小学生の頃のバイタリティへ戻したい

 僕は何かと過去に戻りたがる傾向がある。しかしそれは、過去の自分の状態が割りと理想だったからであって、その時の若さや体力がほしい訳では無い。強いて言うなら物事への感度といったところだろうか。僕の中では中学入学後とそれ以前でまるきり変わっている。小学生の頃は良くも悪くも”ありのまま”だった。

 中学になると別の地区からの人と過ごすということもあって結構なストレスを強いられた。またここで思春期特有の問題が降り掛かってきて、なんとなく”ありのまま”ではいられない事情が出てきた。これは大人になることの第一歩で、誰もが歩くことになる道になると思う。ただ僕はそれに馴染めなくて脱落し、クラス替えの頃はめっきり塞ぎ込んでしまった。それが高校でも続いた。アニメ・マンガがなければどうなっていたことか、と今でも思う。

 中学以降はイケナイ遊びが増えていった。夜更かし、ポルノ、暴飲暴食など、ネットとお金があれば際限なく浴び続けられる環境だった。その習慣が今でも続いてしまっている。(夜更かしは克服した)。ただ小学生時点では規則正しい生活を送っていた。夜八時には寝てしまい、実はその習慣が今になって引き継がれている。夜九時には寝て四時ぐらいに起きる生活だ。別に苦ではなく、僕にとっては九時以降起きるほうが苦なくらいだ。

 あと小学生の頃は暴飲暴食もなかった。その要因はジャンクフードを買い与えていなかったからだと思う。今はいつでもどこでも変えるし食べてしまう。おかげでめちゃくちゃ太った。(現在ダイエット中)
 ポルノもなかった。小学生の時点では興味はあれど、道端のスケベ本にああだこうだ言っていただけでコンテンツまで見ることはしなかった(今の小学生はどうなのだろう、と少し心配になってくるが)。
 僕が小学生から中学生になるあたりが時代の境目だったように思う。ガラケーからスマホへというのが目に見えてわかりやすい。だからか、こうして過去を境界として分けて見ることができた。いま自分に欲しいのは、小学生時点での好奇心と行動力。あとは”満たされない”状況だった。

 ”満たされない”という言葉は悪い意味に囚われがちだ。しかしそこには、本当に欲しいモノへの渇望が溢れている。もし気軽で、楽に、手近な快楽に手を出したなら、本物への欲求は遠ざかってしまう。もちろん、自分で選んだことではある。しかし自分の意志で排除できない、または困難になる場合は、選ばされていると言っても過言ではない。
 待てそれは言いすぎだ、結局は自分で選んだことではないかと思ったかもしれない。だが現に、何かを排除することに困難を極めている人が大勢いて苦しんでいる事実を、ただの一言で済ませるのはあまりにも愚かだと思う。それこそ、考えなしに”言わされている”状態ともいえる。

 話がだいぶ逸れた。何が言いたいのかと言えば、”小学生以前の感度”を取り戻して物事を楽しみたい、それだけのことでした。

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