくりとコナーに集中します。
演出なので実際のクラス内では誰もコナーを見てないことでしょう。
コナーに目線は向けられていても上半身は後ろに引かれていて、
好奇心から興味を持ち耳を傾けられているというより、
ゴシップを見るような目です。可哀想なお前は何を書くんだ?という感じ。
お母さんが登場しそんなクラスメイトと真ん中で座るコナーの周りを一周。
電車から景色を見る子どものように、椅子に後ろ向きに座りなが歩くお母さんを見つめるコナー。
お母さんがコナーの隣に座り、髪を撫でたところで学校のチャイムが鳴り、
現実へ戻されます。
作文の宿題が出た瞬間からコナーの頭の中には1番にお母さんが浮かんだのではないでしょうか。授業が終わるまでずっとママのことを、書こうと、
していたのではないのかな、と思います。
あっ、待って下さい!ターバン巻いてたかな?巻いてなかったら由々しき事態ですよ!病気になる前のお母さんのことを思い出してたのか?
病気じゃないお母さんに浸ってたんでしょうか、ずっと。
(追記:おかあさんターバン巻いてませんでした!ありがとうどっかの場面写真!)

ハリーのこと誤解してるのかな?というのが今回の観劇後の感想の1個です。
ハリーがしきりにコナーに手を出していいのは俺だけだ、と言います。
なんで?
サリーがコナーをいじめるのは面白いから。アントンは面白くないけど仕方なく加担させられている。ハリーはコナーが周りがみんな彼を可哀想だと思い、フワフワしているのが気にくわないから、と言っていたはずです。
コナーに「お前が望んでいることを俺たちは分からないだろうな」と言いながら、「お前が望むようにするよ」と言い無視し始めて、結果ボコボコにされます。1発目殴られる時のハリーは「来いよ」という顔をしてました。
しかしあまりにも、攻撃が強すぎたためそのあとはのたうち回っていましたが。
何故ハリーはコナーの望みを叶えようとしたのか、そもそも望みを何だと理解したのか?
ハリーが思ったコナーの望みは「罰を受けること」だと思います。
いじめるのは「甘えること」がテーマだったとして、自分がいじめればコナーがお母さんに甘えることができるから?
コナーがお母さんに泣きつくことができたのなら、自立せずに甘え続けられる立場でずっとあれたのなら、この話はお母さんの死で終わることもなかったのでは?とすら思えます。
それができないのなら、自分が殴られることで、コナーは待ち望んだ罰を受けることができる。
そうすればお母さんがいなくなればいいという考えを罰されたいコナーが救われるとしたら?
…ハリー?私には分からないよ?
ハリーはそもそも国会議員になることを約束されている人生でした。
いじめなど起こさなければ、成績優秀、カリスマ性もあって実家も太いし、安泰の生活が約束されています。
コナーとは真逆にいる存在と言っても過言ではないでしょう。
レールの上を歩くハリーにとって、コナーの人生を「フワフワしている」と表現するのは納得がいきます。
それにハリーは両親に甘えられる人だったのでしょうか?
きっと父親は国会議員で、母親はその父のサポートをしているか、贅沢三昧しているか、彼に愛情を注いでいたか分かりかねますが、彼にたくさん構ってあげられる状況下にはなさそうです。
何かコナーにシンパシーを感じるのでしょうか?
「自分しか手を出してはいけない」ってそういうことですか?
とっくのとうに自立させられているハリーから、お前もフワフワせずにどうにかしろ、って喝ですか?
コナーが途中で先生に呼び出されておばあちゃんの迎えで病院に向かう授業に彼はいませんでした。
きっと本当にひどい怪我を負っているのでしょう。
ハリーはその病室から彼の両親に甘えられるのでしょうか?
ハリー、君は何者だったんだ…?

