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3-9. 失敗の社史こそ残すべし。

 三菱レイヨン元会長 金沢脩三

 失敗したことが会社をよみがえらせたという意味で、失敗こそ社史に残せと言うのは金沢脩三である。
 社史というのは、とかく過去の失策を棚に上げて「いい話」ばかりを並べたがる。しかし、企業にとって本当に忘れてならないのは、失敗の経験だと金沢は言う。

 金沢は、1983年の同社の創立50周年記念に、社史を作らせず、その代わりに、本人が筆を取って第一次石油危機後に赤字に転落したいきさつや、そのあとの再建の道筋をまとめて役員に配ったという。
 第一次石油危機は、高度成長の終焉を告げるエポックメーキングな出来事であった。
 それまでの右上がりの成長神話の中にどっぷりとつかり、多くの企業はたいした改革もしないままに売り上げを増大させ、社員を増やしていった。
 その結果、と金沢は言う。

「第一次石油危機の中でも、不況に抗して利益を確保しようという気迫に満ちた雰囲気が社内にはなかった。人が多くて社員は要らぬ仕事に埋没していた。五分で決められる会議を何時間もかけて議論をしていた。新規事業と称して安易にウナギやスッポンの養殖に手を広げ、当然のようにおおむね失敗に終わった」

 金沢はこうしたさなかに社長に就任した。
リストラが仕事である。8,800人いた社員を3,400人まで減らし、創業以来のレーヨン生産からも手を引いた。合繊各社に先駆けて無配に踏み切った。こうした荒療治のおかげで、社風は一変した。
 その後、経営は順調に推移し、社風も積極的なものになり、外部からもずいぶん変わったと言われるようになったという。

 しかし、安泰になるとまた、厳しかった時期を忘れかねない。喉元過ぎれば何とやらである。失敗の原因をきちんと整理して二度と繰り返さない糧とするためにも「失敗の社史」は貴重な資料となるはず……それが金沢の主張である。


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