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■ヴェルニー記念館

                          ヴェルニー記念館
■官営として残った唯一の造船所
JR横須賀駅からほんの数十メートル、公園に出るとすぐ左がヴェルニー記念館である。横須賀製鉄所の首長として日本の造船と産業近代化に大きく貢献したフランソワ・レオンス・ヴェルニーの功績をたたえて2002年横須賀市が建設した施設である。
 
ヴェルニーは、1837年にフランス南部で生まれ、パリのエコール・ポリテクニークで造船学を学んだあと海軍造船大学校に進み海軍技術者になった。
卒業後は造兵廠で働き、1860年にはフランス海軍が中国・寧波で運営する小型砲艦の造船所で監督者を務めた。
1864年に任務が終わると、駐日公使のレオン・ロッシュらの要望を受けて横須賀製鉄所の建造計画に参加し、1876年までの12年間、首長として造船所の立ち上げ・運営を指導し、多くの造船技術者を育成した。
 
相談を受けたヴェルニーは周到な計画を作る。その一つが、事前に横浜製鉄所を作り、そこでフランス語を教え、機械加工・造船などの技術者を育成し、横須賀に投入するというものだった。
 
幕末の開国に際して、幕府は軍船の建造の必要性を痛感して、造船所を長崎や江戸・石川島、横浜、横須賀に開設するが、それらの中で、官営の工場として国が変わらずに運営してきたのが横須賀製鉄所(造船所)であった。
ヴェルニー記念館は ここ 2002年に整備された学習施設で、開館時間は9:00-17:00で月曜日休館。駐車場なし。JR横須賀駅から徒歩1分。

■150年前のスチームハンマー
横須賀製鉄所は後に横須賀造船所と名前が変わるが、当初、製鉄所=鉄製品を加工する工場という意味でつけられたもので、実態は造船所だった。
周辺に協力工場があるわけではないので、パーツから道具まですべてを工場で内製しなければならなかった。肝心の鉄鋼だけは、国内では入手できなかったために、フランスなどから輸入された。
 
工事が始まったのは1864年8月。小栗上野介やヴェルニーの計画は、単に造船所を作るだけでなく、一大軍港を作るという壮大なものだった。
モデルにしたのがフランスの誇る軍港ツーロンだった。
 
ヴェルニーは、横須賀製鉄所の建設計画書を提出した後、いったん技術者の採用や機械類の調達にフランスに戻るが、その時に調達された設備の中にあったのが、いま、ヴェルニー記念館に展示されている2機のスチームハンマーである。
 
1機は門型の3トンのスチームハンマーで、もう1機は0.5トンの片持ち型ハンマー。熱した鋼鉄を型の中に入れて、上記の動力を利用して持ち上げたハンマーを落として押し固める、鍛造品を加工する設備である。
この設備で使った金型や金ハシなども館内に展示されている。いずれもオランダ製で、1865年製の銘が入っている。
 
館内には、横須賀製鉄所や近代の歴史遺産を紹介する映像、体験学習用機材、スチームハンマーの稼働模型なども展示されている。
詳細な資料も用意されていて、受付で申し出るといただける。ご興味のあるかたは、一読されるといい。

門型の3トンスチーム・ハンマー。0.5トンハンマーとともに、慶応元(1865)年に作られたもの。
国の重要文化財。
片持ち型0.5トンスチーム・ハンマー。平成9(1997)年まで在日米海軍横須賀基地船舶修理廠で稼動していたが、平成12(2000)年に横須賀市へ移管され、2002年に復元修理されて記念館に移された。国の重要文化財。
1865年オランダ・ロッテルダム製の銘鈑。ヴェルニーがオーダーしたものだが、
当時のオランダが高い技術力を有していたことがわかる。
当時の稼働中の様子。

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