イチイの木が来た1日目、「コナー…コー…ナー…」と彼にささやきかける声を、コナーは最初は「風だ!」と言い張ります。しかしそのあと、「風じゃない…声だ…」と認めるとイチイの怪物が現れます。
認めると可視化されるのがすごくいいですよね!
おばけがいる、と考える人の前にしかおばけは存在できませんからね!
ここでコナーが声を認めなければ、怪物は出てこれなかったのでは?
1回目の登場シーン、イチイの木を表現するロープが点滴やらなんやらの管をつながれた人にも見えたなぁ、と思っていました。普段は見えないけど、栄養素を送るにもすごいエネルギーを私たちの身体は使っているのでしょう。
点滴のイメージって病気の人、という感じがしますが、むしろここでは生命のエネルギーを感じた気がします。生かされてる、という感じ。
コナーが帰って来たとき背後にイチイの木が立っていて、その隙間から怪物がコナーのことを覗いていました。コナーはずっと怪物が見ていた気がしたといい、助けてくれるとでも思ったか?と怪物は訊きます。怪物がコナーを見ていたとき、その足元にはスヤスヤ眠るクラスメイトたちの人影が。
コナーが帰って来たとき、かなり遅かったのでは?クラスメイトたちが何も考えずに眠るとき、コナーはお母さんの病気が悪化するのを見ていたのでした。

怪物の物語の登場人物は、コナーの周りの人物と同じ役者さんが演じてますが、むしろコナーが、登場人物を自分の周りの人たちで当てはめてる、と考えると結構面白いです。
おばあちゃん=魔女
ハリー=馬鹿な王子
単純で可愛くないですか?
コナーにとって2話目で癒しの力があると知った後のイチイの木がお母さんの姿をとっていたように、(神父の家を壊すときはすぐいつもの怪物に戻りますが)
誰かの物語のイチイの怪物がコナーの姿だったりするのでしょうか?
怪物が人々の意識下にしかないのではなく、
本当に目で見える生物だとしたら、物語を交換した人の姿を記憶していくのかな?とも思ったり。
コナーの姿で怪物のセリフ言って欲しいですけどねぇ…。
どっかで子どもたちの話し相手になってないかな。

話は全く変わるのですが、
ふと、思い出したことを一つ。
コナーさんあんだけおばあちゃんの時計を無残に破壊しておいて、
ポスターで大事そうに時計抱えないでください?
全く…その時計は大事にしなよ!!!

実のところ、1回目観劇後の感想を書いてるときに、「何も…思い出せない…ここのシーンこんな表情してたっけ…どんなセリフだった…?ストーリーの流れが分からない…悔しい!もう一回観るしか?何で円盤ないんだ!再演する可能性なんて限りなく0なんだろ!!こんなに!最高なのに!もっとたくさんの人に勧めたい!生きてる間にもう一回でいいからやってくれ!…知ってるこういうのは無理なんだ!私は忘却曲線と戦います。」と思いながら2回目のチケットを購入し、「…どうしよ…あれだけたくさんの人に見て欲しいって思ってたのに…どんな気持ちで観ればいいんだ…同じ舞台を2回も観たことないっ!1回忘れてモンコルやっぱ最高!って思うか、この考察をわたくしは補完し永遠の物とする。と思うか…勝利くんかわいい!脳死!とするか…。そもそも何もかも知ってるのに泣けるのか?」などとぐるぐる考え苦悩の日々を送りました。
観終わって思ったことは、ストーリーを完璧に覚えようとしないほうがいい、ってことです。
何回も観て、自然と覚えちゃった!ならいいですけど、忘れたところはそれはそれとして、自分の心に残った感想が一番自分が覚えるべきことで、一番自分の中で大切なことなんじゃないんですか?
数々の物語に出会って、要らないものは削ぎ落として、あそこのシーンよかったな…って思ってりゃあいいんですよ!感想が勝利くん可愛かったな…sukiで良いんですよきっと!大事な推しでしょ?!大切にしな!ポスターのコナーみたいにぎゅっと抱え込んどいて下せぇ!

