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018.横浜松坂屋西館(旧松屋横浜店 )

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物045/伊勢佐木町周辺≫
 *伊勢佐木町に面して建つ横浜松坂屋西館。現在はJRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)として使われています。デュオグループの「ゆず」がデビュー前にストリートで歌っていたのは、隣にあった本館前でした。
 
 
 ■伊勢佐木町全盛期の建物
 昭和6(1931)年、前身の越前谷百貨店として建てられた建物で、横浜市民には松屋横浜支店(33年間)、横浜松坂屋(14年間)としてのイメージが強く残っています。隣に、同じころに建てられた横浜松坂屋本館がありましたが、取り壊されてしまったのは残念です。
 店舗としては、変遷が激しく、越前屋-山越-鶴屋-壽百貨店と経営が変わっています。戦後の7年間は接収され、米第8軍の病院として利用されていました。接収解除後、横浜「松屋」として営業を再開しましたが、昭和30年代(1955年)になると、横浜駅西口で高島屋が営業を開始、伊勢佐木町の集客力に陰りが見え始めたために、昭和53(1978)年横浜「松坂屋」に経営を譲り、松坂屋西館として営業を続けていました。
 
 そして横浜駅の東口にあった三菱重工横浜造船所が移転したことを契機に再開発計画が進み、大型百貨店「そごう」が営業を始めたことから客足が横浜駅周辺に流れるようになり、最後は横浜松坂屋として、平成12(2000)年に西館の売場を閉鎖してJRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)に賃貸、百貨店としての営業を終了しています。デビュー前のゆずが横浜松坂屋本館前で歌っていたことはよく知られています。
 この建物は、設計は毛利泰三で鉄骨鉄筋コンクリート、地上7階、以下1階。昭和31(1956)年、33年と改装を受け、広さも少し変化している。

柱の上部とアーチ型梁端部分、装飾はシンプルですがどっしりした重量感が
百貨店の信頼感を醸しています。

 ■昭和初めの百貨店建築
 伊勢佐木町に面した南側は、1階部分は少し変化していますが、2階以上はほぼ創建時の意匠をそのまま伝えています。2階部分の装飾が、ファサード全体のイメージ付けをしています。全体の印象から言えば、1階、2階部分は重厚なデザインで、3階以上は同じ表現の繰り返し、というクラシックなデパート建築をそのまま具体化しています。
 ファサードは6階が見え、2階部分には6本の柱が立って、柱頭に装飾が施されています。柱間のスパン間は3分割されていて、四角い縦長の窓も含めて、重壮な雰囲気を出しています。
 3階には、通し柱のオーダーが見られ、柱頭アカンサスの装飾が付けられています。
 内装も何度かの改装を経て当初のデザインはないが、1階の4本の大理石の柱、アーチ状の梁などは落ち着いたどっしりしたイメージで仕上げられており、昭和初めに建てられた百貨店建築の遺産としてとても貴重です。

1階入ったエレベーターホール。柱が重厚感を出しています。天井の低さが特徴です。

●所在地:横浜市中区伊勢佐木町1-7-1

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