2回目を観て、結局泣いたんですよ。
PARCOの階段までは耐えた。偉いですね!
前回は座席で泣いてました。(今回も泣いてました。)
お客さんたちとすれ違いながら、必死に涙拭いてましたもん。
でも今回は、泣きそうになりながら、(泣いてます。)
カーテンコールで出て来た役者さんたちにお辞儀して、(精一杯のお礼)
勝利くんにもお辞儀して、(本当にこの作品に会えて良かったです。ありがとうございます。の気持ち)
PARCO劇場のバルコニーに出て!一回ストーリーを思い出そうとして諦めて、階段を降りながら、涙が止まらない訳です。結局渋谷駅まで泣きながら帰りました。電車内では抜け殻、家へ帰るまでの道のりでまた号泣しながら帰った訳です。

うつらうつらの国へ行ってしまうから、コナーと話がしたかったお母さん。
コナーは学校を早退して、おばあちゃんのお迎えで病院まで行きます。
病室には入らない、2人で話すのよ、とおばあちゃん。リュックを預け、コナーはお母さんとお話をします。
イチイの薬が効かず、次の治療法はないというお母さん。
イチイに怒るコナー。
点滴を抜いて椅子から立ち上がり必死に怒っていいのよ。とコナーに伝え流お母さん。
怒っていいの!
コナーが頷いたのをみて、お母さんは点滴を戻し、椅子に座りなおします。
お母さんが客席のイチイの方を見ながら「あなたと100年生きられたら良かった」と言います。

人生100年時代、
なんて言われる世の中ですが、人間の身体はそんなに持たないらしいです。
私は今25歳。
あと4倍の時間、両親と居られるとしたら?
私は喜んですぐに頷きます。
別に毎日が幸せじゃないけど、すごい喧嘩をするときも沢山あるけれど、
居なくなればいい、と何回も言ったことがある、言われたことだってある。
この家に生まれければ、もっと幸せだったかもしれない、そう思ったことだってある、
でもこの先100年、人生が100年あったとしたら、その100年間ずっと、
2人と一緒に居たいです。4倍だろうが5倍だろうが、なんだって。
コナーのおばあちゃんが「話し合うべき」なんて言うから、
帰って2人に伝えました。絶対いつもだったら言わないのに!
そしたら「それは運だから」って言われました。

運って人によって量が変わると思いますか?
ライブのチケットを当てる為に徳を積んだり、
アイドルってどれぐらいの幸運の持ち主なんでしょうか?
人と出会う為には運を使いますか?
多くの人と出会うこと、がアイドルという生き物なんだろうと思います。
運を多く持ってるから、遠くへもっと遠くの人へ、出会えるのかな、と。
出会った人と縁を繋ぎ留めておけるのも運のうちだとして、
こういうことを書くのはどうかな、と少し思いますが、
勝利くんが早くにお父さんと離れ離れになったぶんだけ、たくさんの人に会えるんだな、と思いました。
なので、この人は遠くへ行けるんだ、たくさんの人を幸せにできる人なんだ、と思った訳です。

1回目に観たとき、このセリフを完全に忘れていました。
まっすぐな愛の言葉は時より、
あまりにも澄んで、透明すぎて、無視してしまうことがあって、
何にも感じなくて、
2回目に聞いた時、それもあって衝撃を受けました。
100年か…100年ね…
いつかそういう人に出会えますか?!
100年一緒に生きたかったって、そう言える大事な人。
良かったです。2回目観て。もう後悔しないね!
一番大事な物をもうこの物語からは、たくさん貰ったので。
同率一位!異議は認めません!!


こっからはコナー可愛い集。
今まで読んでたシリアス展開は?

エントリーNo.1  お母さんに頭撫でられるコナー。
この優しい時間がずっと続けばいいのに。永遠なんてありません!ごめんな!とっても嬉しそう。可愛い。
エントリーNo.2  おばあちゃんにほっぺムギュされるコナー。
とても不服。顔がぺちゃんこになってる。むぅ。ってなってる。
食べちゃいたいくらい可愛いとおばあちゃんも思ってるはず。
エントリーNo.3  朝支度コナー。
みんなで見た生着替え!双眼鏡使用率が上がりました!(上がりました!)
私?私は靴下履くのが一番好きです。100回観れる。嘘、足りない。
お昼ご飯そんなジャンクフードでいいの?育ち盛りだろ?タッパーに入れてんのそれチョコレートなの?大丈夫?
お母さんに食洗機に食器入れたことも報告してくれる。えらい。
エントリーNo.4  朝食たべたべコナー。
ボーッとしてる。朝だからか?夜中に起こされてるからか?眠いねぇ?
遠くのイチイをずっと見てる。ラジオ?テレビ?は点けてご飯食べる派。ぽやぽやちゃん。
エントリーNo.5  いじめられコナー。
えっ、みんながこれが見たいんだろ?!?!ヲタク知ってんだぞ!
可愛い顔のイケメンがいじめられるのが好きなんだろ!!えぇ?!
苦痛に歪む表情が見たくて高いチケット買った人!ハイ!私!
保護!
エントリーNo.6  オコナー。
怒ってるコナー。ぷんぷん丸。
おばあちゃんきらい!イチイの木なんて怖くない!
お父さん一緒に暮そ!ハリーこっちを見ろ!(睨
…威嚇するコアリクイいました?
可愛いなおい!!!!こっちがおこ。
エントリーNo.7  皮肉コナー。
怪物の物語にいちいち突っかかって来るコナー・オマリーさん(13)。
「どうかイチイの実から僕をお守りください!(おこ)」
「どの怪物も物語を語りたがるんだ(ニュアンス)」
「こういう話は大体馬鹿な王子が女の子に恋をするんだ!」
「(怪物の登場によって)この話がぼくが思う結末に向かいますように!(ニュアンス)」
怪物・私「黙って聞け!!!!」可愛い。うるさい。
エントリーNo.8  木の上コナー。
前述のことで怒られて木の上に座らされるコナー。
枝(ロープ)に持って行かれて(吊り上げられて)「うわあああ!」とか言いながらも素早く体制を整える身体能力の高さ。ポテンシャルですね。ちょっこり座って満点可愛い。
あと足先にイズムを感じました。伸びて揃ってる。フライングの時みたい。
エントリーNo.9  パパっ子コナー。
「パパ!」と出迎えるコナー。満面の笑みトーンの声しか聞こえない、背中しか見えないけど、きっと飼い主帰って来たときのわんちゃんと一緒。
私の心の中のコナーはここで椅子投げてる。可愛い。見えない。可愛い。見えない。見えない。
エントリーNo.10  破壊コナー。
椅子投げるコナー。椅子の背もたれを執拗に木っ端微塵にするコナー。体力おばけ。おてていたいよ?私のこころがいたい。抱きしめに行きたいけど、私じゃないんだ。私じゃないよ?落ち着け?お前の出る幕は1μもないからな?消えろ?
怒りすぎて疲れ果ててその床で寝転ぶコナー。
エントリーNo.11  号泣コナー。
抱きしめたい。

…キリがないってっこういうことですか?
勝利くん、どの表情が一番というより…どの表情も…
すごくいい出方してますよね…???
負の感情の方が儚さや美しさが映えるけど、笑顔や喜びの表現もパッと明るく輝きを放つのでどちらもとっても素敵に感じました。
屁理屈言ってるときも、しっかり「腹立たしいな…」と思えたり…。
年上のお兄さんに可愛いとか庇護欲とか思ってんじゃないわよ…全く…。

本当はまだここはこうだ!あそこはああいうこと言ってるんじゃないか?とかあるのですが、
書きたいことは書けましたし、そろそろこれぐらいにしておこうかな!と思います。
潜水するのにも体力が必要というか…もうこれ以上はこの話に潜って居られない…と言いますか…。
ただ再三言ってますが、この物語を大事にしていくつもりです。
出会えて良かったなって何度でも思います。

私が必死に忙しない日々を生きて、
この物語を忘れてしまって、また好きをなくしても、
それでも心の中で、コナーがロープを持ってぐるぐる走って、
私に「起きろ!」と言いながら走って、
そのロープがいつか大きなイチイの木になって、
私が「風じゃない、声だ」と思った時にまた、
会えればいいなって、思います。

勝利くんがパンフレットのインタビューで
ロープが木になる瞬間をどう感じるか、って訊いてたと思います!
私は「砂時計に見えた!」と答えておこうかな!子どもにしか訊いてないけど。
だから私の砂時計がもう少し落ちたところで、
また会いたいなって、私が「子ども」以外の「ママ」とか「おばあちゃん」
になったところで。
また、ささやいてくれればなって。

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